芸術家は孤独で貧乏な存在なのか。 リライト記事

芸術は売れなくてもいい。好かれなくてもいい。芸術は認められなくてもいい。成功しなくてもいい。自分を貫いてぶつけて無条件に自他に迫って行く事が芸術だ。
– 岡本太郎(芸術家)

日本では芸術家についての一般的なイメージってこんな感じではないでしょうか。
実際に美術教育もこういう

自分を出してゆくもの。
社会と隔離されたもの。
理想の世界。
気持ちを芸術活動に全力でぶつける存在。

みたいな教育が本気でおこなわれています。
僕は通信制の大学で日本画を学んだ経験がありますが
気持ちやプロセスを大切にする教育や、
売れない自己表現
わかりやすい情熱を画面にぶつける事が良い
そんな空気が大学全体を覆っているのに、とても違和感を感じました。

他人がどういう指針で美術と関わるかは個人の自由なのでどうでも良いのですが、
僕は美術は人や社会の中にあるべきものだと思います。
個人の内心や美意識はとても大切ですし、
それを画面なり制作される作品に投影させる事も大切です。
そのために日々の鍛錬をして、理想の状態を作り出すのが制作活動だと思います。

ただし、その前提には必ず
コミュニケーションが必要だと思っています。
自分の家で作って、自分だけが見てるなら良いのですが、
人に見てもらおうと思うのに
「売れなくても良い」
「理解されなくても良い」
「共感を得られなくても良い」
などと考えていると
せっかくの、自分の美意識を社会と共有すると言うすばらしい理想と
逆の方向の思考を作品に負わせてしまう事になると思うのです。

プラスの力とマイナスの力が一点に集中して
どこにも進めていない状態です。

僕は美術を志したとき
必ずプロになろうと決めていました。
制作活動で生活できるようになりたかったのです。
工芸を学ぶプロセスはその上でとても役に立ったと思います。

はっきり言ってしまえば
工芸技術を学ぶのに気持ちや感性など全く必要ではありません。

技術はいつも十分ではないですし
圧倒的な上下関係があります。
先生には敵わないのです。

そういった鍛錬や技術の伝達というのは
若い時代、美術と向き合うときに、とても大切なプロセスだと思うのです。

技術には個性の入り込む隙間がないのです。
自分の手や頭脳をその素材に捧げて、やっと自分の表現したい事ができる。

その先にあるものは
美を通したコミュニケーションだと思います。
僕にとって芸術とは社会とつながるためのコミュニケーションツールなんです。

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