カテゴリー別アーカイブ: 思う事

お金があっても、今の仕事を続けますか?

もし、お金に全く困らない状況になったら、
あなたは何をしますか?
今している仕事を続けますか。
それとも、仕事をやめて、趣味に生きるでしょうか。

さらに、一般的な常識として、大人になったら働かなければならない。とか
親のスネをかじり続けるのはいけないことだ。などの、一般論がなかったとしたら、
どれだけの人が、自分の時間を使って働くでしょうか。
そして、今の職業を選ぶでしょうか。

上の問い、非常識な考えかたのように聞こえるかもしれませんが、
「ベーシックインカム」という仕組みが普及したら、普通に働かない選択がありうる未来になるかもしれません。
むしろ働かせてもらえないという可能性もありますよね。
人工知能や機械化が進む分野の場合、生産性の悪い個人は、利益を産まないばかりか
負債となってしまい「お金をあげるから働かないで」という状況だって起こるかもしれません。

利益を産める人とそうでない人の二極化が進んでゆく場合、
人間の仕事というものの本質に向き合う必要が出てきます。
漆を職業にしようと思った場合、現実的に1日12時間座りっぱなしで
同じ作業を繰り返すということが起こってきます。
売れない時代は時給計算すると100円に満たないこともあるし、
赤字の中制作を続けるなければなりませんでした。
でも、好きだから続けることができたんですよ。
逆に好きでなかったらできません。

僕の場合、どれだけ自己資産が増えても、
変わらず明日も工房に入って作業をし続けると思うし、それが好きで仕方ないんです。
これから本当に人が働かなくて良い時代に移り変わってゆくように思います。
その時、僕たち人間は仕事とどのように向き合うべきなのでしょうか。

ギャラリーは箱ではなく、人で見る。(作家限定記事)

以前ギャラリーについての記事を書きました。
ギャラリーには二種類あって、作家や作品の扱いや収入形態が違うことなどを書いているので、
気になる方は過去記事をどうぞ。
美術業界の仕組み 2種類のギャラリー 前編
美術業界の仕組み 2種類のギャラリー 後編

さて、デビュー前の作家って、「じゃあどうやって作家になるの?」という疑問を抱えていると思うのですが、
制作を加速させつつギャラリーに足繁く通うことが一番の近道だと思います。
憧れの作家の個展や知り合いの個展・グループ展など、機会があるたびに通っていると気がつくことがあります。
それは、ギャラリーとは箱(空間)ではなく、人そのものであるということ。

特に企画画廊って、ギャラリーオーナーの人格や嗜好が色濃く出てきます。
もっというと、彼らは強烈なアーティスト気質を持っているので、
私たち作家と同様に、アートで戦っている印象があります。

自分の好きな作品展がたくさん企画される画廊に足を運んでいると
ふとしたきっかけで、ギャラリーの人と話すきっかけが生まれてきます。
また、知り合いを通してギャッリストを紹介してもらえたりします。
僕は、美術の話をするのが好きなので、色々なギャラリストの話を聞いてきました。
その中で、彼らの考え方や、最新情報をもらえたり、展示機会をもらえて今日まで活動を続けることができました。

何十箇所とギャラリーや百貨店の画廊を回ってきましたが、
特別に気が合うギャラリストができます、それは、もう人間関係としか言いようがなくて、
自然と関係が出来上がってきます。
逆にどんなに憧れているギャラリーでも、オーナーと気が合わないことも多くて、
展示機会を得ることができないことも数え切れません。

ギャラリーとの関係は結局のところ、人間関係に終始しますので、
たくさん話して、進んでゆくしかないのです。
ギャラリーを箱ではなく、人として見えてきた時から
僕の作家人生、さらには作品も前進してきました。

人生は現地調達でなんとかなる

何か新しいことをしようとすると、必ず横ヤリが入りますよね。
「経験のないことをするのは危険だよ」
「誰もやったことないことはしないほうがいい」
「ぜっったい!無理!!!!」
うん。よく言われます。

それに、一緒にプロジェクトを行なっている人に言われることが
「準備がまだできていない」

僕の経験上
何か作る時に準備が完璧に整っていたことはありません。
例えば、高い評価を得た作品だって、
新しい技術や素材の使用など、決して準備万端で挑んだことはなかったんです。
それより、「目標を決めて、とりあえず走ってみる」といったぼんやりとした感じで物事をスタートさせています。
漆芸の場合、制作が長期にわたるので、その間に気持ちが折れないように真はブレないだけの準備はありますが、
細かい要素は穴だらけで出発しています。

制作に限らず、今までの制作場所の移動なども
「準備は完璧だ」と言い切れることはなく、
とにかく行動を先行させてきました。

一つ言えることは、「必要なものは現地調達でなんとかなる
ということです。
準備をしすぎると、当然スピードが落ちるので、成功も失敗も後手後手になります。
物事を始める場合、圧倒的に失敗する可能性の方が高いです、
成功はもちろん、失敗に早く気づくためにスピードは大切なのです。
さらに、成功した場合を振り返っても、その時々でどうにかなることが多く、
必要なものやことは途中で現地調達のような感じで、集まってきていました。

四月は新しく何かを始める季節です。
まず一歩踏み出して、必要なものは現地調達するような気持ちで
人生を歩んでみてはいかがでしょうか。

美術と学歴

美術を学ぶ人、そして生業にしている人の中で、もしコンプレックスがあるとするなら。
お金の次に多いのが学歴だと思います。
ちなみに、僕は高岡短期大学という短大出身で、今は富山大学と合併して、母校はありません。
母校は美術とか漆のイメージは一般的にないから、学歴を武器にできる要素はありませんね。

では、実際の美術活動において学歴はどれくらいの影響力があるのでしょうか。
正直に言って、学歴は「あったほうがいい」ものだと思います。

ポイントはなくてはならないものではないという事。

例えば、お医者さんになりたければ、医大に行かなければならない。みたいな条件って作家にはありません。
じゃあ、学歴があったほうが良いと思う場面とはどんな時か。
それは作家活動の最初期のうちです。
僕が作品を買う時、学歴で買うことはありませんが、
学歴が少し後押しになるような実感はあります。
例えば、Aさんの作品、Bさんの作品があって、僕の評価点が同じで、価格も同じ
一方が芸大卒で、もう一人が芸大以外なら、多分芸大出身の作家の作品を買うでしょう。

まあ、同じ評価点、同じ価格の作品なんて現実的に起こり得ないですが、
仮にも芸大出身者の作家の作品を選んだのは、
難関を突破した経験があることへの評価です。
それも20代の作家の場合のみで、30歳を超えてると活動や作風が重要になるから学歴は関係なくなります。

学歴がある人は、それを自信にして前進し続ければいいし、
ない人も、活動の幅を広げて走り続けてれば、作品はよくなります。
美術史だってそれを物語っています。

ヨーロッパから見る歴史と美術の関係性

先月、ドイツとフランスに行ってきました。
行ってきた理由は、また別記事で書こうと思いますが、
記憶があるうちにヨーロッパで感じたことを書いておこうと思います。

さて、フランスは二度目だったのですが、前回は完全仕事モードだったから
観光的なことをしませんでした(といっても観光ってあまり好きじゃないのでいいのですが)
ただ、せっかくのパリなのにルーブル美術館すら見てないのって、作家として勿体無いなーと思っていたところで
機会があって再度ヨーロッパに行くことができました。
というわけで、時間を作って美術館を回ってきたわけです。

ドイツは
シュテーデル美術館へ

パリは
ルーブル美術館
オルセー美術館
オランジュリー美術館
National Museum of the Legion of Honor & Orders of Chivalry

このように多くの美術館へ行くことができました。
一つ一つの美術館、そして作品の数々には思い出もありますが、
自分なりに総括して見ると、日本文化の中の美術のあり方と、西洋文化の中のそれとの差異がぼんやりと現れました。
一言で言うと、西洋文化の美術とは「歴史そのもの」と言う感覚です。

例えて言うならば、美術史を歴史をつなげてみると、
日本の場合は モノヒト
西洋の場合は モノヒトそれに加えてコトというのが入ってきます。

イメージしてみてください。
西洋の大作って歴史的テーマの一場面を描いている絵が多いと思いませんか。
例えば
ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠 ジャック=ルイ・ダヴィッド
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民衆を導く自由の女神 

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これらは18世紀の絵ですが、もっと時代を遡れば、より宗教色が強い絵画になってゆくのですが、それでもストーリー性は常に絵画の中心にあります。
そして、そのストーリーの中に各時代の有力者は自分を登場させてゆく歴史、それがつまり美術史であると言う印象を今回の旅で感じました。

一方で日本美術は

一方で日本美術とはどのような考え方で形成されてきたのでしょうか。
西洋美術との共通点としては、宗教との密接な関わりです。
しかし、その表現方法はあくまで、歴史とは切り離された印象があります。
歴史を切り取った絵画を考えてみると、合戦を描いたものもあったりしますが、どこまでも記録的であり
時の権力者が描かせる劇的な描写というのはイメージしにくくて、ヒトとコトは分けられています。

つまり、肖像画という共通点はあるけど、
日本の場合、彼らが劇的に活躍している表現ってありませんよね。

日本
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フランス
スクリーンショット 2018-03-11 18.00.52

で、この権力者が美術に託したかったことが、なんなのか考えてみたときに
僕が感じたのは西洋の場合、強烈にコトへの執着が強い人々が美術に託した部分なのです。
これは宗教観にも関わってくるくる事だと思うのですが、
仏教は神の歴史という側面に対して、キリスト教というのは私たちの歴史なのですよ。
権力者はキリスト教という文脈の中、そのストーリーの中に自分を登場させたいし、
歴史的な一場面の中にあろうとする事、そしてそれを劇的に表すために美術が必要だったのでしょう。

また不登校を勧めてみる

何度か書いてきましたが、
僕は不登校でした。
小学校の1年から中学の3年まで、
9年間学校に行きませんでした。

よく「なんで卒業できたの?」とか
「え!?すごく普通に見えるけど?」とか聞かれますが、
今の僕を知っている人にはどう見えているのでしょうか。
現状ではそんなに悲惨な人生には仕上がっていません。。自分ではそう思っています。

ちなみに義務教育の9年間というのは保護者や社会が子供に学習期間を与える義務の期間なので
休んでいても卒業できます。
ようするに、義務といっても、子供本人の義務ではありません。
あと、
小学6年生の大人なんて見たことありませんし、いません。
日本の場合、留年とかもないですよ。たぶん。

では、小学校・中学校に行かなかったらどうなるのか
ちなみに僕は、短大だけど国立の大学を卒業できましたし、美術系の学位も持っています。
(学歴が武器になるわけでは全くないですが)
何が言いたいかというと、不登校って一般的に思われているより状況は悪くありません。
少なくとも小学校と中学校の学力や社会性なんて、ほんの数年で手に入ってしまうものだということです。
いや、もっと言ってしまえば、いらないことが多すぎます。

続く

続きはこちら

仕事を断る

最近仕事が多くて
制作がものすごく忙しくなって来ました。
これ、以前書いた陥りやすいヤバいサイクルに見えるんですよね。

仕事が多い

作りまくる

疲れる

質が落ちる

この無限ループに陥る寸前なのでは無いか?
歯どめかけるために、これからは仕事を断ることにしました。
ただ、すごーくやりたい仕事だけはしてゆきます。

さて、この負のサイクルって日本全体が陥っているループなのかも?って思うんです。
よく日本の時間あたりの労働生産性は悪いと言われていますが、
みんな疲れているのでは無いか。
だから、どんどん生産性が落ちて仕事が溜まって、、、、
考えただけで気が滅入ります。

物心ついた頃にはバブルが終わっていたので、
日本がイケイケの時代を知らないし、この小さな国が
世界屈指の経済大国(データ上今もそうなんだけど、現状は厳しいですよね。)だった頃の空気感や
実際の経済活動を実感として感じることができないから「なんでこうなっちゃたの?」と思うんですが、
つまりは、疲れちゃってる。の一言で言い表せてしまうのでは無いでしょうか。

色々と難しいけど、断ることが上手くなれば
それだけ生産性も上がるのでは?
特に、学校教育からの流れで、「苦手なことを一生懸命やるのがよし!」
みたいな空気が全体に漂ってるけど、
生産性を上げようと思ったらこれをしていてはダメですからね。

けっきょくのところ、自分が好きで得意なことだけをするというのが
もっとも健康にもいいし、生産性も上がる。
仕事の見極め難しいけど、立場上難しかったりすることもあるだろうけど、
やっぱり生産性を上げるには
断るが鍵なのでしょう。

平行線

どんなにいいことをしたって、善人だって一定数そんな善人が嫌いな人はいる。
作品だって、そう。万人にウケる作品なんてない。

「まあ、そんなもんだよな」と思いつつも
やっぱり、無関心だとか、無理解や批判には
その度に疲れてしまいます。

でも、平行線をたどる思いと思いってのは
人の世の中では当たり前で、受け入れてゆかなければならないのでしょう。
というより、強烈な批判を受けるというのは
それだけ、活動にインパクトがあるということなのだから、
ある部分で批判も必要なのでしょう。

それでも明日はもう少し違う1日にするために
少しでも前に進むために
誰かとの平行線を歩み続けなけらばならないのでしょう。

いつだって僕らは心の問題を解決できない

時代が変わって、技術が進歩しても
人間が持つ人間らしさは変わってなくて、
いつだって僕らは心の問題を解決できてないのだと思います。
100年も経つと、街の様子は様変わりするだろうけど、
きっとその時生きている人たちは、僕たちと同じことに悩み
苦しんでいるのだと思う。

だからきっと、美は人間にとって必要なもので
知識は必要だけど、過去の名作を理解することができる。
だって、美術とか芸術は人間らしい部分が多くて
時代をこえて理解できる部分も多いでしょう。

最近、僕の制作テーマは
「生きていることの称賛」というモワッとしたもので
それはつまり、個人的には問題の解決だと思ってます。

「なんだそりゃ?」
ってかんじだけど、朝日を見たとき、
夕日を見たとき、綺麗な三日月。
好きな人。
個人的な光を形にできるんじゃないか。
そして永遠に近い形で保存できるのではないか。
その光は、誰かと共有できるはずだ。
そんな仮説のもと作っています。

これから先もいつだって、心の中の問題は解決されないまま人類は歩んでゆくけど
ずっと先にでも
「ああ、あの時代にこんな光を作ったやつがいたんだな」と思ってくれる人がいたらいいと思うのです。
もちろん、僕自身もその光を浴び続けていたいし、
力づくでも共有したい美なんですよね。

大人になるとどんどん自由になる

子供の頃、大人になるってどういう感じだと思っていましたか?
僕は大人っていうのは自由なものだと思っていました。
周りに自由な大人がいたというわけではなく、ただ漠然と。

結果的に僕は自由な大人になりました。
ある意味で自由業とも言えるような「作家」という職業であるから、極端に言えば自分の好きな時に好きなだけ働けます。
ただ、僕の場合仕事開始時間が固定されているので、会社勤めをしている人と変わらないワークスタイルです。
ではなぜここまで自由を感じていられるのか。
それは、単純に好きなことを仕事にしているからだと思っています。
極端に言えば、好きなことしかしていません。

大人になるというイメージが自由であるか、そうでないかというので青春時代の過ごし方が変わるような気がしていて
よくいう「社会人になると遊べないから今しっかり遊ぶ」という大学生。
はっきり言って「大人になった方が遊べるから、今はしっかり学べ」と言いたいです。
大人になって自分でお金を稼げるようになる方が、遊べるのは当然です。
時間も働き方によっては、自由にもできるでしょう。

僕の場合、利益率の極端に低い仕事をしているので、現段階でそんなに自由なお金は持っていないけど
それでも学生時代よりはマシになりました。
そして、最も大切なことですが好きなことを仕事にしていると、
仕事が趣味のようなものなのです。
ライフワークバランスの大切さが謳われる昨今ですが、
時間を忘れて没頭できることに毎日たずさわれているから、苦しさはありません。

何より朝起きた時に「さあ、今日も仕事するぞ!!」と心から思えるし、
毎日ワクワクできます。
そして自由を感じます。
締め切りだらけだけし、ストレスも多い仕事だけど
生きている実感があります。

自由には色々な形があると思うけど
朝から働いて夢を形にしてゆくことにも自由さを見出せます。
明日はもっと自由だし、10年後にはもっともっと自由な自分がいると思います。