活動に一貫性を与えるためには、大量の行動が必要になる

人間は一貫性のある人を信じやすい特徴があります。
例えば、僕が漆芸家だけでなく他に色々な分野に手を出していたら
コレクションしにくい作家になってしまいます。

スポーツもそうですが、間違いなくプロのスポーツ選手は運動神経がずば抜けて良いので、
専門以外のスポーツもうまくこなすことができると思います。
過去、マイケルジョーダンが、なぜかプロ野球選手になったことがありますが、
「そんなことするくらいならバスケをもっと見せてくれよ」と多くの人が思ったでしょう。
つまり、期待されていることを一貫している姿に、人はプロ意識を感じやすいのではないでしょうか。

しかし、一貫していることは常に危険をはらんでもいます。
美術の場合一つの作風で一生食べてゆくのは難しい。
スポーツの世界だって、やはり変化をしながら進む必要があります。
イチローほどの人だって、毎年プレースタイルに変化を持たせなければならないのですし、
美術の世界もピカソほどの巨人があれだけ作風を転回させたのですから感服させられます。

だけど、私たちは生身の人間で、一貫している部分とそうでない部分を同時に持っています。
理想としては一貫していたいのだけど、そうもいかなかったりします。
それに、身近な人だと、ある種の一貫性の無さが、意外性みたいにな魅了になる場合もありますよね。

ネットのメディアが発達してくると、
この一貫性と意外性を上手に伝えられる人が人気を博しているように思います。
毒舌のホリエモンが健康に関する情報をサラリと発言したりすると、
なんだかやけに人間味を感じたりします。
このように、多くの発言の中に見える意外性と一貫性が
ネット上で、ぼんやりと人間性?のようなものを生んでいるような気がするのです。
少なくとも、僕はそれを感じるのです。

パーソナリティを伝えるためには、小さなエピソードの積み重ねが重要で
そのために大量の行動をとる。
それが一貫性や魅力を生むんですよね。
現実の世界でもネット上でも。

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