カテゴリー別アーカイブ: 思う事

本当にそれ漆で塗る必要あるの?

最近は伝統とか工芸というキーワードが
以前に比べて認知されてきたように思います。
それは、僕が漆をはじめてから今までの間に随分と風当たりが良くなったというか
完全無視の状態から脱しつつあるように思えるし、
これは、先生方や、先輩のおかげがあってのことです。

しかし、この追い風に
懸念していることもあります。
話題性のために、作らなくても良いものまで作っているのではないか。
簡単に言えば、
「それを漆で作る必要あるの?」
「それに漆塗る必要ある?」というものが増えているように思います。

確かに、一時的にメディアに取り上げられるかもしれません。
しかし、それで何が起こるのでしょうか。
「認知が広がる」と言われるかもしれませんが、
一般化しすぎた認知の先にあるものは
価格競争ではないですか?

今だって100円ショップに漆(漆が使われてなくても漆表記OKだから、本当は漆じゃないけど)が売られてて
「もっといい漆器を買ってほしいなー」と思ってるのに
どこまで認知を広げたら良いのでしょうか。

話題を作るのはそんなに難しいことではありません。
本当に漆や蒔絵の良さを理解して「あなたからこの作品を買いたい」と言ってもらうことの方が
何倍も難しいし、大切なことのように思います。


漆は優秀な塗料であり接着剤です
使いこなすことができれば、あらゆる造形制作が可能な優れた天然素材です。
しかし、弱点もあるので
しっかりとした技術と知識を持って
適材適所に使う必要があります。

漆は何にでも塗って付加価値が上がるものでもありません。
弱点として、紫外線に弱かったり、
塗装工程が多く高額になります。
無理に使うと評価が下がってしまいます。

もう一度「これに漆を塗る必要があるのだろうか?」
と、問いかけて、大切な漆文化の未来に必要なものが一つでも多く生まれてほしいと思います。

産業としての漆芸を考えて僕が出した答え

僕が学んだ高岡短期大学は
今は併合されて富山大学に変わっていますが、
その時に在籍していた学科名は「産業造形学科」の「漆工芸コース」でした
僕は、学生ながらにこの学科名が疑問でした
と言うのも、教えている内容はいたって芸術寄りで
一般的な「産業」のイメージとかけ離れていたからです。

僕としては、極めてハイレベルな漆芸技法が学ぶことができたこの方針に満足していましたが
学科名の「産業」が気になっていたのです。
だって、「産業造形学科」より「造形学科」の方が、芸術的でカッコいいじゃないですか?
授業の内容からも「産業」を感じさせるものはありませんでした。

担当教授の林先生に
「なんでうちの学校、産業造形学科なんですか?あまりにも産業とかけ離れている気がします」と聞いてみたところ、、、
「私の作品は売れています。こう言う産業の形もあるのです」と言われた。
すごいインパクトです。
確かに、ものが流通する形に決まった形なんてなくて
誰かが良いものを作って、誰かがそれを求めるならば、規模は関係なく「産業」と言えなくもないです。

この林先生の発言で
僕の中で「芸術活動」と「産業」がつながったわけですが
今でも意識して、実践しているつもりです。

そしてもう一つ
産業にとって重要なのは、市場参加者を増やすことだと思いました。

これは単にコレクターを増やすと言うのではなく
作り手を増やすことも意味しています。
僕がある時期から無理してでも工房制作をしてきたのは
作り手を増やすのも目的の一つでした。
割と本気で漆を学んだ人に漆を続けて欲しいんです。

理由はいろいろありますが
ある時期、青春をかけて学んだ漆を卒業を機会にやめてしまっては勿体無いし
日本文化にとっても機会損失です。
何より、後輩が続けられない環境ってのがどうしても嫌なのです。

一般的な給料よりは低いかもしれないけど(ごめんけど、大企業や公務員並みの給料は出せない)
スタッフにはお給料を正確に支払ってきたし、そのために自分はひどく貧しい思いをしてこなければならなかったけど
そこには僕が考える漆を中心とした正しい産業の考え方があるんです。

ギャラリーは箱ではなく人なのです。

僕を含め、若いうちは美術を志すとき「個展」に憧れを持って活動すると思います。
特に無所属の作家にとっては、作品発表の場は個展かグループ展しかありません。

では「個展」とはどのようなシステムで誰が運営しているのでしょうか。
以前記事にも書きましたが
ギャラリー・画廊には二種類あります。

・企画画廊
・貸画廊

企画画廊とはギャラリストが作家をチョイスして個展やグループ展を開催します。
主な収入源は作品の販売マージンですので、作品を売るプロとしての手腕が必要です。
日本特有のシステムでもあると思いますが、デパートの美術画廊も企画画廊のような側面があって
美術部のスタッフが企画を組んでゆきます。
また、企画展に社外の画廊が入って企画を組むこともあります。
(この辺りの仕組みは、わりと複雑でデパートや画廊ごとの特徴もあるので、一言で言うことができません)

貸画廊とは美術専門のレンタルスペースのことで
週単位で作家が場所を借りて個展やグループ展を開催します。
主な収入源は作家からのレンタル料金です。

日本では銀座にたくさんのギャラリーがありますが、
ほとんどは貸画廊です。
個展のハードルとしては数が少なくて実績が求められるため企画画廊の方が高くなります。


最近、ギャラリーとは空間ではなく人が大切だと思います。
つまり単に作品を並べるだけの場所ではなく
共に個展なりグループ展を作り上げてゆくチームこそがギャラリーの本質です。
個展の場合、作品と作家が前面に出てくるわけですが、
それは個展の要素の一部でしかありません。

実のところ、長期的にコミュニケーションをとって企画を立ち上げてゆく
ギャラリストの手腕が企画の成功には不可欠です。

目に見えてこない部分ですが、ギャラリーとは人の繋がりでできています。
個展を目指す作家さんにはギャラリーを回って、たくさんのギャラリストと話してもらいたいと思います。

モノを必要としない時代

僕は平等な社会なんてありえないと思っていて
芸術の発展のためにも、ある意味で不平等な状態というのが自然だと思っています。
ひょっとして誰かが論破のしようのない、平等な社会規範を発明してくれたら
それが正しいと思えるのかもしれないけど、
今のところ、人間の社会は平等ではありません。

日本などは貧富の差があまり無いとはいっても
それでもお金持ちと一般人は持ち物から考え方まで違っています。

ただ、現代特有の面白い状態として、
情報はおおかた平等かそれに近い状況だと思えます。

考えてみてください。
お金持ちと一般人、まったく同じものを持っています。
それは携帯端末です。
今まで一般化したもので、これほど平等なものはなかったのではないでしょうか
例えば、車にしても家電にしても上位機種と一般機種というのは明確に分かれていました。
それが、情報端末に限っては、
きっとソフトバンクの孫さんも電車に乗ってる高校生も
同じiphoneを持っていますよ。
(容量の違いは置いといて)

これは前例のないことのように思えます。
今までは、何かを購入するときモノ・物体に感情が動かされていました。
カメラって撮影された物が重要なんだけど、カメラ自体にマニアがいるように
物への執着というのも重要な要素です。
時計だって、時間を確認できるというコトが重要なのですが、
それだけでは数千万円する最高機種の時計の説明がつきません。
あらゆるものには最高機種があって、そこから一般化するのに
情報端末の歴史には最高機種がありません。
いきなり一般化しています。
その理由は、きっと端末に必要なのは情報であって
物としての存在理由は薄いからではないでしょうか。

カラーバリエーションとか新作購入みたいな
各自の選択肢はあるけど、
モノとしての端末の存在理由は極めて少ない。

これって、そのままモノを必要としない人生につながってゆくような気がします。
「ああ、僕たちにはあまりモノが必要なかったんだ」と思うのも自然です。
つまり、今後はより、モノではなくコトが重要になって来ます。

そんな時代にモノを作る仕事をしています。
成功の鍵は単純で、「モノをコトに昇華できているか?」という問いの答えを表現できているかと言うこと。
iphoneが発明されてから10年経つようですが、僕たちの生活がガラリと変わったし
これからも変わってゆくのでしょう。

独特な物作り

個展会場で、
「どのくらいの制作期間で作品つくるのですか?」
という質問をいただくことが多かった。
答えるのは難しいけど
「だいたい2年くらいですね」と答えています。
正確に言えば2年で完成する作品は少なくて、
5年以上かけて作られる作品もたくさんあります。

小さい作品ならば早いのかといえばそうではなくて、
工程数は大きな作品と変わらないから、やっぱり半年以上かかるものが多いです。

さて、多くの作品が2年後に向けて出発しているのですが、結果が出るのも当然2年後です。
さらに、2年後の自分の趣味は変わっているので、現在スタートしている作品が全て2年後に陽の目を見ることはありません。
実は途中で制作中止になるものも多数あります。
そういった途中の作品でも5年後に完成するものもあれば、今後手をつけないものもあります。
いったいなぜスムーズに進むものとそうでないものがうまれるなか。
考えてみると、
その差は造形の良さでした。

蒔絵という絵を描く仕事ですが同時に立体の仕事でもあるので、形が良くないと途中で制作は止まります。

もっと直感的にたくさんの作品が作りたいのですが、どうも漆は自分への2年後に向けたタイムカプセルみたいです。

夢を職業なんかにあけ渡すのは勿体無い

「あなたの夢はなんですか?」
僕はよく人にこう尋ねます。
こういう質問を誰かにしたことがあるでしょうか。
よく大人が子供に聞いたりしますね。
「将来は何になるの?」って。

子供の場合、高い確率で答えることができます。
野球選手・サッカー選手・漫画家・アイドルなど。
年齢が上がってくるにつれて、それらの夢は現実味を帯びてくるから
安定的な職業が上位に名を連ねてきます。

ここで違和感を感じませんか?
小さな子供に聞く将来の夢と
高校生や大学生に聞く将来の夢の
意味合いがかなり違ってきています。
小さな子供にとっての夢は「希望」のような意味合いなのに
学年が上がると将来の夢は「職業」に置き換わってしまいます。

最初の話に戻すと
大人に「あなたの夢はなんですか?」と聞くと90%くらいの人が答えられません。
いつの頃か、僕たち大人にとっては夢という言葉の意味が「希望」から「職業」に置き換わってしまって
夢を見ることが難しくなっています。
だって、なんらかの職業についている時点で夢を叶えてしまったか、夢が破れてしまっています。

でも、そうじゃない。
将来の夢を職業なんかにあけ渡すのはもったいない。

人生において仕事は重要です。
僕は仕事が大好きだから、こうして毎日仕事ができるのは幸せです。
ただ「漆芸作家」でありたいわけではなくて
漆芸作家の浅井康宏として叶えたい夢がいくつもあるのです。
つまり「希望」が沢山あります。

例えば
海外で個展をする
国内外の美術館に作品が収蔵される
空間演出まで徹底された展覧会を開催する
など、沢山の具体的な夢があって
漆芸作家という職業は夢本体ではありません。


僕が夢にこだわるのは
明日、来年、10年先の光が欲しいからです。

真っ暗な道を何も持たずに歩くのって怖くないですか
スマートフォンで足元を照らしたいし、
どんなに遠くても、前方に街灯があったら安心です。
少なくとも自分が光に向かって歩いている気持ちになれるから。

誰かに話す夢って合理的で少しかっこよかったりしたいけど、
小さな夢だってもっと沢山あっていいように思います。
そして、それを人に話してもいいように思うのです。

毎日温泉に入りたい。とか
結婚したい。とか
毎日の食費を100円上げることができるほどの収入が欲しい。
これは僕の夢ですが、大きな夢の途中にこういう小さな夢を散りばめています。
そして、これらは現実可能だし、僕はそのために自分の時間を使ってゆきます。


「日本全体に夢を!」みたいなビジョンは全く持っていませんが
「あなたの夢はなんですか?」と聞かれたら綺麗事でもかっこ良くもない夢も語り合える大人でいたいと思います。

弟子制度の思うこと その2

前回記事の続き 

炎上ツイートをきっかけに現代の弟子について考えてみたわけですが、
伝統工芸をつないでゆきたい気持ちも
お給料無しで働かせるなんて!と炎上させたツイートも気持ちはわかります。

僕としては
仮に漆の弟子を取ると考えた時
はっきり言って、ゼロから教えるのはきつい。
プロの現場で、手取り足とり教えるのは、利益を生まないので
最低でも専門学校や大学で基礎を学んだ状態で門を叩いてもらう必要があります。
もしくは、漆教室みたいなところに通いながら、本当に初歩的な作業を時給を渡してして上達を図るとか。
(実際問題として、初めて漆に触れる人にお給料を払うのは相当きつい)

ちなみに、三年前から僕は工房体制で制作してきましたが
時給計算で手伝ってくれたスタッフ(経験者)にはお礼を渡していました。
蒔絵の前段階までチームで行い、蒔絵を僕が行えるので加飾に集中することができました。
ただ、技術面に個人差があるので、短期的な手伝いや不規則なシフトだと赤字になることもありました。

根本的な問題として、携わる産業が成り立っている必要があります。
だって、弟子を取るのも自分が制作を続けるのも作ったものが流通しなければなりません。
弟子制度がきっちりしていた頃というのは、
その産業が成り立っており、一人前になって暖簾分けしてもらえれば
ある程度生活ができるの見込みがあったわけです。

現在の工芸分野だとなかなか厳しいくて
結果として、個人作家が増えて、工房体制が減ってしまった。
つまり、時代に合わせて、学びの場が工房から学校に移ったのです。
中規模の工房生産は淘汰されて、大規模生産か個人生産でしか生き残るのが難しい時代になっていて
実践的に人を育てるのは厳しさを増すばかり。

今後の展開としては、
漆の産業だけで見てみると、
例えば蒔絵に使う筆制作に関して大企業の手が差し伸べられています。
個人生産だった蒔絵筆が
大手筆メーカーや化粧筆メーカーの協力のもと、蒔絵筆の特徴を踏まえつつ
入手しやすい材料での筆制作が進められております。
このようなケースは一見、個人の製作者を見捨ているように感じるかもしれませんが、
後継者がいない分野では技術保存に企業が参入するのは、ありがたいことだと思います。
現状としては、代々の職人さんが作ってきた道具をメインに使いながら、新しい道具も試しています。

さて、このように企業と伝統という観点から見てみると
西陣織を着物として捉えるのではなく
「最高級のシルクの織物」と捉えると用途は爆発的に増えます。
大きな規模の繊維会社のシルク部門のような形で伝統技法が残ってゆくのが
これからのあり方のような気がします。

ツイッター炎上というなんとも言えない事態になった
西陣織の弟子問題ですが、窮状を企業が認識して対策を取ってくれるなら
それは意味があったと言えます。
時代の変化に合わせながら、大切なものが残ってゆかなければならない一例ですね。

弟子制度に思うこと

伝統工芸の弟子制度ってどういうイメージでしょうか。

住み込みで朝から晩まで師匠のそばで修行して
でも師匠は具体的には教えてくれなくて
背中を見て学べ的な。。。しかもタダ働き。

イメージはそれぞれだと思います。

https://togetter.com/li/1090705
このまとめサイトで、あるツイートが発端で炎上した内容が取り上げられています。
炎上の内容は西陣織の弟子募集。
全てはこのツイートから始まりました。

何気ない後継者募集のはずが
「ブラック企業以下」「やる気搾取」などのヤジが飛び始め炎上したのです。
しかし、このツイート主はいわゆる炎上もととしては珍しく、
無礼な返信にもとても丁寧な対応をしています。

ツイートの主は西陣織職人の六代目で伝統工芸師のかたです。
炎上内容を簡単に説明すると、

○西陣織の後継者を募集
○お給料は当面出せない
○将来的に仕事があるかわからない

という内容のツイートに対して

○そんなこと言っているから衰退するんだ
○ブラック企業以下

○でも伝統は大切だよね

など、否定派と肯定派が入り混じった不思議な炎上が続いたようです。
このツイートがここまで炎上したのは
単純に弟子募集という意味合いに取られたからでしょう。
弟子という言葉には職業的なニュアンスがあり、将来暖簾分けのように
技術の裏付けと、仕事がある程度見通しが立つ状態の準備期間を言うと思います。

しかし、タダ働きで将来も仕事が無いとなると、
それはつまり趣味みたいなもので、欲しいのは西陣織を趣味にしたい人?と思ってしまいます。
実際にツイートが進むにつれ、
炎上したご本人も、がっつりプロではなく趣味からスタートしたい人に向けたツイートだったと言っています。


実は伝統工芸の産地で弟子制度が残っているところでは
ある程度システムがしっかりしています。
給料が出て、四年間師匠の元で仕事をするという修行が続いています。
ちなみに住み込み弟子というのはほとんどいなくなりましたが、
輪島の漆業界では、少ないですが徒弟制度が残っているのです。

続く

人見知りの治療法

あなたは人見知りですか?
「はい」と思った人。
治せますよ、人見知りは。

まず、そもそも「人見知りなんです」と言わないことです。
ツイッターとかでたくさん見かける人見知り宣言あれは百害あって一利なし。
その上、自己暗示までかけてしまっているので、自分で人見知りをエスカレートさせてますよ。
「人見知りな自分ってクール」と思ってるならどうぞ。

僕が最近感じているのは
人見知りって初めての人に会うときに起こるんですよね。
それはつまり、相手のことがよくわからないし、こちらのことも知れてない状態で
会話やそぶりがぎこちない状況で起こる緊張感。
確かに、家族や長年付き合っている友人と一緒にいるときには無い緊張感があると
やっぱり疲れますよ。

では、僕が実践している方法は
もう、自分の好きな人としか話さない
無茶苦茶ですが、これに尽きます。
「この人は話しやすい」とか「この人といると楽しい」なんて1〜2分もすればわかるので
プラスな感情を持てる人とだけ会うというのはどうでしょう。
そうすると、ほら、周りに好きな人しかいなくなっちゃう。

「仕事でそうもいかないよ!」と思うかも知れませんが
窮屈な雰囲気だと仕事も上手くいかないでしょ。
ちょっと強引かも知れませんが
今日から人見知り宣言をやめて
楽しい人間関係だけにして見てはどうでしょうか。

実際僕はそうしています。
「ああ、この人とは合うなー」と思う人としか話しません。
例えば、20代の頃は
「漆の良さをわかってもらおう!」と思って飲み屋さんで一生懸命漆の啓蒙活動をしていたわけですよ。
でも、会話も続かないし、お互いぎこちなくて、何より辛い。
「俺は人見知りなんだ」と思っていましたが、そうじゃなかった。

つまり、自分が人見知りで会話が面白くないから悪いということじゃなくて
単に合わない人なのですよ。最初にあった人でも話がはずむ人がいるし
そういう人に漆の話をすると、自然に魅力を伝えられます。

自分は人見知りだなどという妄想を捨てて
仕事でもプライベートでも自分に合った人とだけと楽しく過ごすのはいかがでしょうか。

人が物を買うのはなぜか

最近思うのです。
人が物を買う理由は大きく二つしかないと。
食欲や排泄欲のような生理的欲求に対する購買、
例えば食品やトイレットペーパーなどの日用品を除くと、
僕たちが何かを買う理由はこの二つ。

自分をより好きになれるため
恐怖や不安を排除するため

一つずつ考えてみます。
まず、自分をより好きになるための買い物
例えば、服とか、ジュエリーってそれを付けているときの自分を想像して買いますよね。
より良くなっている自分のための買い物です。
他にも車や家など。
その物体というよりは、それをを手にした後の自分の気持ちが重要なのではないでしょう。
誰かへのプレゼントもその行為や相手の反応を通して充実感を得られます。

次に、恐怖や不安の排除のためにも人はお金を使います。
わかりやすいのが保険です。
あとは、薬や健康診断。
最悪の事態を回避したり、これ以上悪い状況を引き起こさないためにも人はお金を払います。
全く、ポジティブな要素はありませんが、
恐怖を回避するということも本能的に欲しています。
「どうしても薬が欲しい!」ってる人や「今日病院だ♪」なんて思ってお金出してる人いませんよね。
クスリ、、、違う意味としてならまあ、、


実は、美術について考えると
この二つの要素が切っても切れない関係があると思うのです。
まず、美術作品を入手するのは100パーセントポジティブな発想だと思っていて
テーマが暗く楽しくない作品だって、それを手に入れることでなんらかの喜びを得ます。
僕はドクロの作品を2点購入したことがありますが
はっきり言って楽しいモチーフじゃないけど、単純にかっこいいと思ったし
「これはハロウィンの時期に飾るとクールだぜ」という楽しみがあるわけです。
このように美術にはすごくポジティブな感情をもらえます。

そして、ある一定の作品には
恐怖を回避する要素もあるように思えます。
それは資産価値としての美術です。
物価や為替価値は変化しますが、評価の高い美術品には現物資産としての価値があります。
資産は分散して保有されますが、
分散させる理由はリスクの回避です。
例えば、現金だけ1箇所の銀行に預けていると銀行が潰れるリスクがあるので
あらゆるリスクを分散させるため複数の銀行に預けたり、現物資産を保有したりします。

自分をより好きになれるため
恐怖や不安を排除するため
この二つの要素を兼ね備えた商品って他にあるでしょうか。
宝石とか高級車か、何れにしても世の中に数が少ないのは確かで
そのためにときに美術品に驚くような価格がつくのもうなずけます。