30代になっても親のすねをかじり続けた日々のこと。

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恥ずかしくてなかなか言えなかったことですが、
最近気持ちに変化が生まれて、間違っていなかったと思えること。

僕は32歳くらいまで親のすねをかじりながら制作を続けていました。
それはもう、恥ずかしい日々で外では毅然と振舞って、
家に帰ると震えながら作るような日々です。
33歳くらいから何とか制作で生活が細々とつないで行けるようになり、
個展に向かうことができました。
ただ、個展制作でお金が足りなくなると助けてもらいながら作っていたのが内情です。

うちの父親がNTTで定年まで勤めて応援し続けてくれたこと、祖父母の協力が得られたことで
僕の作家活動は続けることができました。
先にも書いた通り、金銭面では20代ボロボロでしたので
祖父母が作るお米と野菜を送ってもらうことで生活費を極限まで抑えていました。

就職を考えなかったわけではなく
過去記事にも書いた通り就職もできなくて (過去記事はこちら
「ああ、もう美術で生きてゆきたい」という悲しみと、開き直りの毎日でした。

その時、付き合っていた人に服を買ってもらったり
飲み屋に行って色々な人に奢ってもらい
料理屋の女将さんに残り物を食べさせてもらっていました。
毎年年末に実家に帰ると母親とユニクロに行き下着を買ってもらう30代男性。。ああ、なんたることでしょうか。

で、今そんなことを書こうと思えるのは、
そのような決断や恥ずかしい日々が今から見るとそこまで間違っていなかったように思えるからです。

まず、そんな日々でも毎日朝から作業をしていました。
その結果、技術力が上がり、多くの新しい技法への挑戦ができました。
就職して漆以外の仕事をしていたら、今の技術の20パーセントにも達していなかったでしょう。

それにお金を得ることはできなかったけど、
ひょっとしたら、周りの人から少しだけ信用を得ていたのかもしれない。
今は社会との接点を作ることができて、少しずつ貢献できるようになりましたが、
その時代に信用してくれていた周りの人たちの心の広さに、感謝しきりです。

だから、信じられる未来があるなのら
常識的な道から外れても、恥ずかしい毎日を送っても
愚直にそれを追い求めてもいいのかもしれないと今では思うし、
僕より若い人にもそう言えるかもしれません。

十分に恩返しができるだろうし、何より楽しみが多い人生に間違いはないように思います。