吉備高原学園の先生

僕は何度も吉備高原学園は日本一の高校だと書いてきました。
と言っても僕は吉備高原学園以外の高校のことを知らないから、
100パーセント主観的な意見です。

先日電話がかかってきました。
ちょうど個展前で忙しくて、タイミングを外して出ることができませんでした。
かけ直したら向こうが出ない。
ようやく繋がった受話器の相手は懐かしいキビの先生でした。
高校は当時携帯電話が禁止されていたので
先生の携帯番号は登録されていなかったのです。

野球部のコーチだった先生は
現在では監督になっていて、日々部活の指導に忙しいようでした。

僕は高校時代野球部に在籍していたことがありました。
しかし、漆に出会い、在学期間を漆に明け暮れる方が将来的に意味があると思って
途中で野球部を辞めました。

その時相談していた先生からの電話でした。
二人で話すのは何年振りでしょうか。
少なくとも10年は過ぎています。

だけど、先生の口から出てくる言葉に僕は驚かされました。
高校を卒業して10年以上経っているのに
「浅井が部活を辞めたいと言った時のことはよく覚えてるよ。場所は2年寮の舎監室だったよな」
「ちょうど、浅井が部活の成果が出てきて、長距離も短距離も早く走れるようになってきて、見違えてきた時だったなー」
10年以上前の一生徒のこと、それも時と場所、体力のことまで?

自分でも忘れているようなことを恩師は覚えていてくれました。
最後に
「浅井は、なんというか、ここまできたのに謙虚さみたいなのを忘れていなくて、良かった。このままの浅井でいてくれよ」
最近は特に立川談志の言葉
「謙虚さのかけらもない生き方」
みたいに美術界で戦ってきたように思います。
強がって、ある部分で強引に制作を続けてきました。


どんなことがあっても、自分がリセットされる場所があります。
それは家庭であったり、母校であったり、職場であるかもしれません。
何者でもない生身の自分を見つめてくれた人がいて
その人が自分のことを覚えていてくれる。
大人になると、自分に付加価値をつけたり
カッコつけてみたり。
でも、そのままの自分を覚えていてくれる人がいる。
それが吉備高原なのだと少し嬉しくなりました。

小さなエピソードで僕はたくさん勇気付けられて
自信を持って個展に向かうことができました。
あのタイミングで電話をくれる
やっぱり吉備高原学園の先生って日本一ですよ。