変わるもの変わらないもの

10年前に今の世界を想像することはできたでしょうか。
僕は絶対に、できなかったと思います。

地震が起きて原発が爆発したことも
アメリカの不動産王が大統領になることも
ケータイ電話がこれほど優れた端末になることも

何一つ想像できていませんでした。
きっと、これからの10年も想像できないようなことがたくさん起こるし、それを予見することは、たぶん無理なんだと思います。

それでも、変わらないものもあって、それは人の心だと思うのです。
感覚的に縄文時代の人ってのは少し頭の良い猿みたいなイメージありませんか?違うとわかっていても教科書や資料館で見たビジュアルが原始的な住居に住んでる毛深いヒトって感じだから、どうしてもそう思ってしまいます。
でもこれは全く違って、少なくとも知能レベルとか感情に関しては現代人と変わらないだけの文化度もあって、その当時の最先端の生活をしていたのですよ。

根拠として人と漆の関わりを考えてみると、元々は実用的な接着剤や防水のコーティング剤として用いていたものを、縄文時代の初期から美的価値のあるものとして用いています。

これは、漆を扱うことが上手い職人がいた事、その技を伝える事、そしてそれを育む土壌があったという事です。

これって現代と全く変わってなくて、極端に言えば当時と採取方法から単純に塗るという行為、育む文化まで全く変化してないと言えます。

さて、これだけ変化が激しくて先が読めない時代と言われていますが、僕が根本的な漆文化に危機感を感じないのは、原始的とも言える人類が持つ美意識と漆の持つ魅力は僕たち人間から引き剥がせないからです。

まあ漆の現状は日本美術史の中心から、工芸というカテゴリーに収まっているんだけど、10年前に現在が想像できなかったように、今までもこれからも僕は漆に、蒔絵に勝算を感じているのです。
漆は何度でも世界中を魅了することができます。