カテゴリー別アーカイブ: 思う事

仕事を断る

最近仕事が多くて
制作がものすごく忙しくなって来ました。
これ、以前書いた陥りやすいヤバいサイクルに見えるんですよね。

仕事が多い

作りまくる

疲れる

質が落ちる

この無限ループに陥る寸前なのでは無いか?
歯どめかけるために、これからは仕事を断ることにしました。
ただ、すごーくやりたい仕事だけはしてゆきます。

さて、この負のサイクルって日本全体が陥っているループなのかも?って思うんです。
よく日本の時間あたりの労働生産性は悪いと言われていますが、
みんな疲れているのでは無いか。
だから、どんどん生産性が落ちて仕事が溜まって、、、、
考えただけで気が滅入ります。

物心ついた頃にはバブルが終わっていたので、
日本がイケイケの時代を知らないし、この小さな国が
世界屈指の経済大国(データ上今もそうなんだけど、現状は厳しいですよね。)だった頃の空気感や
実際の経済活動を実感として感じることができないから「なんでこうなっちゃたの?」と思うんですが、
つまりは、疲れちゃってる。の一言で言い表せてしまうのでは無いでしょうか。

色々と難しいけど、断ることが上手くなれば
それだけ生産性も上がるのでは?
特に、学校教育からの流れで、「苦手なことを一生懸命やるのがよし!」
みたいな空気が全体に漂ってるけど、
生産性を上げようと思ったらこれをしていてはダメですからね。

けっきょくのところ、自分が好きで得意なことだけをするというのが
もっとも健康にもいいし、生産性も上がる。
仕事の見極め難しいけど、立場上難しかったりすることもあるだろうけど、
やっぱり生産性を上げるには
断るが鍵なのでしょう。

平行線

どんなにいいことをしたって、善人だって一定数そんな善人が嫌いな人はいる。
作品だって、そう。万人にウケる作品なんてない。

「まあ、そんなもんだよな」と思いつつも
やっぱり、無関心だとか、無理解や批判には
その度に疲れてしまいます。

でも、平行線をたどる思いと思いってのは
人の世の中では当たり前で、受け入れてゆかなければならないのでしょう。
というより、強烈な批判を受けるというのは
それだけ、活動にインパクトがあるということなのだから、
ある部分で批判も必要なのでしょう。

それでも明日はもう少し違う1日にするために
少しでも前に進むために
誰かとの平行線を歩み続けなけらばならないのでしょう。

いつだって僕らは心の問題を解決できない

時代が変わって、技術が進歩しても
人間が持つ人間らしさは変わってなくて、
いつだって僕らは心の問題を解決できてないのだと思います。
100年も経つと、街の様子は様変わりするだろうけど、
きっとその時生きている人たちは、僕たちと同じことに悩み
苦しんでいるのだと思う。

だからきっと、美は人間にとって必要なもので
知識は必要だけど、過去の名作を理解することができる。
だって、美術とか芸術は人間らしい部分が多くて
時代をこえて理解できる部分も多いでしょう。

最近、僕の制作テーマは
「生きていることの称賛」というモワッとしたもので
それはつまり、個人的には問題の解決だと思ってます。

「なんだそりゃ?」
ってかんじだけど、朝日を見たとき、
夕日を見たとき、綺麗な三日月。
好きな人。
個人的な光を形にできるんじゃないか。
そして永遠に近い形で保存できるのではないか。
その光は、誰かと共有できるはずだ。
そんな仮説のもと作っています。

これから先もいつだって、心の中の問題は解決されないまま人類は歩んでゆくけど
ずっと先にでも
「ああ、あの時代にこんな光を作ったやつがいたんだな」と思ってくれる人がいたらいいと思うのです。
もちろん、僕自身もその光を浴び続けていたいし、
力づくでも共有したい美なんですよね。

大人になるとどんどん自由になる

子供の頃、大人になるってどういう感じだと思っていましたか?
僕は大人っていうのは自由なものだと思っていました。
周りに自由な大人がいたというわけではなく、ただ漠然と。

結果的に僕は自由な大人になりました。
ある意味で自由業とも言えるような「作家」という職業であるから、極端に言えば自分の好きな時に好きなだけ働けます。
ただ、僕の場合仕事開始時間が固定されているので、会社勤めをしている人と変わらないワークスタイルです。
ではなぜここまで自由を感じていられるのか。
それは、単純に好きなことを仕事にしているからだと思っています。
極端に言えば、好きなことしかしていません。

大人になるというイメージが自由であるか、そうでないかというので青春時代の過ごし方が変わるような気がしていて
よくいう「社会人になると遊べないから今しっかり遊ぶ」という大学生。
はっきり言って「大人になった方が遊べるから、今はしっかり学べ」と言いたいです。
大人になって自分でお金を稼げるようになる方が、遊べるのは当然です。
時間も働き方によっては、自由にもできるでしょう。

僕の場合、利益率の極端に低い仕事をしているので、現段階でそんなに自由なお金は持っていないけど
それでも学生時代よりはマシになりました。
そして、最も大切なことですが好きなことを仕事にしていると、
仕事が趣味のようなものなのです。
ライフワークバランスの大切さが謳われる昨今ですが、
時間を忘れて没頭できることに毎日たずさわれているから、苦しさはありません。

何より朝起きた時に「さあ、今日も仕事するぞ!!」と心から思えるし、
毎日ワクワクできます。
そして自由を感じます。
締め切りだらけだけし、ストレスも多い仕事だけど
生きている実感があります。

自由には色々な形があると思うけど
朝から働いて夢を形にしてゆくことにも自由さを見出せます。
明日はもっと自由だし、10年後にはもっともっと自由な自分がいると思います。

マインドフルネス・瞑想・なんだかなあ。。

僕は知識から入る癖があって、気になったことは本を読んで知識を得てから行動することが多いです。
例えば、中学の頃からギターを弾いていたのですが、それもギター雑誌を読みまくってギターを選び
そしてとにかく本を読んで色々と知識をつけました。
「弾いて覚えろ」と思われるかもしれませんが、とにかく知識を先行させたいタイプなんです。

最近気になっているのが、休息方法です。
それこそ「休めよ!」って感じですが、
仕事がすごく好きなので、あまり休息をとれないのです。
なので、とにかく休息のヒントになるような本を読みまくっています。
すると、、、
出てくるキーワードが
マインドフルネス
瞑想
認識としてはほぼ同じものだと思ってますが、
言葉の響きが良いのか、最近はマインドフルネスというリラックス方法というか、まあ瞑想が流行りまくっています。
このマインドフルネス、著名人も実践していたというお墨付きで
スティーブ・ジョブズもやっていた!
とか
グーグルも取り入れている!
とか、とにかく海外で流行ってるよ!という見出しが多い。
何冊か読んだら、だいたい内容と方法はわかるので、他の休息方法の本を読んでみるのですが、
最近の本だとやはり現れてくるマインドフルネス
まあ、わからなくもないですよ。
瞑想ってのは歴史があって、ちょっと神秘的で。。
でもさ、ここまでごり押しするかね?

騙されたと思ってやってみたらいいんだろうけど
毎日美味しいもの食べて、よく寝てたら疲れなくなったよ。
とにかく、マインドフルネスは後回しとなりました。

それより、
作業中のゾーンに入ってるような状態や
無心で作ってる状態ってマインドフルネスなんじゃないかと思ったりもするんです。
祈ってる状態やお経唱えてる状態に近いと思うんだけど、どうかしら?

インプットできる状態というのは

生きていると、昨日ようりは、去年よりは
少しでも成長したいと思います。

だから、少しずつでも新しい知識を蓄えて、昨日と少しだけ違った自分になろうと思います。
このブログだって、自分の考えを記録しておくためのものだけど、やっぱり何らかの有用な情報の発信源でありたいと思うし、
何より自分が考えていることを文書化すると、新しい自分に気づくきっかけにもなります。

ただ、今年はとても忙しくてまともな休みが取れていなかったり、環境の変化に対応できずに
疲れがいつもたまっていました。すると全然考えがまとまらないし、何よりもインプットができなくなりました。
具体的にいったら、本が読めなくなったし、図録を眺めるのも苦しい日々が続いていました。
だから、何かを学ぶためには安定した精神状態と、適度な休息が必要だと思ったわけです。
10月に入って忙しさは変わらないのですが、常勤スタッフが入ってくれたことに加え、週数回入れるスタッフが安定して仕事の手伝いをしてくれること、事務関連の仕事の一切を任せられるスタッフがいることなど、制作に集中できる状況と精神的な安定ができました。

同時に、少しだけ休みを取ることができるようになったし、古本屋に行って美術関連ではない本を手に取る余裕も生まれました。
やっぱり、作っているのは生身の人間だから、いつもフル稼働できるわけではなかったのです。
ただの読書や、簡単なインプット・アウトプットですら、心に少しだけの余裕がなければできないようです。
最近は休息に関しての本もたくさん出ているので、良い部分を取り入れて京都での制作サイクルを作って行ければと思いました。

見えない努力は実はバレバレになる。

有言実行もいいけれど、
日本人に愛される不言実行
隠れた努力。

僕は謙虚さのかけらもないのでギャーギャー騒ぎ立ててるのだけど
それでも、こっそりやってる日々の努力があったりするのです。実は。

で、それって本当に人目につかないことなんだけど
そういう日々の積み重ねが大切なのだと思うし
目に見えないようで、誰かが必ず見ていてくれたり、感じてくれているのだというのがわかったのです。

なぜそう思うようになったかというと
仕事を手伝ってくれるスタッフにそういう日々の努力を感じたからです。
例えば、朝30分以上前に最寄駅に来て、モーニングを食べながらメモを取っているところを目撃したり(メモの内容は知らないけど。)
昼休憩に図録を見ていたり、
それって、何気ないことなんだけど、
そういう努力や仕事姿勢を見つけると
「ああ、この人は漆が好きなんだな」「真面目に仕事に向き合ってくれているんだな」と思うのです。

同時に以前の自分に重なるところがあったり
それは見えない部分だと思っていたものが、実は誰かに気がついてもらえていたり
作品に現れているのかもしれないと感じたのです。

そう、見えない努力だって、バレバレになってしまうんですね。
それ自体見えなくたって、日頃の発言や行動に小さな輝きとして現れてくるのでしょう。もちろん作品にも。

最近のこと

京都に来てから比較的人に会う機会が多くなって
ある部分での孤独感というのはないのだけど、
なんとなく一人の時間をうまく過ごすことができません。

埼玉の時に一緒に過ごしていた相棒のボーダコリー、ブーと別々に暮らしていること
慣れない土地での生活など、理由はたくさんあるだろうけど
個人としての充実感が気薄です。

それに加えて
本当に信頼できる人と美術の話をしていないような気がします。
大切にしていたこと、大切だったものが身から剥がれてゆくような気分です。

こういう時、
「今一番何がしたい?」って自分に問いかけてみると。
「仕事がしたい」と返って来ます。

一日が終わって寝る間際に
「今日はしっかりできただろうか?」と考えても
「もっと!もっと!成果を上げろ!」という不満がわきあがります。

これ以上できないとこまでやって来ているのに
足らないことばかりです。
せめて、ゆっくり寝ることができればいいのだけど。

個展と本展制作の疲れが今頃出て来たのでしょうか。

言葉の罠

若いうちに色々な人からアドバイスをもらいますが
はっきり言って、良いものと悪いものがあるように思います。
「目上の人が言ってることだし。。。」
「自分経験不足だし。。」と思って鵜呑みにすると
得るものが無いというのまだマシで
害になるものもあります。

まず、
「なんでも良いからたくさん見ろ」
これは本当によく言われることだけど、
大雑把すぎる助言です。
例えるなら、ロックを目指してる青年に
「演歌から、AKB、クラシック、洋楽までなんでも聞け」って感じ
ここは好きなのを聞いとけってのが正解で
一枚のアルバムが一時間だとしたら活動時間が8時間しかない1日のうち8枚しか聞けないんだから
演歌とかクラシック聴いている場合じゃない。
「ロックを聴きまくれ!」

その2
「売れてるものがいい作品だと思ってるの笑」←売れてない人が言うこのセリフ
まず、売れてない作品より売れている作品の方がいい作品という可能性は高いです。
さらに言うと、売れてる作品のみが美術史に残る可能性を秘めています。
生前売れて無い作家で死後売れる美術作家はインパクトありますが
生前に成功して美術史に名を連ねる割合に対して
死後認められる可能性は相当低いです。
売れなくていいなんて言ってる人は
誰のお金で新しい作品を作っているのでしょう。

その3
「美術は食えない」
僕もたくさん言われて来たことなのですが、
「美術は食えない、漆は食えない」
これは嘘です。
僕が尊敬して会いに行った先生方はお金に不自由していませんでした。
まずその「食えない」という前提を振り切らなければならないし、
食えてる作家に一人でも多く会うべきです。

日本人でも世界と戦える作家が出て来ています
村上隆さんや奈良美智さんは世界の第一線で戦っていて
「貧乏、食えない美術」と無縁の世界にいます。
そういう第一線の人たちと同じ時代に生まれたのだから
さっさと会いに行けば
どの言葉が本当なのかわかる気がしませんか?

本当にそれ漆で塗る必要あるの?

最近は伝統とか工芸というキーワードが
以前に比べて認知されてきたように思います。
それは、僕が漆をはじめてから今までの間に随分と風当たりが良くなったというか
完全無視の状態から脱しつつあるように思えるし、
これは、先生方や、先輩のおかげがあってのことです。

しかし、この追い風に
懸念していることもあります。
話題性のために、作らなくても良いものまで作っているのではないか。
簡単に言えば、
「それを漆で作る必要あるの?」
「それに漆塗る必要ある?」というものが増えているように思います。

確かに、一時的にメディアに取り上げられるかもしれません。
しかし、それで何が起こるのでしょうか。
「認知が広がる」と言われるかもしれませんが、
一般化しすぎた認知の先にあるものは
価格競争ではないですか?

今だって100円ショップに漆(漆が使われてなくても漆表記OKだから、本当は漆じゃないけど)が売られてて
「もっといい漆器を買ってほしいなー」と思ってるのに
どこまで認知を広げたら良いのでしょうか。

話題を作るのはそんなに難しいことではありません。
本当に漆や蒔絵の良さを理解して「あなたからこの作品を買いたい」と言ってもらうことの方が
何倍も難しいし、大切なことのように思います。


漆は優秀な塗料であり接着剤です
使いこなすことができれば、あらゆる造形制作が可能な優れた天然素材です。
しかし、弱点もあるので
しっかりとした技術と知識を持って
適材適所に使う必要があります。

漆は何にでも塗って付加価値が上がるものでもありません。
弱点として、紫外線に弱かったり、
塗装工程が多く高額になります。
無理に使うと評価が下がってしまいます。

もう一度「これに漆を塗る必要があるのだろうか?」
と、問いかけて、大切な漆文化の未来に必要なものが一つでも多く生まれてほしいと思います。