「やめる」という選択

日本って物事を続けることが良しとされていますが、実際にそうなのでしょうか。
僕は人生の前半で義務教育をやめる決断をしたので、一般的に重要だと思われていることを
割と簡単にやめる自信があります。

むやみに続けることが良いのではなくて、
たまには必要ないことをやめても良いのではないでしょうか。
例えば、中学生の時、不良を見ていて「反抗したいのならやめればいいのに」と思っていました。
中学校なんて欠席がどれだけ多くても卒業させてくれるのだから、さっさとやめて好きなことをしていたらいいんです。
高校だって、大学だって本当に行きたいと思っていないのならやめればいい。
何かを学びたいなら、その時考えればいいだけのことですから。


http://kando1.net/15042
SNSに流れて来た記事です。
マンガなのでさらっと読めます。
これはブラック企業について描かれていますが
人生の選択の中で、
「自分にはこれしかない!」と言ってしまうのは
僕はとても危険なことだと思うのです。


美術を志す人の中にも
「僕には(私には)絵を描くことしかない!」と言い切る人がいます。
若いうちには僕も似たようなことを言っていたかもしれません。
でも、美術をはじめとして何もない状況から何かを始めようとすると
ほとんどの場合成功率は低いです。
「〇〇しかない!」と言ってしまった、その〇〇が自分に本当にあっているのかは
少し時間がかからなければわからないものです。

現代という時代は職業の選択が比較的自由なので
色々な体験をして自分にあった何かが見つかるまで決めつけずに進む方針が良いのではないでしょうか。
必要なことには必ず出会うし、その時自分がいかに自由にその物事に突き進めるか試されているのが人生なのではないかと思います。
でも、それが「何か違うな」と思ったなら、やめるという決断も間違ってはいないと思います。

僕もいつかもっと高い目標が見つかったなら
その目標のために作風や技術を捨てるかもしれません。
今の所、高校生の時に描いた夢に向かっていてそのために人生を使っているので
蒔絵をやめる予定はありませんが。

しかし、いつも思っていることがあります。
「僕には蒔絵がある」と
人生の大きな部分を蒔絵に捧げて来て、たくさんの喜びをもらいました。
でも僕も生身の人間です。
「蒔絵しかない」人間より「蒔絵がある」人生がしっくり来ます

一直線に走っていると周りが見えなくなってしまいますが、
何かを得るために何かを捨てることもそんなに悪いことではないような気がします。