ヨーロッパから見る歴史と美術の関係性

先月、ドイツとフランスに行ってきました。
行ってきた理由は、また別記事で書こうと思いますが、
記憶があるうちにヨーロッパで感じたことを書いておこうと思います。

さて、フランスは二度目だったのですが、前回は完全仕事モードだったから
観光的なことをしませんでした(といっても観光ってあまり好きじゃないのでいいのですが)
ただ、せっかくのパリなのにルーブル美術館すら見てないのって、作家として勿体無いなーと思っていたところで
機会があって再度ヨーロッパに行くことができました。
というわけで、時間を作って美術館を回ってきたわけです。

ドイツは
シュテーデル美術館へ

パリは
ルーブル美術館
オルセー美術館
オランジュリー美術館
National Museum of the Legion of Honor & Orders of Chivalry

このように多くの美術館へ行くことができました。
一つ一つの美術館、そして作品の数々には思い出もありますが、
自分なりに総括して見ると、日本文化の中の美術のあり方と、西洋文化の中のそれとの差異がぼんやりと現れました。
一言で言うと、西洋文化の美術とは「歴史そのもの」と言う感覚です。

例えて言うならば、美術史を歴史をつなげてみると、
日本の場合は モノヒト
西洋の場合は モノヒトそれに加えてコトというのが入ってきます。

イメージしてみてください。
西洋の大作って歴史的テーマの一場面を描いている絵が多いと思いませんか。
例えば
ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠 ジャック=ルイ・ダヴィッド
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民衆を導く自由の女神 

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これらは18世紀の絵ですが、もっと時代を遡れば、より宗教色が強い絵画になってゆくのですが、それでもストーリー性は常に絵画の中心にあります。
そして、そのストーリーの中に各時代の有力者は自分を登場させてゆく歴史、それがつまり美術史であると言う印象を今回の旅で感じました。

一方で日本美術は

一方で日本美術とはどのような考え方で形成されてきたのでしょうか。
西洋美術との共通点としては、宗教との密接な関わりです。
しかし、その表現方法はあくまで、歴史とは切り離された印象があります。
歴史を切り取った絵画を考えてみると、合戦を描いたものもあったりしますが、どこまでも記録的であり
時の権力者が描かせる劇的な描写というのはイメージしにくくて、ヒトとコトは分けられています。

つまり、肖像画という共通点はあるけど、
日本の場合、彼らが劇的に活躍している表現ってありませんよね。

日本
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フランス
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で、この権力者が美術に託したかったことが、なんなのか考えてみたときに
僕が感じたのは西洋の場合、強烈にコトへの執着が強い人々が美術に託した部分なのです。
これは宗教観にも関わってくるくる事だと思うのですが、
仏教は神の歴史という側面に対して、キリスト教というのは私たちの歴史なのですよ。
権力者はキリスト教という文脈の中、そのストーリーの中に自分を登場させたいし、
歴史的な一場面の中にあろうとする事、そしてそれを劇的に表すために美術が必要だったのでしょう。