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信頼がお金に変わる時代に作家ができること

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現在は信頼が数値になりやすい時代になりました。
考えてみてください、ちょっと前まで家電を買う時
電気屋さんのオススメを聞いて買ってましたよね。
でも、今は電気屋さんのトークなんて信用しません。
それより消費者の声がダイレクトに聞けるアマゾンのレビューに価値があります。
なんせ立場が違います。売り手の売り文句より、同じ立場の声の方が信頼に値しますよね。
つまり、物を買う時の1つの指標に同じ立場の人の声は信頼で、
その数は信頼の数値化といえます。

◆sns上では、フォロワー数もある部分で信頼の量と言えます。
発信力と影響力という面では、テレビに変わるメディアになるのは時間の問題でしょう。(いや、すでに変わってるか)
ここまで、信頼の形が今までと変わって来たということを言いましたが
それがお金に変わるというのはどういうことでしょうか、
アマゾンの例では、レビューが伸びる商品は上位表示されるし
さらに売れる構造になっていますよね。
snsも同様に発信力がある人は、さらにその影響が拡散されて
ブロガーやyoutuberといった新しい職業が生まれ来ました。

◆では、美術はどうか
やはり、sns上での人気は実世界とつながっています。
世界的なアーティストにはフォロワーが多いです。
僕たちの世代より上の人の場合、実世界の人気がフォロワー数につながるという動きだったことが想像できるけど、
今後はsns上の人気から実世界への人気となるアーティストも増えてくるように思えます。

すでに音楽の世界では、youtubeやニコ生の配信からプロになることは当たり前だから
美術の世界でもそのような流れになってゆきます。
ただ、美術の場合、扱う物が一般的に高額なため、
音楽配信や漫画の配信のように多くの人から少しずつお金を集めるモデルが作りにくいです。
例えば、音楽のダウンロードとか、漫画のダウンロードは数百円ですから
人気がダイレクトにお金に変わりやすいですよね。好き→課金がしやすい。
美術の場合、一点ものだと、世界に一点しかないので
上記のビジネスモデルとは違って来ます。

◆つまり、認知されている量が多くても実際に
購買につながるのはほんの一握りの人に限られて来ます。
これは単純な数ではなく、信頼の大きさが必要になって来ます。
広く知られていることはその中に潜在的なお客様がいる可能性があるけど
重要なのは作品と作り手の持つ信頼感なのです。

僕は作家ですが、作品を買うのも好きなコレクターでもあります。
本当に尊敬できる作家さんの作品って、
ある部分で作風を超えてその人の作品があるだけで勇気がもらえるような感覚があります。
現代は信頼が数値化されやすい時代で
そこには認知だけではない力があります。


知ってるだけのあの人より
信頼できるあの人を大切にしたいというのは
時代やシステムがどんなに変わっても変わらない人間的な部分なのですね。

美術作品を贅沢品ではなく社会貢献のツールにするには

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日本における美術品の購入はお金持ちの贅沢として捉えられがちです。
これはZOZOの前澤さんがバスキアを123億円で購入した時もアンチに騒がれたことからもわかります。
コレクターがコレクションすることで叩かれる意味がわかりません。
が、実際に公私どちらとしてもお金が美術に使われることを否定的に感じる人がいます。
過去にも東京都が現代美術館が1995年の開館時に約6億円でロイ・リキテンスタインを購入した際に、問題になったようです。
今となってはリキテンスタインの代表作を6億円で買っていたなんて「よくやった!」と絶賛したいけど、
当時は「公費を漫画に使いやがって!」みたいな空気だったのでしょうか。


実際のところ美術は単なる贅沢なのでしょうか。
同時に美術に公共性があるとしたらいかなるものなのか。
コレクションされた作品が公共の利益になるとしたら2つのパターンがあるように思います。
まずは、寄贈による美術館収蔵
そして、財団や私設美術館による公開

明治工芸の一大コレクションを作った三年坂美術館の村田館長は後者と言えます。
ZOZOの前澤社長も近い将来美術館作るのでは?と思っています。
現在私立美術館として公開されているものも、財閥や大名がルーツになっているものが多いです。

一方で、日本美術の弱点は寄贈の文化がない、または一般的ではないことでしょう。
実は日本の美術館って予算が少なくて、新規のコレクション収蔵に苦しんでいます。
美術の振興に国が予算をつけて、たくさんの美術品をコレクションするというのは理想ですが、
なかなかそう簡単ではないんですね。
なので、ポイントになるのは、価値の高い寄贈によるコレクションの形だと思います。

最近では、アメリカのメトロポリタン美術館への竹工芸の大規模な展覧会と寄贈があり
工芸関係者としては胸熱でした。本当に。


そこで思うのが、コレクションへの寄贈文化の違いです。
どうやら、アーティストとギャラリストとコレクターと美術館が滑らかにつながっていて
美術の体系が出来上がっています。
つまり、アーティストが作ったものをギャラリストがコレクターに勧める
それが将来、どこの美術館に収めて、どのような社会的価値があるのか、
そこまでギャラリストがマネージメントしているようです。

日本の場合、それぞれが分断されているようなイメージで
作品は売れた瞬間から行方不明みたいな感じ、そして所有者が変わったとしても
誰も知られずに、押し入れに入ってしまうみたいなことが起こります。

アートの市場が弱いというのはつまり、流れがないということのようです。
アーティストとギャラリストとコレクターと美術館という流れができて、寄贈への税金優遇がさらに拡大されたら
きっと美術作品は贅沢品ではなく、より社会貢献のツールになると思うのです。

「ボヘミアンラプソディ」を見てきたよ

話題の「ボヘミアンラプソディ」
クイーンをモデルにした映画です。
僕が行ったのが、フレディマーキュリーの命日
11月24日

別に、その日を狙って行ったわけではなかったのですが
上映回は「熱狂応援上映」という特別メニューでした。
クイーン×熱狂上映て相性抜群では?

ちなみに、「熱狂応援上映」とは、館内で騒いでいい上映です。
海外の映画館だったら、割と笑い声とか、ツッコミが起こりますが、
日本の映画館って、完全なる静寂を観覧者に求められていますよね。
考えてみてください。
「We Will Rock You」の
ドン、ドン、チャ🎶
というイントロが館内で起こったら。。。


映画の感想としては
ロックと映画館の相性がとにかく良くて、上映序盤からモチベーションマックス⤴︎になります。
とにかく大音量でど迫力。
クイーンは何枚かアルバムを持って聞いていましたが、
代表曲くらいしか知りない「ファンじゃ無いけど知ってる程度の客」として見に行きました。


フレディは人種差別を受ける出っ歯キャラという設定
でも歌わせたらスゴイ。
クイーンのメンバーと出会い成功してゆく。

CDでもフレディの歌唱力はわかりますが、
映画で見ると(俳優さんだけど)あらためて、
フレディ・マーキュリーが歌唱力おばけだったことを実感しました。
それとともに、ブライアン・メイのギターがかなりかっこいい。
実は、ブライアン・メイのギターを集中して聞いてきませんでした。
理由は音楽のジャンルとして、クイーンの音楽が多彩すぎてギターバンドというイメージが無かったからかな。
映像とともにギターサウンドを聞くと、その独自性や超ロックしてる側面のクイーンを目の当たりにしました。


ストーリーは、成功、メンバー間の対立、恋愛、ドラッグ、復活といった、バンド系映画の王道ストーリーです。
でも、スピード感のある進行と音、館内の雰囲気のライブ感が心地よかったです。

「ボヘミアンラプソディ」は映画館がおすすめです。
最後の20世紀最大のチャリティ・イベント“ライブ・エイド”のステージを体感し
「熱血応援上映」でドン、ドン、チャ🎶やってきてください!

作品価格が上がって 得るものと失うもの

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作家にとって、作品を作り続けるために、
キャリアを形成し、作品価格を上げてゆくのは命題です。
お金の話を作家から聞くことに抵抗がある人は多いのかもしれないけど、
プロの作家として次の作品を作るためのリアリティ、お金は切り離せません。

僕の作品価格の値段推移を酒器で説明すると。
最初に作った酒器は35000円でした。たぶん25歳くらいの時。
その次のシリーズが65000円。29歳くらい。
次が125000円 30歳。
ちなみに一点ものの特別な酒器は1200000円になりました。
現在は、一点140000円から150000円です。

もちろん、価格を上げるのは新作を作りクオリティが上がっているからです。
最初期の作品と、現在のモデルでは造形、デザインそして作品としての完成度が全く違います。日々の鍛錬の賜物です。


さて、これまで価格が上がってきたことをお伝えしました。
今回のブログタイトルは「作品価格が上がって 得るものと、失うもの」
これを聞くと「いやいや、価格が上がって失うものなんてないでしょ」とツッコミを入れたくなりませんか。
少し、僕の気持ちを話します。

まず、僕の初期作は35000円だったわけです。
買ってくれたのは、知り合いや知り合いの知り合いです。
親戚のおじさんが買ってくれたりしました。
20代の僕はとても嬉しかったです。

それから、どんどんと作品のクオリティを上げてゆくと
最初に買ってくれていた人が、買いにくい価格になってゆきます。

そうです。僕は最初に応援してくれていた人に作品をコレクションしてもらうことができなくなるのです。
そして、価格が上がるということは、まだ見たことのないお客様の世界観に突入することになります。
僕の父はサラリーマンだったから、
身の回りに社長とかお医者さんみたいな収入の多い人のイメージが全くありませんでした。
でも、価格が上がれば、当然お客様はこのような立場の人になってきます。


価格を上げるというのは、そういうことです。
見たこともない世界観に自分と作品を突入させて、
そして、今まで応援してくれた人と別れることになります。

ちなみに、低価格の作品を残しながらハイエンドモデルの価格を上げてゆく作家もいます。
このやり方で行くと、ベンツが軽自動車も作るような構図になり、
ブランドとしての作家性が築きにくいので僕はしません。
つまり、僕の作品はいつも、現在が一番安い状況になります。次作る作品は確実に価格が上がります。


作品価格が上がって、入ってくるお金は増えましたが
そのお金は全て、人と材料に使っているので、僕の生活は全く変化していません。
というか、制作が趣味だし、他に欲しいものがほとんどないので
作っている毎日が幸せなんです。僕にとってお金は、その毎日のためにあります。

酒器の作品を年代順に並べます
最初のシリーズはまだ模様が大きかったです。

下の作品が65000円の作品。模様の精度も高くなってきましたね。

下の作品が125000円で個展で発表した作品です。
このシリーズは先日月刊美術で紹介してもらった「夕刻の海」限定2点で最後です。

ちなみに
金工根付作家の万征さんとコラボした一点もの作品は高価です。

カメラとレンズ沼問題

少し前から「作品撮りを研究する」と息巻いております。
その後、写真の師匠である中嶋さんからアドバイスもらったり、自分で調べたりしており、
とりあえず、カメラは買いました。

あまり迷いもなく
Sonyのa7R2

カメラのイメージ薄かったSONYだけど
最近とても評判がいい。
a7シリーズは3が最新ですが、画質以外は最新機能いらないので
一つ前のモデルを購入。

とりあえず、フィルムカメラ時代に使っていたニコンの50mm標準レンズをアダプタをつけて使ってみました。

スライドショーには JavaScript が必要です。

オートフォーカスに対応していないアダプタなので、マニュアルでパシャパシャ撮ってみたけど、
まあすごい。最近のデジカメはすごいとは聞いてたけど、ここまでとは。
4000万画素の力もあるけど、色味が以前のデジカメのように飛んでないという感じ。

色々なサイトを見ていると、描写力とか解像度などの文言が並ぶけど、
まさに高い描写力とクリアな解像度という言葉が当てはまります。

さて、次に出て来る問題。
それがレンズの問題。レンズ沼という物欲の沼が広がっていて
男心をくすぐりまくるのです。
で、結果的にその沼にはまりそうになり、自分の時間の大半をレンズリサーチに当ててしまうようになりました。
これではいかん。と思い中嶋さんに助言をもらうと
「24mmから70mmの標準ズームを選ぶといいよ」という神の一声
あとで書きますが、プロのブツ撮りに関する情報ってネット上にほとんどありません。
あったとしても、「簡易セットでオークション商品撮影をしよう!」みたいな感じで
作品を撮るというテンションではありませんでした。。。

ここで標準ズームという選択肢に絞られたんだけど、
そこにもまた広大な沼が広がっているのです。
結論から言うと、暗い階調が得意そうなSigmaというメーカーのレンズを買いました。
(ただし、SONY用でも僕のカメラとマウントの形式が違うため、専用のアダプタも購入)
sigmaはレンズメーカーでSONY純正ではない、いわゆるサードパーティーという括りで
一段下に見られているようですが、作例を見る限り、漆の黒を撮影するにはベストだと感じました。
まあ、撮って見ないとわかりませんので楽しみです。

そして、漆撮影でこだわりたいと思っているのが、
接写とアオリです。
まず、僕の仕事は最近細かい表現が増えて来ているので、そこを描写したいのです。
もう一つ、縦長の作品は普通のレンズで撮影すると、パースがついて、下すぼみで写ってしまいます。
それを最小にするためにアオリ撮影をします。蛇腹付きのレンズをイメージしてもらえればと思います。

こんな感じで接写撮影とアオリ撮影を行なってゆこうと思います。
撮影環境をもう少し整える必要があるので、セットで行う撮影はもう少し先になりそうです。


しかし、ブツ撮りについての情報がここまでウェブ上にないことに驚きました。
レンズもいわゆるブツ撮り用のものはありません
カメラ業界における、ブツ撮りの用途が限定されていることを痛感しました。
20代の頃撮影のお手伝いしてなかったら、もっともっと遠回りした挙句、撮影できなかったような気がします。

もうしばらく作品撮影をめぐる挑戦は続いてゆきます。

利便性の問題解決と美

利便性の問題解決に励んだ日本の方向性と美は真っ向から対立します。
このブログの読者の皆さんなら、気がついていると思いますが、
利便性を追求すると、そこから美がそぎ落とされてゆきます。

例えば、佐藤可士和さんのデザインしたコンビニ用コーヒーメーカーは
説明不足という理由から色々と説明シールが上から貼られて説明の塊みたいになった画像がたくさん見られます。
使いにくいというのはどうかと思いますが、
説明の先回りみたいな日本製品って思ったより周りにたくさんあります。
例えば、洗濯機をみてください。ドラム式だと特に、上面に説明や注意書きがたくさん。
「説明書かよ!」って突っ込みたくなるような。
一方で海外の家電ってあまり製品に説明が書かれていません。

確かに説明で埋め尽くされていれば、便利かもしれないけど、
そこに美しさはありません。
せっかく美しいフォルムの洗濯機を作っても、説明的なテキストにまみれてはそこに目がいってしまいます。

車についてもそれが言えるように思います。
車における利便性とは、自由な移動パッケージです。
自由には、内容量とか、快適な車内空間などが含まれますが、
それらの問題を解決しようとすると、自ずと形が固定されて来ます。
そこに日本車の強みがあるけど、ブランドが放つメッセージには利便性しかありません。
悪いことではないけど、美しさは遠のいてゆきます。


僕が作っているものには利便性の問題解決をできるだけ排除してゆきたいと思っています。
それは、現代における物と人あり方に少しだけ変化を与えたいという提案です。
つまり、僕たちは、身の回りの物は自分を中心にコントロールできる物として捉えていますが、
そうじゃなく、物に合わせる生き方も生活のどこかに必要だと思っているのです。
そしてそれこそが、美なのではないでしょうか。

偏った執着が魅力だったりする

優秀な人より、ある一定の物や事に執着している人が魅力的に映ります。
これはある意味当然で、
いわゆる答えのない問いに到達している状態っていうのは魅力なんです。

学校の授業と違って、専門分野に従事していると、
ある段階から問いに対しての答えがなくなってゆきます。
もっと言えば、問いを作り出すことが仕事になります。

僕の場合、美術に関する問いを続けていますが、
「どうやったら美しいものを作れるか」という問いから
「そもそも、なぜ人間には美が必要なのか」という、答えの出難い問題へ、
日々挑戦しています。
今のところの僕の答えは
美術とは、信念の具現化であるという仮説のもと、作品を制作しています。

ではなぜ偏った執着が魅力だと考えるようになったのか。
それは、ネット情報網が主権を握っている現代だからこそ顕著なのだと思います。
以前のように情報入手が新聞やテレビ等のメディア主体だと、多くの人が共通のソースから情報を得てきました。
しかし今は違います。それぞれに最適化された情報がインターネットを通して検索できるし、提供されているから
個人の頭の中にどれだけの情報が入っていようと、ネットワークにはかないません。
ほぼすべての知識はウェブ上に日々蓄えられています。つまり、優秀さとか博識の価値が転換しているのです。
誰かに聞くより、スマートフォンで検索した方が早いのです。

しかし、専門性を突き詰めてゆくと、
ネット上に存在しない問いに行き当たります。
そんな時、オリジナルな思考を持っていて、その解決に向かう知識というのは
人間に残された人間らしさに直結するように思います。
つまり、コンピューターに代替されない数少ない領域こそ
偏った執着でしょう。

一見社会に役に立たないような執着でも、
少なくとも、人間的な魅力になります。
今後、さらにインターネットの最適化が進むと
偏りの意味合いが変化してくるでしょう。
日本に10人しかいない偏った執着でも、舞台を世界にすれば、市場は数倍になります。

ウィキペディアに載ってないあなただけの執着はありますか。

百貨店と美術

日本における美術発信の大きなウェイトを占めている百貨店。
特に工芸分野における、発信場所としては、規模、歴史の古さからも
工芸といえば百貨店というイメージを持っている人も多いと思います。

最近「百貨店の企画が多すぎるのではないか。」と思います。
現状として、各百貨店には、それぞれ美術画廊があり、展示スペースが少なくとも二箇所
多いところになると4とか5部屋ある百貨店もあります。
もちろん、百貨というだけあり、たくさんの物を並べるのは百貨店のあり方に沿うものですが、
時代の流れとともに変化する必要もあるように思います。

作家として企画が多すぎることの問題点を考えてみます。

◯展示が多いと期間が短くなる
展示が多いということは毎週展示替えとなります。
数カ所の場所を埋めるために、月に何度も展示替えを行うことになります。
通常、個展やグループ展などの展示は1週間となります。
その期間を長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれだけど、
土日を二度はさむことができるだけの期間が理想ではないでしょうか。

◯企画が薄まる
年間で膨大な数の展示を開催するために
それぞれの企画が薄まって見えることがあります。
各展示それぞれ同じだけの力を入れるのは難しいので、目玉企画とそうでないものの差が生まれてしまいます。

◯お客様に伝わりにくい
作家として一番懸念していることが、お客様に伝わりにくいことです。
例えば、案内にしても美術画廊のパンフレットが届くと、たくさんの情報が詰め込まれています。
限られた紙面なので、現状仕方ないけど、展示の密度を上げて作品情報を少しでも大きくしたらより見えやすくなるでしょう。


色々思うことはありますが、僕も百貨店からデビューさせてもらいました。
そして、これからも若手作家のデビューの場として百貨店があるなら、
たくさんの機会が用意されていることはいい事かもしれません。

たくさんの情報を提供する場所が、リアルからネットに移り変わる現在、
本当に良いものだけを厳選した場であるとか、人との繋がりがある心地よい場所としての
百貨店という未来を描いた時に、美を提供する場としても美術画廊には変化の余地があるように思います。

百貨店が美術を扱うというある種の文化。
人と物との関わりが急速に展開する中、作家と百貨店が提供できる美的体験をどこまで追求できるか。
2021年の個展では、できるだけその辺りも追求してゆきたいと思います。

古典と歴史を学ぶ単純な理由

僕の工房にはたくさんの図録や美術関係の書籍があります。
現代美術から古典的な美術書があって、工芸関係が多いけど、幅広く集めています。
古いものや、歴史から学ぶことは多くて、今でも工芸史には関心があります。

最新の美意識を作っているのになぜ古いものを勉強しなければならないのでしょうか。
少なくとも技法的な知識は必要としても、工芸史まで網羅する必要とは何か。
僕の答えは
その時の最新トレンドを体験したいという単純だものです。
ものを見て学ぶことは多いけど、その背景を知らなければ、なぜその時代に美術の潮流はその方向に流れていたのかわかりません。
潮流を学ぶ理由は、現代にどれだけ応用できるかの一点です。

例えば、美術史的に見ると
千利休という人が、ただの茶人ではないことがわかります。
利休が行ったことはお茶を介したコミュニティの創造です。
具体的に説明すると、お茶を教えると言う立場から多数の実力者を集めたサロンを作り
そこで新しい美意識の流布を行います。
自分のブランド印のついた関連商品を発表し販売します。
文化は幅広く広がり、現在でも茶道という体系において利休の影響力は色濃いのでそのブランド力たるや強力です。
つまり、道具や作法を超えたコミュニケーションの場であり続けるから時代が移っても色あせない本流があるのです。
日本の美術史上空前のブランドを作った利休も戦国の歴史の中で縦横無尽に活動したことがわかります。

利休をただの茶坊主として見るのではなく、稀代のブランドメーカーとし眺めると
途端に美術しが面白くなりませんか。

時代は下って昭和に入り利休のビジネスモデルを使った巨人がいます。
魯山人もおそらく利休のブランド手法を意識していたのではないかと思っています。
魯山人は陶芸家という印象が強いですが、書家、料理人、評論家といった色々な顔を持っています。
陶芸家としては実際に手を動かすのではなく、卓越したプロデューサーという存在で
膨大な作品を作り上げました。
魯山人が仕組んだコミュニティの媒体は食でした。
高級美食倶楽部を作り、財界にコミットし自らプロデュースした器の価値を高めて行きました。

このように、利休を茶人、魯山人を陶芸家として見るのではなく
時代といかにコミットしていったかという側面を捉えるためには、歴史的背景と
その後の影響力を考えて見る必要があります。
もちろんその時代の最先端だったから爆発的なブームを生んだんだけど、その前段階となる人と事、時代背景があったはずです。
そのあたりを学ぶために、古典と歴史は必要になります。

古いものはすでに答えが出たものではなく、これからのヒントにもなります。

営業すること

美術と営業、一見かけ離れた言葉に感じます。
いや、かけ離れていて欲しいと思いたい人が大半なのではないでしょうか。
「作家の仕事は作ることであって、それを売りに歩くなんて間違ってる」そう思いませんか。
実のところ、作家の仕事とはいい作品を作ることではありません。
いい作品を作るのは当たり前で、それをいかに知ってもらうか。というのが作家の仕事だとつくづく感じます。
そのために営業は必要なのか?

今回の記事は僕の美術と営業の考え方をまとめてゆこうと思います。
※ちなみに今回の営業とは画廊への売り込みについて書きました。※

◎美術における営業とは

営業という言葉、どこかで知らない人の家のドアを叩いて商品を売り込むイメージありませんか?
これは飛び込み営業という古〜い営業方法で、効率悪くて消耗も激しいので美術に向いていません。
美術における営業とは、人間関係を作ることです。
どのような業界でもそうなのですが、裾野の広い業界でもキーパーソンはそんなにいません。
つまり数人とか十数人の実力者によって業界が回っています。
この人たちと知り合いになれば、話が早く、それが自然と営業になってゆきます。

◎では、どう知り合えばいいのか

いくつかの方法があります。
まずは、発見してもらう方法。
簡単な話、見つけてもらって声をかけてもらえればいいのです。
方法は三つ
1、卒業作品展で見つけてもらう
2、公募展や個展で見つけてもらう
3、snsや他のメディア媒体で見つけてもらう

1の卒業作品展は主に芸大出身の場合効力を発揮すると思います。他の大学だとそもそも見てもらえるかわかりません。
芸大の卒展に限っては高い確率で美術関係者が集まるので、そこで目に止まることができたら営業成功ですね。
2の公募展や個展は公募展出品作を気に入ってもらう、個展で作品を気に入ってもらうということ。
3は現代特有なのですが、FecebookとかTwitterで見つけてもらうこともできます。僕もsnsでたくさんの作家さんと出会いました。

ただし、この見つけてもらう方法は、他人任せで自分ができることは限られています。
公募展とか卒業作品展などは多くの作品が同時に展示されるので、実際作品を見つけにくいのです。
例えるならば、同時展示されている状況というのは、路上ライブのようなものです。
どんなに音楽好きでも路上ライブから有能なミュージシャン見つけるのは難易度が高すぎます。
よほど目立っていてタイミングがぴったりでないと難しいのが、見つけてもらう営業法ですね。

◎足を運ぶこと

自分でできる営業法
そして再現性のある営業法
それは足を運ぶことです。
営業とは自分の商品を売り込むことだと思われていますが、
僕は逆に相手を知ることだと思っています。
だから自分の好きなギャラリーには何度も足を運んで
作家やギャラリストの話を聞きに行きます。
別に相手に影響される必要はありませんが、その人がどのような人かは重要です。
例えば企画画廊の個展となると、少なくとも10人前後の人が動きます。
百貨店の個展はさらに多くの人が動くことになります。
なので、お互いがしっかりと知り合っていなければ
「さあ個展をしましょう」とはなりません。

あとは小山登美夫さんの著書にも書かれていましたが
個展の機会は作家からの紹介が多いようです。
つまり、信用できる人の知り合いがということですね。
もりろん実力があるのが前提ですが、この言葉からも人間関係での成り立ちがはっきりします。

◎けっきょく

最初の話に戻りますが、美術における営業とは人間関係を作ることです。
それには時間がかかるし、傷つかなければならない時もあります。
いい作品を作るのは当たり前で、それをいかに知ってもらうかという時に
じゃあ自分はどれだけ相手のことを理解しようとしているのか。相手に何を提供できるのか。
つまりは、自分という人間と出会うことでどれだけの人の人生に少しの変化と幸せを作り出せるのか
それが美術に限らず営業の本質だと思うのです。