好きを作り出すこと

僕たちは色々な感情の中で生きています。
喜怒哀楽という言葉では言い表せない多様な気持ちの中で揺れ動き、
そして、その集合体が社会です。

作品を作る上で、
誰かに僕の作品を好きになってもらうためには何をすれば良いのか。
また、好きな女の子に振り向いてもらうためにはどのような人間になれば良いのか。
結構切実だったりしますよね?

結果からいうと、「好き」を作り出すことはできないとわかりました。
美意識とか、嗜好などプラスの感情や
恐怖や嫌悪などのマイナスの感情の多くも、僕らは教育や経験に基づいて選択、あるいは生まれる感情なのだと気がついたのです。

例えば、
パクチー、セロリなどの強い匂いの香草、普通に考えたら
料理の味を総取りするくらい強い個性です。
それを好きだと思えるのは教育のためだと思うのです。
僕は好き嫌いがないのですが、それは母親が小さいころからたくさんの食材を使って
それを食べることに関して、褒めてくれていたからだと思います。
つまり、
好き嫌いが無い=良いこと
好き嫌いが多い=悪いこと

また、マイナスの感情も
何かのきっかけによって生まれています。
例えば、ゴキブリ
よく見たら、カブトムシの仲間みたいに綺麗にも見えるのでは無いでしょうか?(それは無いかw)
いや、むしろ黒く光っていて昆虫の黒ダイヤみたいな形容をして見ても良い。
ただ、僕たちは幼いころからゴキブリは悪であるという教育を受けています。
ゴキブリを効率的に殺害するための新兵器のcmを何度も目にしてきているし、
出現したゴキブリに対する悲鳴も何度も聞いてきました。
そして、僕たちはゴキブリを嫌いになったのだと思うのです。

結局のところ
「好き」とか「嫌い」という感情を
誰かに持ってもらうのは難しいのです。
いや、長い教育期間を通して「蒔絵は最高だよね」とか
「蒔絵の良さがわかる君は最高にクールだ!」と言い続けることができるなら可能かもしれませんが、
それは現実的ではありません。

ただし、そこで諦めていると何も変化が起きません。
誰かの感情に何かを届けることができるとすれば、
それは自分がその人を好きになることしかないんですよね。
つまり思いやり
それでも、この思いというのは一方通行になることの方が多い。
僕がどんなに「蒔絵って最高なんです」と話しても
多くの人は、過ぎ去ってゆきます。
最近でいうと、僕は海外への発信機会を求めているので、
たくさんの海外ギャラリストへ情報発信をしています。
中には個展に足を運んでくれたり、工房を見学しにきてくれる人もいます。
だけど、「okうちで個展しようぜ!」とは、ならないのです。
時間の割に結果が伴っていないのです。
でも、近いうちに僕は海外での発表機会を拡大できると信じています。
それは、僕が「蒔絵を海外へ紹介したい」と思い続けて行動しているからです。
何か行動を起こしている限り、可能性はゼロでは無くなります。

「好き」は作れないけど、
好きになってくれる人に出会う行動を続けることはできます。
そんな積み重ねが今の僕と、僕の作品です。
思いやりを忘れなければ、いつか夢が叶うんです。