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35歳

昨日は誕生日
めでたく35歳になることができました。
35歳って、10代の自分が思っていたより、成熟していないですね。
平均寿命がのびているので、肉体と精神の成熟度が引き伸ばされているようです。

この本に興味深いデータがのっていました。
平均寿命は10年に約2年ずつのびていると言うデータ。
つまり、
現代の日本人の平均寿命が80歳代だとします。
80代の人と僕の年齢差は45年
10年で約2年の平均寿命の伸びがあるとすれば、
僕たちの世代の平均寿命はおよそ9年プラスすると考えて90歳代と言うことになります。
さらに、今日産まれた赤ちゃんは、僕との年齢差が35歳なので
平均寿命100歳というのが見えてきます。

これはデータなので、個人の寿命に直結するわけではないけど、
実際に正確な統計上、現代人の寿命は伸びています。


さて、肉体と精神の成熟度が過去と違うという話を冒頭で書きましたが、
若年層と同様に高齢者の精神的、肉体的な成熟も引き伸ばされています。
実感として、少し前の高齢者のイメージと今の高齢者では若さが違います。
サザエさんの波平さんは54歳の設定ですが、これは設定ミスではなく
その当時の平均的モデルだったはずです。

Wikipediaで調べてみると、
「サザエさん」連載は1946年4月22日〜

男女ともに平均年齢が50歳代ですね。

テレビアニメ「サザエさん」放送開始は1969年10月5日〜

子供の死亡率の低下で平均寿命は飛躍的に伸びていますが、テレビ放送開始時点でも60歳代が平均ですね。

つまり、波平さんの残りの寿命は10年くらいしかない、まさに老境にさしかかっている状況。
現代の54歳とはまるで残り時間が違います。
それに加えて、ルックスからくる老いも顕著で、波平さんはどう見ても70歳代にしか見えません。
平均寿命が長くなることによって、僕たちは、若い肉体と精神を手に入れています。

もし若者が頼りなく見えても、それは余命が十分にあるからです。
逆に、死の準備を出来ていない高齢者もたくさんいるように見えます。


人生が長くなるということは、平均寿命が短かった時代の人生におけるタスクを引き伸ばして行えるという考え方もあります。
また、余暇を十分にとるという、ライフワークバランスの調整などしきりに言われています。
ただ、僕にはタスクを引き延ばして同じ成果を得るより、
長い人生と、豊富な情報量を生かして、より遠くまで到達するという人生の使い方が適切だと思います。
明日がどのような日になるかはわかりませんが、どのような明日にしたいかという意思はコントロール可能です。
「人生を通してどこに到達したいか」というのを少し考えた35歳の誕生日でした。

業界の常識を信じない

こういう業界の常識は多いのではないでしょうか。
何よりも強烈なのは「食えないよ」という言葉で、
何らかの夢を追おうと思うと必ず身近な人に言われる言葉ですよね。

俳優・映画・小説家・芸人
芸能人・バンド。。。。
クリエイティブな業界だったり、
倍率が異常に高い分野
高度な研究分野だったり、スポーツの世界
難易度が高ければ高いほど、
「不可能だ」と言われます。
それも全くの他人ではなく、身近な人に言われることが多いので、
あたかもその夢が現実的ではないように思えてしまうのです。

夢を持つ高校生とか、希望に燃える美大生
若き芸術家、もしこのブログを読んでくれていたらこう言ってやりましょう。
「その職業では食えないよ」と言う言葉に
「それは、あなたの常識であって私には可能なんです」

この強がりや、世間知らずに感じられるかもしれない考え方ですが、
これを言うことにはちゃんとした意味があるのです。

例えば、
「映画って食えないんですよ」と言う常識を持った監督が撮影した映画と、
「映画って最高に夢のあるメディアなんです」と言う常識を持った監督の映画、
どっちが見たいですか?

「漆って食えないんですけど、細々と作っています」と言う漆芸家と
「漆は日本を代表する芸術表現です!だから漆も国産使って最高の作品作ります!」と言う僕、
どちらの作家の作品が魅力的でしょうか。

言葉は自分の心に深く根をおろします。
常識は時に行動を抑止する言葉となって、人生に立ちはだかります。
でも、それは自分とは関係のないことなんです。

日本産漆と中国産漆

以前のように中国と日本の人件費の格差はなくなりつつあって、
むしろ日本の人件費の方が安い分野もたくさん出てきていることでしょう。
中国製が安くて、粗悪というイメージももう古くて、家電や工業製品で価値の高いものをたくさん生み出しています。


さて、漆においても中国産漆は毎年価格が上がっています。
人件費の問題で、これは必然なんです。
先にも述べたように日本における漆使用のパーセンテージは完全に中国頼りできています。
ということは、中国産の漆が高くなればなるほど、
日本の漆器製造業は苦しくなるわけです。

今の漆器のブランディングって「高価なものを手軽に」みたいな感じなので
原価が上がることは死活問題になってきますよね。


ではどうすればいいのでしょうか。
僕は日本産漆の復興が打開策のひとつだと思っています。

植樹を進める

漆の木は植樹から採取ができるまでに時間がかかるので
早めに手を打っておくのがいいのです。定期的に植樹が続けられる状況を作ることがまずは必要です。

採取方法の研究

もう一つは、採取方法の研究です。
漆の採取は現在でも、幹に傷をつけ、そこから流れてくる漆液を一滴ずつ集めるやり方で採取されます。
これって、道具は石から金属に変わっていますが、縄文時代の採取方法と同じなんですよ。
伝統的な技術ではありますが、10年以上育てた木から牛乳瓶一本ぶんしか取れない
採取方法を現代まで続けてよかったのでしょうか。
幹を傷つけることなく、効率的に漆の木の樹液を採取する方法は必ずあるはずです。


伝統工芸の世界で効率化を唱えるのはタブーかもしれませんが、
漆の木を長年育てている立場からすれば、
現状の採取方法は例えるならば、牛乳を得るために、毎シーズン殺しているようなものです。
長期的に安定した採取できる方法が研究されるべきでしょう。
「漆掻きの伝統技法が失われる」と言われるかもしれませんが、
手絞りで得られる牛乳も、機械で得られる牛乳も同じ味です。
それに、後継者がいない過酷な労働ならなお、開発の必要があると思えます。

上質な日本産漆が
現在より安く、
より多く安定的に国内需要に回せるために変わる時期にきています。

美術とスタートアップ企業は似ている

ほとんどのアーティストは売れない時代を過ごします。
理由はいろいろありますが、アートを事業だと考えてみると答えや、対策が見えてきます。
まず、新規事業が成功する可能性がいかに低いか、
失敗する可能性がいかに高いのか。。。

新規事業やスタートアップの成功確率は極めて低く、米国の起業家養成型ベンチャーキャピタル「Yコンビネータ」のポール・グレアム氏によると、スタートアップの93パーセントが失敗する

(tech noteより引用)
新規株式会社が5年以内に倒産する可能性などのデータもたくさんウェブ上にあると思います。
結果からいうと、新規事業は80パーセント以上の確率で失敗するようです。

つまり、僕たち美術作家が「こういう未来を作りたい!」と思って作品制作をしている場合でも
その未来に対して賞賛が得られない可能性は大いにあるわけです。
残酷に言ってしまうと、美大を卒業した後、彼らをスタートアップの経営者だと捉えて
5年以上活動を続けることができる人材はほんの数パーセントだということです。

この現実の厳しさを知ってか知らずか、ここ何年も美大の男子学生は減り続けています。
「食えないスタートアップの美術を専攻するとヤバそう」という判断を10代の半ばで行なっている彼らは優秀です。
一部の天才を除いて、徐々に食える作家になるために、少なくとも約10年食えない時代を過ごすことが多く
僕自身もやっとたべれるようになったのは20代後半でした。

アートを事業と考えて、なぜこのようなことが起こるのか説明すると
作家=会社
作品=商品
無感情に置き換えてしまえば上記のようになりますが、
活動の最初期というのは、会社の知名度も信頼度も低く
商品の精度も低い状態なわけです。


そこから
商品を作り上げながら品質を上げてゆき
会社の知名度を上げてゆきます。
そのうちにギャラリーなり百貨店の美術画廊なり
信頼のある媒体の目に止まることとなります。
ここではギャラリーや美術画廊を仮に大手企業として置き換えます。

商品の質を高めることにより会社の信用が高まる。
そのうち大手企業と手を組むことができるようになる。
このあたりから、少しずつ一般的な知名度も上がってきます。

さて、スタートアップが大手と組んで仕事をするようになるまでの話をしましたが、
随分と時間がかかってしまいました。
1から自社製品を作りあげるのですから、当たり前です。
その間、製品を常にアップデートしたり、方向性を模索したり。。。まさに暗中模索を繰り返すわけです。
この時の心理状況を想像して見てください。

将来的に売れるかどうかわからないものを
赤字を垂れ流しながら作り続けている。
場合によっては応援してくれる人より、非難される場合が多くなるかもしれません。
それでも、続けてゆくことができるだろうか?
身の毛もよだつ話ですが、これがスタートアップの真実です。


30代になってみて、周辺を見渡すと、生き残った作家しかいない状況です。
彼らは優秀で、最後まで諦めなかった人たちです。
どんな状況であろうと休まず作り続けてきていたのを僕は見ていました。

一部の天才を除いたら、食えない時代を必ず通過します。
それは企業のスタートアップのように、成功率の低い試みです。
起業家の自伝を読むと、寝る時間を惜しんで、仕事に明け暮れる日々があり、
大きな挫折や失敗を乗り越えてきたことがわかります。
その先に明るい未来があると信じることができるなら、
また明日仕事部屋に入って次の作品を作り始めなければならないのです。

普通のサラリーマンだった父が漆掻きになる

六月は漆かきが始まるシーズンです。
父と僕と漆かきの記事をリライト。


父は普通のサラリーマンでした。
退職するまでNTT一筋で働いて僕と姉妹を育ててくれました。

実家の家業は梨農家
20世紀梨といえば鳥取県というイメージがあると思います
幸い祖父母がとても健康だったため、父が退職するまで
専業農家として土地を守り
父親は週末の兼業農家を続けて退職を迎えたわけです。

16年前から家業の梨を一切やめて梨の木を全て伐採。
そこに漆の木を植えました。(家業は米と野菜作りにシフトしてゆきます。)
さらに数年に分けて、第2、第3の植栽地にどんどんと漆を植えてきました。
今から冷静に考えてみると、
20歳そこそこの自分の、作家としてのエゴに家族や家業を巻き込んだとんでもないことをしてしまったとも思います。
しかし、漆の木は漆液を採取するまでに10年以上かかるので
活動の初期において、植栽をスタートしていたため
このように初個展に全て自分で管理した最良の漆を使うことができたのです。

さて、漆を採取する人を
「掻きこ」や「漆掻き」と呼びます。
紙すきの夏場の仕事として、また専業の職人としての歴史があります。
独特の道具を使って漆を集めますが、
どのような仕事をしているか紹介します。

漆の木から樹液を集めるという作業ですが、
自然相手の仕事です。
木の負担を最小限に抑えつつ良質の漆を最大量採るために
漆に傷を四日ごとに入れてゆきます。
この傷を「辺(へん)」と呼びます。

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この辺を入れたところから漆を集めてゆくわけです。
我が家は今年10本漆掻きをしたので、1日に3本のサイクルで
父は毎日漆畑に通いました。
(掻き傷を入れた木は四日間休ませます)
そこから得られた漆を小分けの試験管に日付をつけて保存して
一定量取れた段階で京都の工房に送ってもらいます。

漆は10年育てて200グラムと言われるほど採取量が少なく貴重です。
しかし、父から送られてくる漆は10本で5キログラムを超えます。
これは元々梨の植栽地だったため土が最高であることが考えられます。
そして、父親ができるだけ無駄なく採取しようとした木への愛情と
根気からくるものです。

漆掻きという伝統的な技術ですが、
父は持ち前の勤勉さと愛情で1シーズンですっかりプロの漆掻きになったような気がします。
漆の質はどうか?
それが最高なのです。まだ6月7月に採取した「初漆」しか使っていませんが、
乾き、伸びが良く「初漆」としては最高クラスの使用感です。
さらに、蒔絵に使う絵漆や塗り込みの呂色漆もクオリティが高いのです。
ただ、秋口に採取する末漆は下地に使いますが、乾きが悪く、京都の冬には不向きでした。


春頃まだ柔らか〜〜い父の顔ですが

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9月はじめに会ってみると
道具が本格化していて

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佇まいもなんだかプロっぽい。。

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秋になって会ってみると

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完全にプロの目だった。
なんかかっこいい。

ありがとうお父さん。

好きを作り出すこと

僕たちは色々な感情の中で生きています。
喜怒哀楽という言葉では言い表せない多様な気持ちの中で揺れ動き、
そして、その集合体が社会です。

作品を作る上で、
誰かに僕の作品を好きになってもらうためには何をすれば良いのか。
また、好きな女の子に振り向いてもらうためにはどのような人間になれば良いのか。
結構切実だったりしますよね?

結果からいうと、「好き」を作り出すことはできないとわかりました。
美意識とか、嗜好などプラスの感情や
恐怖や嫌悪などのマイナスの感情の多くも、僕らは教育や経験に基づいて選択、あるいは生まれる感情なのだと気がついたのです。

例えば、
パクチー、セロリなどの強い匂いの香草、普通に考えたら
料理の味を総取りするくらい強い個性です。
それを好きだと思えるのは教育のためだと思うのです。
僕は好き嫌いがないのですが、それは母親が小さいころからたくさんの食材を使って
それを食べることに関して、褒めてくれていたからだと思います。
つまり、
好き嫌いが無い=良いこと
好き嫌いが多い=悪いこと

また、マイナスの感情も
何かのきっかけによって生まれています。
例えば、ゴキブリ
よく見たら、カブトムシの仲間みたいに綺麗にも見えるのでは無いでしょうか?(それは無いかw)
いや、むしろ黒く光っていて昆虫の黒ダイヤみたいな形容をして見ても良い。
ただ、僕たちは幼いころからゴキブリは悪であるという教育を受けています。
ゴキブリを効率的に殺害するための新兵器のcmを何度も目にしてきているし、
出現したゴキブリに対する悲鳴も何度も聞いてきました。
そして、僕たちはゴキブリを嫌いになったのだと思うのです。

結局のところ
「好き」とか「嫌い」という感情を
誰かに持ってもらうのは難しいのです。
いや、長い教育期間を通して「蒔絵は最高だよね」とか
「蒔絵の良さがわかる君は最高にクールだ!」と言い続けることができるなら可能かもしれませんが、
それは現実的ではありません。

ただし、そこで諦めていると何も変化が起きません。
誰かの感情に何かを届けることができるとすれば、
それは自分がその人を好きになることしかないんですよね。
つまり思いやり
それでも、この思いというのは一方通行になることの方が多い。
僕がどんなに「蒔絵って最高なんです」と話しても
多くの人は、過ぎ去ってゆきます。
最近でいうと、僕は海外への発信機会を求めているので、
たくさんの海外ギャラリストへ情報発信をしています。
中には個展に足を運んでくれたり、工房を見学しにきてくれる人もいます。
だけど、「okうちで個展しようぜ!」とは、ならないのです。
時間の割に結果が伴っていないのです。
でも、近いうちに僕は海外での発表機会を拡大できると信じています。
それは、僕が「蒔絵を海外へ紹介したい」と思い続けて行動しているからです。
何か行動を起こしている限り、可能性はゼロでは無くなります。

「好き」は作れないけど、
好きになってくれる人に出会う行動を続けることはできます。
そんな積み重ねが今の僕と、僕の作品です。
思いやりを忘れなければ、いつか夢が叶うんです。

芸術家は孤独で貧乏な存在なのか。 リライト記事

芸術は売れなくてもいい。好かれなくてもいい。芸術は認められなくてもいい。成功しなくてもいい。自分を貫いてぶつけて無条件に自他に迫って行く事が芸術だ。
– 岡本太郎(芸術家)

日本では芸術家についての一般的なイメージってこんな感じではないでしょうか。
実際に美術教育もこういう

自分を出してゆくもの。
社会と隔離されたもの。
理想の世界。
気持ちを芸術活動に全力でぶつける存在。

みたいな教育が本気でおこなわれています。
僕は通信制の大学で日本画を学んだ経験がありますが
気持ちやプロセスを大切にする教育や、
売れない自己表現
わかりやすい情熱を画面にぶつける事が良い
そんな空気が大学全体を覆っているのに、とても違和感を感じました。

他人がどういう指針で美術と関わるかは個人の自由なのでどうでも良いのですが、
僕は美術は人や社会の中にあるべきものだと思います。
個人の内心や美意識はとても大切ですし、
それを画面なり制作される作品に投影させる事も大切です。
そのために日々の鍛錬をして、理想の状態を作り出すのが制作活動だと思います。

ただし、その前提には必ず
コミュニケーションが必要だと思っています。
自分の家で作って、自分だけが見てるなら良いのですが、
人に見てもらおうと思うのに
「売れなくても良い」
「理解されなくても良い」
「共感を得られなくても良い」
などと考えていると
せっかくの、自分の美意識を社会と共有すると言うすばらしい理想と
逆の方向の思考を作品に負わせてしまう事になると思うのです。

プラスの力とマイナスの力が一点に集中して
どこにも進めていない状態です。

僕は美術を志したとき
必ずプロになろうと決めていました。
制作活動で生活できるようになりたかったのです。
工芸を学ぶプロセスはその上でとても役に立ったと思います。

はっきり言ってしまえば
工芸技術を学ぶのに気持ちや感性など全く必要ではありません。

技術はいつも十分ではないですし
圧倒的な上下関係があります。
先生には敵わないのです。

そういった鍛錬や技術の伝達というのは
若い時代、美術と向き合うときに、とても大切なプロセスだと思うのです。

技術には個性の入り込む隙間がないのです。
自分の手や頭脳をその素材に捧げて、やっと自分の表現したい事ができる。

その先にあるものは
美を通したコミュニケーションだと思います。
僕にとって芸術とは社会とつながるためのコミュニケーションツールなんです。

佐野藍さん「獣神達の昼さがり」を見てきた

佐野藍さんの個展「獣神達の昼さがり」が花陰抄 で開催されています。
今日は初日だったのでうかがってきました。

佐野さんは、立体彫刻でも珍しい、石彫の作家です。
作風は爬虫類とか、幻獣、獣神などを精密に造形する骨太な作品群。
石を削り出しているので、素材の持つ重厚感があり、佐野さんの作りたい、もしくは見つめている王国が圧倒的な質量で繰り広げられています。
見てると不思議と時間軸がブレるような気持ちになってきます、ローマ彫刻や、エジプト美術が展示してある美術館にいるような、背後に気配があるんですよね。
こういう感覚って、古い作品から感じられることが多いのですが、佐野さんの新作にはそういう気配があります。

作品1つ1つにストーリーがあり、展示全体に一貫したテーマがある「獣神達の昼さがり」とは、佐野さんの作り上げた王国です。
ストーリーの時間軸、素材の時間軸、佐野さんが持っている時間軸、そんな不思議な時間の流れる空間を体験できました。

会期 2018年5月26日(土)〜6月3日(日)
/休廊28日(月)
13:00〜19:00(最終日〜18:00)

ギャラリー花影抄リンク
http://www.hanakagesho.com/gallery/index.html

僕らは世界をどう見つめて行くべきか

美術だけでは無く、色々な分野に言える事ですが、
何かを開発するときには広い視野なんか役に立ちません。

例えば、アンケートを取りまくって鳴り物入りでデビューした製品って大方失敗するのは、主観が弱いからです。
そんな無責任な誰かの意見で薄まった何かを作るよりは、スティーブ・ジョブズさながら、卓越した主観で押しきった商品の方が魅力的になるわです。

だけど、主観というのは往々にして、独りよがりにもなりやすくて、多くのアーティストは主観を社会に同期させることができなかったり、社会との同期ばかり考えて、アンケートから作られたようなものを作ってしまいます。

実のところ、人間は正確な客観を持つことができないと思っていて、客観だと思っているのは、他人の感情を予測している主観とか、思いやりだったりします。

結局一周まわって、卓越した主観が重要になってきますが、それを伝えるのはやはり思いやりなんですよね。
僕の考える美術の有り様とは
「信念の具現化」なので、誰かの信念に同期される必要があります。

「先進美術館」という国家プロジェクト?

国が美術振興をすると内容がもっさりするのは恒例ですが、
今回の「先進美術館」というのも、多くの問題をはらんでいそうです。
まずは美術関係者の声を集めてみましょう。

多くのアーティストが怒っています。
この「先進美術館」という施策の内容、間違っていたら指摘お願いしたいのですが、
ざっくりいうと、
○国内のアート需要を掘り起こすために既存の美術館を「先進美術館」指定するよ
○「先進美術館」には補助金を出すから展覧会頑張ってね!
○展覧会で人気を集めて作品を市場に放出しよう!(!?)
○結果、アートシーンが円滑に回って、美術館も儲かるね(!?)
という感じでしょうか。

さて、この発想。やっぱりもっさりとしています。
問題があるとすれば、美術市場を構成している人に対してフォローがないところ。
つまり、ハコ(例えば美術館だったり、博物館)にお金出せば市場は活性化すると思っている。
残念ながら、美術市場は人の感情で動いています。
例え何らかの形で美術館から作品が市場に流れて、国内で流通したとして、
それが国際的な市場で戦えるかというと、全く別の話です。
日本のアートシーンは村上隆さんや奈良美智さんの活躍によって
世界市場への挑戦のステージにあります。
工芸もまさにそのステージに立っており、それを牽引するのは
国でも美術館でもなく、人の才能と努力と情熱なんですよね。

僕は何かを奨励する制度を設けるなら
イケてる作家に投資をすることが一番良いと思っていて、
イケてる作家は雇用を作り出すことができ、作品のクオリティが上がり
国内外への挑戦を加速させて行きます。
結果的に市場を回す力を拡張できるスピードが上がります。

ただ、イケてる作家というの補助がなくても
自分の力で市場を作り上げる力があります。
そのスピードを加速させることって、補助と関連性が見えにくいので国の施策になりにくいのは確かですね。


しかし、今回の施策には美術館への寄贈作品の税制面の優遇が含まれているようです。
個人蔵の貴重な美術品は、今までただの贅沢品でしかありませんでしたが、
優遇処置が取られて、個人の資産から国の資産という考えかたにシフトしてゆくならば、それは必要なことです。

間違っても
「しばらく美術館に所蔵しておいたし、そろそろ市場に放出しましょうか」
みたいなことには、、ならないよね?