夏休みが終わったのに、子供が学校に行かないとき。 不登校のススメ

何度か書いてきましたが
僕は小学校、中学校と不登校でした。
それでも吉備高原学園高等学校に入学して
そこで漆と出会い、あれだけ学校嫌いだったのに、大学を卒業する事ができました。
(高岡短大の後に武蔵野美大に編入して卒業しました。)

そこで思うのが
「あれ?小学校と中学校って必要あったかな?」という疑問です。
不登校で勉強が遅れてしまう部分はありますが、それは高校で挽回できます。
僕の高校時代成績は悪くなかったので、はっきりと言えます。
小中の勉強の遅れは全く問題ないです!
短大だったけど現役で国立の大学に入れたので、進路が狭まったという事もありません。

社会性や生活習慣に関しても、不登校が不利になる事はありませんでした。
社会性や人間性に関して、他人や社会が僕をどのように評価しているかは、僕は知りませんが、
漆芸作家として社会活動をおこなっています。最低限の大人の責任は果たしているのではないでしょうか。
少なくとも、とんでもなく反社会的な存在ではないと思います。

生活習慣も一般的なフリーランスのイメージより規則正しいと思います。
朝は定時に仕事をスタートさせるので、夜型の生活にもなってないですからね。
労働時間が異様に長い事を除けば、健康的な生活だと思いますよ。


さて、今までブログで
「不登校で悩む必要は無い」「不登校で悩む親御さんも安心していい」と書いてきました。
最近は、不登校だった事にメリットすら感じるようになりました。

その理由1

みんな一緒を信じない力
学校教育って「みんな一緒」という感覚を教える場所であるというイメージです。
「みんな一緒」でいいんですよ。ただ、僕の職業で「みんな一緒」だとかなりヤバいです。
「なに面白くない物つくってんだよ」で一瞬で消えてゆきますからね。
それに、社会って平等にできていないから、実は「みんな一緒」は現代に合わなくなっているかもしれません。
年功序列の社会システムは僕が物心つくころから崩壊し始めて、今では過去の遺物になっていますよね。
これからはどんどん人の好みが細分化されてゆきます。ニッチな市場で生き残るのは特化した個人性です。

理由2

集中力が高い
学校に行かないと決めると、自分の得意な分野にかたよった生活をおくります。
学校の科目って楽しいものもあるけど、自分に合わない科目の方が多いですからね。
苦手な事に費やす時間を得意にあてれば、そこのところの能力は上がって当然です。
学校に行っていない後ろめたさもあるので、得意に集中して俄然がんばったりします。
学校に行かない時間を、積極的に考えるととんでもない能力が発揮されるかもしれませんよ!

ここで注意しなくてはならないのは、興味の分野を親が仕分けしない事だと思います。
例えば、ゲームに夢中になる、テレビばかり見てる、マンガばかり読んでる。
一日中学校に行かないでこれらの事をしてたら少々心配になりませんか?
でもこれらの関心も積極的に吸収させたらいいんです。
親の世代では考えられない事でも、趣味を突き詰めてゆけばビジネスチャンスに繋がりますからね。
今ではゲーム、マンガ、アニメーションなんて日本を代表するビックビジネスです。

ただし、興味の関心が危険なものにならないようにしっかり見守る必要もあるでしょう。
人を傷つける衝動に関心があるなら、ボクシングなどのスポーツに向ける事が必要ですからね。

理由3

親との時間がたくさん持てる
実は、不登校の時って、学校に行く事もすごいストレスなんですが、
休んでるときもやはりストレスがたまるんです。
世間の目も気になるし、劣等感を抱きやすいんです。
親も心配するだろうから、たくさん話し合いをしたりケンカします。
中学生とかだと大変でしょうね。体も大きくなりますし、反抗期になりますから。
お互い真剣に向かい合えば向かい合うほど消耗します。
どうでもいい事なんてひとつもないですからね、家族だから。

そんなとき、諦めずに向き合っていると、なんだかいい思い出になります。
ほったらかしにしないでくれた事、ケンカばかりだったけど向き合っていた事、お互い全部覚えてますからね。

親子のそういうエピソードは人生の勇気になると思います。
なかなか親孝行はできていませんが、かならず「もういいよ笑」ってほど親孝行をしようと考えてます。


夏休みや長期休暇明けは不登校のきっかけになります。
そんなときは休んでしまえばいいんですよ。
学ぶ機会はどこにでもあります。
たくさんある時間を自分の好きな事を研究するための未来への投資にあてましょう。
好きな事を一生懸命やってると道が開けますからね。
これは本当です。