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このブログの読者層

このブログの読者層はどんな感じなのか
ぼんやりと見えて来ました。
どうやってわかるかというと、
読まれている記事の視聴数の偏りでどの記事が読まれているかわかるので、
その傾向から見てみると、
ズバリ「作り手」が読んでいるな、という感じ。

ブログをスタートした段階で
どのような人に読んでほしい!みたいなのは無くて
自己表現の一種、考えの整理、
文書上手くなりたい。そのくらいの気持ちで書いて来ました。

これからも、漆を中心に
僕が考えていることを、ポツリポツリと書いて行こうと思っているけど、
若い工芸作家やアーティストに読んでもらえるのは嬉しいと思いました。
僕が試行錯誤して来たことを書いて、なんらかのヒントがあれば
無駄な失敗なく作家の道を歩めたりするかも。
そんな要素が1パーセントでもあればいいなと思います。

同時に、読者を気にすると書きにくくなる感じってのもあります。
例えば、お父さんとかお母さんが読んでるのわかってて
エロいこととかブログに書き込めませんよね?例えが極端かw
空気に向かって散文を並べるのとは少し違って、
「知り合いの〇〇さんが読むかも」と思うと若干の引け腰になったりもして、
「かっこよく書かなきゃ」なんて思ったり。。。

とにかく、恥ずかしいような気もするけど、
自己表現として、そして自分の考えのまとめとして
書き続けようと思います。
それが、少しでも誰かの役にたったらいいな。

少しずつ作品が売れて変わってきたこと

ここ2年くらいで、制作における材料費の創出は随分と楽になりました。
依然として自転車操業なんだけど、前みたいに「材料が足りないかもしれない中で作る!」ということは無いんです。
少し前だったら、金を蒔いては、振り落としたのをまた蒔いてという具合に材料工面に苦労しながらだったけど、
今は少しだけ余分を買えるから、次の作品の構想が練りやすくなりました。それは格段に。

ただ、制作の規模は拡大しているので、前と比べ物にならないくらい制作費が膨れ上がっています。
リアルな話、1作品100万円を超える制作費というのも現実的に起こって来ました。
時間とお金をかけているから、失敗が許されない緊張感が一層増して来たのも実感しています。
(ただ、その緊張感が嫌いじゃ無いw)

そして、生活面ではさほど変化はないけど、
移動が高速バスではなくなりました。東京⇄京都は主に新幹線で移動しています。

少しだけ、体験的なことにお金を使えるようになったことも変化です。
手の込んだ料理を食べるとか
宿泊先のグレードを少し上げること。
こういった、体験的なサービスを受けることは、制作にもプラスです。

このようにお金の使い道を自己投資的に振り分けてみると
加速度が増してゆきます。

良い材料を使う⇄時間をかける
というのは制作においての相乗効果があります。
材料面での心配が減ったこと、移動やその他時間を取られることを省くことで制作への効果はてきめんです。
書籍をたくさん購入できることも、インプットが多くなり、アウトプットの質が高まることへ直結しました。


今の収入では幸せにできる人が全然少ないし
もっと自己投資の幅を増やしたいから、頑張って仕事したい。
ただ、
好きな本を何冊かまとめて買える日曜日のお昼を少しだけ「幸せだなー」と思えるのです。

漆業界を活性化させるためには

漆業界はお世辞にも好景気とは言い難くて。
廃業とか、生産量減など、ちょっとネガティブなワードが耳に入ってくる機会が多いです。
バブルの頃は良かったという話は聞くけど、その時代のことを知らない僕らの世代としては、
低空飛行の現状がまずスタート地点だったわけです。

しかし、伝統工芸が景気の影響を受けているのは
単に需要の創出ができていないということで、
「いい物は作っているけど、時代が悪くて売れない」というのは、完全に間違いです。

どうすれば良いのか?という問いは自分自身にもして来たし、
業界全体を見つめた時にどのような働きが漆業界を活性化させられるのか考えて来ました。
そして見つけた答えは

いかに人を育てられるかということ

一般的に販売側は顧客の創出を第一に考えてしまいます。

それはある部分で正しい。
だけど、本当に必要なのは作り手を育てることだったのです。


今でも漆業界は学校教育の中で年間何人もの人材を安定して排出して来ています。
だけど、人は生まれているけど、育てることができていません。
つまり、卵はあるけど、育たずに腐っている。
結果的に作り手が不足して、業界が提案できる製品のクオリティは下がり
売れないというサイクルの中にあるのが、現状の漆業界です。

業界発展の初期段階には必ず、育むサイクルが必要です。
現代において、昔みたいな師弟制度を作るのって難しくて、
いとも簡単にブラックな労働体系になってしまいます。
それを変えるために色々試行錯誤していますが、答えが出るのはきっと五年後くらいでしょう。

僕はいい作品を作りたい。同時にいいチームと、
夢のある業界を作りたいのです。
それが結果的に漆を後世に伝えることになると思うから。

鳥取漆 2018

今年も鳥取の漆掻きが始まって2ヶ月目順調に辺(漆を採取する傷のこと)が増えています。
夏の一番暑い時期は「盛り漆」と言って採取シーズン中もっとも上質な漆が取れる時期です。

具体的にいうと、漆の中に含まれる主成分であるウルシオールが豊富で
透けがが良い時期です。
用途として塗りに使うウルシに精製するのに最も適しています。
また、夏の盛りは漆の出が良く、まさに盛りなのです。

さて、今年の鳥取漆ですが、ちょっと出が悪いです。
おそらく日照りが続いていて、木全体が乾いているのでしょう。

しかし少ないと言っても盛りのシーズンは旺盛に漆が流れ出ます。
この乳白色の漆が、精製によって漆黒に変わるってゆくのが不思議ですね。

今回の帰郷では漆掻きの撮影を兼ねて
動画のシネマズギックス監督の馬杉雅喜 http://www.cinemasgix.com
写真撮影にカメラマンの星野裕也 https://www.yuyahoshino.com
両氏に同行していただき撮影をして来ました。

それぞれの作品は追って公開してゆきます。

漆の質はどうか、それは使ってみないとわからないから、来年が楽しみです。

アイデアとは

オリジナリティのジレンマは
発想やアイデアがどういうプロセスで生まれるかを紐解くと楽になります。

美大なんかで「自分の内側から出てくる表現」などと言われますが、
何もないところからは何も生まれないわけで、
物や事が生まれるためには、いくつかの異なった要素が必要です。
人間だって、男と女がいて初めて子供ができるし、植物にも雄しべと雌しべがあるように、
生まれるという現象にはほぼ違った二つ以上のものが必要なのは宇宙全体で説明されているようなものです。

工芸の場合、プロセスを学ぶ行為は
100パーセント真似から入ります。
大方の技術は伝統技法として、確立されたもので
ある部分で変更が難しいのです。
その中でも少しづつ改良を重ねる事で、
オリジナルな技法になってゆきますが、
基本は伝統的な素材と技。

伝統工芸の習得プロセスは、厳格なところがありますが、
他の分野の習得プロセスも変わらず
真似から入るはずです。

例えば絵画表現・立体表現他の表現領域も
なんとなく真似て学んで上達してゆきます。
その先に自己表現のようなものが、待っているのか、いないのか、それは誰にもわかりませんが、
まずは多くの優れたものに触れ、自分のフィルターを通過して流れて出たものを見つめるところから始まります。

アイデアとは既存のパターンの新しい組み合わせ
僕が影響を受けたアイデアの本は全てこう語っていました。

失敗すること

僕は割と失敗の多い人生を生きてきました。
そう見えないと言われることもありますが、
自分では挑戦の何倍も何十倍も失敗してきたと思っています。

例えば
○不登校であったこと
○うつ病になったこと
○恩師と喧嘩したこと

色々あるけど、その一つ一つが
人生を狂わせる要素にもなり得えました。
実際にそれらの問題や失敗に直面した時
「もうダメだ」と思ったし
極端だけど
「死ぬしかない」と本気で思った瞬間もなんどもあったのです。

ただ、三十歳を超えてくると
それらの失敗にもなんらかの意味があったように思うのです。
少なくとも、失敗ができたという経験にはなっている。

別に自分がタフになったのではなく、
あることに気がついたことで失敗の意味は劇的に変わりました。
それは目的に向かって歩む限り失敗は必ずやってくるということ。
つまり、失敗するということは多かれ少なかれなんらかの挑戦をしているということです。
私生活での失敗はなるべく減らしたいと思っているけど、
制作やそれに関わる出来事での失敗は
「お、来たな!」くらいに思っています。
で、毎日のように本当に失敗しながら作っています。

すると、今まで見たことのないような表現に出会えるんです。
今まで高すぎる授業料を払って来たけど、
それは必要なことでした。

そんなことを学べた一冊

失敗は必然だけど、その先にしか成功は待ってないんですよね。

人は自分の持っているものしか、誰かにあげることはできないから

誰かに何かをあげようと思った時、当たり前だけど、それを所有している必要があります。
だけど、
心の中にある感情は、ふと、それを忘れがちになってしまいます。

感情だって、僕たちは自分が持っているものしか誰かにあげることができないのです。
感謝の感情や
優しさだって、自分に余裕があって、初めて誰かにそれを伝えることができます。

誰かに優しくできない時や、
辛くあたってしまう時は、やっぱり自分の心の中に優しさがなかったり、
辛い気持ちなのです。
でも、それは自分本来の姿ではなく、
水の枯れた植物のようなもので、
心にたっぷりの余裕があれば、同じ出来事も違った目線で見ることができると思うのです。
最近はずっと本展制作で疲れたけど、
心には少しの余裕を持てるといいなと思うのです。

本展制作ももう少し。
いつまでたっても慣れないけど、制作してると「生きてる」って感じがするんですよ。

今年の制作スタンス リライト記事

フリーランスの場合、作業時間がどうしても夜にずれ込んで、
夜型生活になってしまう人も多いかと思います。
僕は以前から制作開始時間を固定しているので、割と朝方の制作を続けて来ました。
開始時間を固定して制作するというのにはメリットがいくつかあります。

メリット1
作業時間を最大化させられる
いつも書いておりますが、美術は長期戦です。活動期間が長ければ長いほど有利になります。
開始時間を固定していないと、夜遅くまで、朝方まで作業してしまう日が出てきてしまいます。
すると、次の日起きる時間が不安定になります。逆算した生活をしなくなるので、ノっていれば成果が出るけど
次の日は成果が低いなんて事がおこってきます。
それは長期的に見ると、作業時間を減らす事につながってしまうのでよくないです。
体にも悪いので、朝方制作がきっと良いはず。

メリット2
社会の時間割と近い方が社会常識が通じる

夜型制作になるとメール以外世間と通じるツールがなくなってしまいます。
仕事が増えてくると画廊と電話したり、荷物が届いたり、昼間の活動が増えるのでその辺り社会性を試されてる気になるんですよ。
寝ぼけた声で電話出たくないので、朝から仕事します!
あと、スタッフに手伝ってもらうので、始業時間もきっちりしていた方がいいですね。

メリット3
精神力に任せた制作をしなくなる。

これがけっこう大きい要素なのですが、制作を精神状態に任せると100%活動時間が減ります。
ノってる日もあれば、そうでない日もありますが、そんなの関係ないですからね。
プロなので常に結果を出さなければなりません。
歴史的な名作になるようなデザインを思い浮かんだのに「調子が出なかった」で、平凡な作品にしてしまったら。。。

現代は情報がスムーズに広がる時代ですので、才能が埋もれる事がありません。
同時にあらゆる要素が複雑に入り組んだカオスな状況なので、そこを勝ち抜くには
長期的に活動を続けて、多作である。ことが求められていると思います。
鍵は作業時間の最大化だと思います。

あとは、正しい制作スタンスをパクる事だと思います。
ゴッホとかバスキアみたいな破滅型をパクっても、破滅が待ってると歴史が教えてくれてますからね。
パクる相手は正確に。

現在追い込みまっただ中でございます!
本展制作!ビバ!

ゼロをイチに変えてゆく

海外へのアプローチは継続的に続けていて、
特に昨年、京都に来てから情報を集めたり、発信したり、
目にみえにくい活動をして来ました。

海外における漆芸の市場は、ひいき目に見ても大きくなくて、
逆風が吹いているわけではないけど、
無風状態という中での活動でした。
具体的には、図録に英語訳を送って、日本美術のコレクションがある美術館に送ったり、
日本の工芸を扱っているギャラリーに送ったり、
直接話を聞きに行ったりしていました。

ただ、うまくいっていませんでした
直接「伝統工芸ぽい箱はちょっとね、オブジェ的なものを作って欲しい」という要望も多くて、
僕が今まで戦っていたフィールドで戦うのことの難しさを肌で感じていました。
実際何軒かのギャラリーはわざわざ個展に足を運んでくれたし
工房まで来てくれました、だけど、発表の機会にまで発展はしなかった。

最終的に僕がアプローチしていたとは別のギャラリーから問い合わせがあり、
そのギャラリーから紹介される形で作品がコレクターの元へ渡ることになりました。


つまり、僕が今まで行って来た努力は直接関係はなかったのです。
でも、僕が行って来た活動が無意味だったとは思えないのです。
例え関係のないところで物事が動いたとしても、
僕が懸命にゼロをイチに変えようとして来たのは事実です。

制作を通してどのような結果になるかは誰にもわからないけど、
明日また仕事場に入って作品を作ることはできます。
今までだって、無数のゼロをイチにして足したり掛けたりしながら制作を続けて来ました。
これからも信じて歩いてゆこうと思えました。

時間=価値 ではない。 (リライト記事)

漆芸作品は一般的に高価です。
その価格の裏付けとはなんでしょうか。
工程がとても多く、時間と手間、そして材料費が膨大にかかっているのは確かです。
しかし、それが理由で高価ならば、いくら質が良いからと言っても、この先漆業界は滅びますよ。
なんせ高すぎる。
時間がかかっているというのは作り手の理屈で、実際は価格に見合ったものになっていないから売れない。

ひょっとして手間がかかっている事が=価値に結びついていた時代があったのかもしれません。
でも、僕はそんな時代知らないし、それが正しいとも思いません。
だから、もの作りに携わるなら、この作業時間が長い=価値という感覚を捨てないとなりません。

試しに、三分で描かれたピカソのドローイングと三ヶ月かけて作られた僕の作品が、
同じ100万円で市場に並んだら、間違いなくピカソの方が先に売れます。
(ピカソのドローイングは100万円どころではないですけどね笑)
なぜそうなるかと言えば、ピカソの作品の方が価値があるからです。
自分が挑戦している分野の価値が低いというのではなく、相対的にピカソの方が圧倒的に価値が高い。

つまり、価値とは時間軸とは別のところで計られることになります。
もちろん、長い年月受け継がれてきた古美術には価値があるし、
長い時間かけて作られた作品には価値があります。
ただ、それらの時間の要素は副次的な要素のようです。

では、価値とは何かと考える時、僕が出した結論は
「人の感情」です。
美術は人の感情です。多くの作家が失敗してしまうのはこの「人の感情」を「自分の感情」だと勘違いしてしまうからです。
自己表現の完成は絶対条件ですが、その先に人の感情の揺らぎがないと世界にインパクトを与える事ができません。
自分以外の人の感情に価値を与えられるか?と問われているのが美術です。

人の感情は複雑です。価値基準も様々です。
お金に対する欲求、性的な欲求、食欲、社会的な地位様々な価値観が合わさって1人の人間が出来上がっています。

ピカソの作品はあらゆる欲求を満たしてくれます。
価格がが高くて、知名度もすごいので投資の対象になります。
所有している人は必ず成功者なので、一目で社会的地位もわかります。
お金があり、知名度もある所有者は人気者で多くの人が集まるでしょう。

このように所有者の感情を満たしてくれる部分が多いのがピカソの作品です。
何時間で描かれたとか関係ありません。


手間をかけて作られたものは上手くいけば美しいですが、
逆にそこに囚われてしまうと良くないことも多いです。
時間と価値が無関係だという前提に立った時に「それでも漆で表現したいことは何か」
そんな問いから今の制作が生まれて来ました。