言葉を変えれば不登校に悲観はなくなりますよ

僕は小学校、中学校と不登校だったので
まわりの大人からたくさんしかられました。
しかられた内容はもっともで、全てが正しかったように思います。

でも、それらの言葉は言い換えてみると
まったく悪い言葉ではなかったのかもしれません。
逆に、いま作家をしていると、その時言われた言葉のまま成長してよかったとさえ思えるのです。
人の短所は、つきつめれば長所となる実例ではないでしょうか。

よく言われた言葉たちと
それを置き換えて、作家業にいかに役立っているかをちょっと紹介。

「康宏はわがままだ」
言い換えると
浅井康宏は自分の納得できる仕事しかしない。

「康宏は集団行動ができない」
言い換えると
浅井康宏は一人でもモクモクと仕事ができる

「康宏は好き嫌いがはげしい(食べ物ではないです)」
言い換えると
浅井康宏は好きな事をとことんやり遂げる

「康宏はがまんができない」
言い換えると
浅井康宏はほしいものを手に入れるために大量の行動をとる

このように、学校生活ではしかられるような事を
がんこに押し通した結果、作家として必要な資質とも言えるような
こだわりや集中力を養っていたとも言えるのです。

で、社会性ですが作家を続けていくために必要最小限の社会性も育ってきているように思えます。
これは自分で判断できないので、他の人が僕の事をどう思っているのかわかりませんが。

僕は学校に行かずに小中学校の9年間ほぼ家にいましたが、
大人になってみて、少しは社会に貢献できる人材になってきているように思います。
なので、不登校はそれほど悲観的なものでもないし
学校が全てではないと思います。

ただ、自分の可能性を広げる情報があった事を幸運に思います。
進路に関して吉備高原学園に入学した事
そこで漆に出会って、高岡短期大学に入った事
蒔絵の修業のために東京に来た事
そのすべてが、積極的な情報から起きた変化でした。

今、学校が嫌いな子や、その親御さんが
悶々とした日々を送っているかもしれませんが
自分の短所は少しのきっかけで長所にもなるし
学ぶ機会は自分が求める限りいつだってあるんだと知っていてほしいと思います。

つらい言葉が幸運に変わる場所や心持ちは必ずありますからね。