主観を造形化するプロセス

日本の工業製品がいよいよ世界で戦えなくなってきているのは
主観でものを作っていないからです。
たぶん、顧客データを集め、事前にアンケートを集めて
会議室でものを作っているように感じます。
つまり客観を造形化していることになります。
客観的な目線というのは、製品を作ることにおいて良いことに感じるかもしれませんが、
実はそうやって作られたもので感動は作れないのです。

宮崎駿作品は会議室で長い時間話合われたストーリーではないように
アイフォンのコンセプトがマーケティング調査の結果で組み上がっていないように
僕たちが熱狂するのは、個人の主観で作られた作品である場合が多いのです。


嫌ですよね。
僕の作品が、「最近巷では、〇〇の色が流行っていて」
「造形は〇〇がきてます」
「ではみなさん多数決で、次の作品の方向性を決めてゆきましょう」
という具合に作られてたら。

◆主観を研ぎ澄ます

ただし、単に主観で物作りをすればいいという話ではありません。
美しいものを作るためには、
研ぎ澄まされた主観が必要です。

一体どうやって磨いてゆくのでしょうか。
僕のバイブルでもある松田権六の著書には
◯人から学ぶ
◯物から学ぶ
◯自然から学ぶ
という三つの方法が書かれています。
まず、技法的なことは人から学び、真似をして習得してゆきます。
そして、過去の名品を見ることにより、技法的な部分、素材、歴史背景を学んでゆきます。
最後の自然とは、定義が広くて、掴みどころがありませんが、水や光、それらが発する音
そこから生まれる僕たちの感情をどのように見つめ、造形化させてゆくのか。
ヒントは膨大です。

実のところ、同じ方法で学んでも、見ている部分が違います。
同じ景色を見ても、音を聞いても、味を楽しんでも
僕と同じ感情を持つ人は一人もいません。
勝手に好きな部分を切り取って、解釈しています。
例えば、クラスにたくさん女の子がいても、視界に入っているのは好きな〇〇さんだけだったりします。
つまり主観です。
その主観を形にする、反省点を元に改善してゆく繰り返しが研ぎ澄ます作業となります。

◆主観を造形化する

大雑把に言えば、主観の造形化とは好きな〇〇さんを描くことです。
でも、人生はもう少し複雑で、〇〇さんの二重が好きとか、声とか、
いやもっとマニアックな「くしゃみが出そうな半目になった時の二重がたまらん」みたいなこともあります。
そんな主観誰も共感しないと思われるかもしれませんが、
熱量が高ければ、必ず共感ないし、感情の同期は行われます。
言葉にならなかった「くしゃみが出そうな半目になった時の二重がたまらん」を形にしてみてください。

ちなみに僕の作品についての「たまらん」ポイントは
金地のアール部分とか、角のハイライト、黒と金のコントラストなどです。
(もう少しマニアックな性癖みたいな部分がないか自分の心理の底に潜って探しているところです。)

◆アートでなくても主観は大切

物作り以外でも、僕は主観はもっと大切にされるべきだと思っています。
学校とか社会って、どうしても客観とか調和が大切にされます。
僕はそれが苦手だったのと、正しいと思えなかったから学校が嫌いでした。
ある部分ではみんなが公平に幸せになるために調和は必要だけど
今、日本全体がちょっと息苦しくなっているように感じます。
もう少しだけでも、物や事に主観をプラスする事ができるはずです。

大好きなあの人に主観で選んだプレゼントをわたしてみてはいかがでしょうか!(笑)

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