僕が表現したいもの

「この作品で何が表現したかったのですか?」
たまに聞かれることですが、あらためて聞かれると、ちょっと困ることがあります。
性格的に、なんか気取って話すのも恥ずかしいような気もして。

でも、作品それぞれ表現したいことはあるし、
生き方や、今までの作品やこれから作られる作品には一貫したテーマみたいなものはあります。
ただ、作品単位でない一貫した部分って言葉にしにくいものがありました。
難しかったんです、一言にまとめるのが。

最近やっと見つけた言葉がありました。
で、それがすごく腑に落ちたのです。
その言葉は
美術とは、制作とは
信念の具現化なんです。

作品を作ることやコレクションすることについて
どうしても腑に落ちない部分がありました。
「そもそも、なぜ人は美しいものを作らなければならないの?」
「なぜ、人は美しいものをコレクションするのか?」
そして「なぜ、美術品は高額になるのか?」

僕は作家として、そしてコレクターとしてこれらの腑に落ちない感情と対面し続けてきたわけですが、
その答えは、僕の信念を具現化するためだったのです。

人には必ず、信念があります。
それは世界を動かすほどの壮大なものもあれば、食べ物の好き嫌いみたいにどこまでも個人的なものもあります。
だけど、その信念には形がなくて、それを人生を通して体現したい、そういう生き物が僕たち人間なのかなと。
つまり、どうしても具現化する形が必要だったんです。

人によっては、それが音楽であったり、
食事を作ることであったり、
そして子育てだったり。
僕の場合は漆で作品を作ることで信念を具現化させています。

さらに、自分以外の信念を自分の人生に取り入れることもできます。
芸術を必要とする感情とは、自分の信念と他人の信念をリンクさせたり、
吸収することなのではないかと思うのです。

人間が物を欲しがる時には
その物の先にある、自分の感情、つまり事を必要とします。
生きてゆく上で、信念を形作る何かがあるとするならば、僕たちはそれをどうしても手にする必要がある。
それが、美術の役割なのではないかと思い至ったのです。

ちょっと、哲学っぽいけど、
単純に、美しいものを見て「明日も生きていよう」と思えるし。
実際に作品を作る事で、僕は生きている実感をもらっています。
僕の信念は誰かに届くし、僕は誰かの信念の具現化を必要としているんです。