カテゴリー別アーカイブ: 漆に生きる日々 京都編

後の世界を予想して、物作りの明日を考える。

最近世の中の進歩の速度が速くなっていると感じませんか?
情報網の整備が完了して、世界は次のステップへ高速に転換しようとしている気がします。
何が起こっていて、どう変わって行くか。

例えば、ビットコインを代表する仮想通貨は今、急速に成長していますが、
実際にどのように使われて行くのか、今の所想像するのは難しく無いですか?
だけど、思ったより速く、僕たちの生活の中にこのデジタルの通貨が浸透するでしょう。
そうしたら何が起こるのか。
おそらく、現金がなくなってしまうくらい日本円の使用頻度が減ってしまうと思うのです。
よく考えたら、通貨に国境があるのってすごく不便なことです。
貿易はもちろん、海外旅行に行くだけで不便なのですから、共通の通貨が流通してしまえば変化は早いでしょう。

そして、流通の考え方も思ったより速く展開して行くように思います。
自動運転が主流になれば、おそらく高速道路での人間の運転が禁止されるのではないかと思います。
よく考えてみてください。
人間自身が時速100キロを超えるようなマシンを手動で運転しているなんて、
割と危険なことではないですか。
近い将来「平成って、車の運転を人がしてたらしいよ」って言われるようになります。
まず、物流面から変化が起こるだろうから、トラックは自動運転になるでしょう。

さらに大きなポイントとして
サービスの民主化があるような気がします。
最近「Airbnb」というサービスを知りました。
https://www.airbnb.jp/?logo=1
上記のリンクからサイトへ飛べます。簡単にいうと顧客同士が居住空間を共有できるサービスです。
例えば、ある期間自分の家を空けるから、その時旅行者に宿を提供する民泊というイメージでしょうか。
(実はまだ利用したことがないので、正確な記事にはできません。二月にこのサービスで海外に行こうと思うのでその時レポ書きます)
これ、何が起こっているかというと宿泊システムの民主化です。
つまり、顧客対顧客という構図が、サイトのシステムによって完成しているのです。
他にもヤフーオークションやメルカリなんかも顧客同士の取引がなされる場としてサイトがあり民主化された市場と言えます。

全体的に人と物とお金の流れは否応無しにスムーズな方向に流れていっています。
そしてそのスピードは加速している。
これにより何が起こるか、信じがたいですが、お金と時間があまり始めるのではないかと思うのです。
で、その時代の物作りはどのような形になるのか?

続く

11.13は「うるしの日」「漆祭り」

11月13日といったら
「うるしの日」「漆祭り」です。
ん?知らない?

そうですよね。すごくマイナーな記念日ですから。
ただ、全国の漆コースのある美大・芸大では
「漆祭り」をしていたりします。
僕の母校では、祭壇を作り、お祓いをしてその後飲み会などをしていました。

で、その「うるしの日」の中心地、発祥の地が京都にあります。
法輪寺と言って「13参り」の有名なお寺ですが、
漆にゆかりのあるお寺でもあります。

うるしの日

日本漆工芸協会が1985(昭和60)年に制定。

平安時代のこの日に、文徳天皇の第一皇子・惟喬親王が京都・嵐山の法輪寺に参籠し、その満願の日のこの日に漆の製法を菩薩から伝授したとされる伝説から。

この日は、以前から漆関係者の祭日で、 親方が職人に酒や菓子などを配り労をねぎらう日であった。

(参照元 http://www.nnh.to/11/13.html

この日法輪寺では、
奉納と狂言が行われます
今年はそれに参加して参りました。

漆ゆかりのお寺のお膝元で毎日仕事ができることに感謝です。

「いつ伝統工芸展やめるの?」

最近よく聞かれる質問
「いつ伝統工芸展やめるの?」
この質問にはたくさんの意味が含まれていると思っていて、
考える部分も多いのです。

結論から言うと
「やめないよ」と言うのが僕の答えで
そこには、高校時代からもつ憧れや
やっぱり、伝統工芸展のフィールドで戦ってゆくことの意味というのも感じています。

ただ、全体的に美術に携わる人の公募展離れも進んでいること
発表の場が公募展のみだった頃から個展やアートフェアなど加速する過渡期に公募展制作が時間と制作資金の大半を公募展に向けることは、死活問題にもなってきます。
側から見たら「公募展の旨みとはなんだ?」となるのは当然です。
特に海外から見たら、独特の進化を遂げている公募展は
「ガラパゴス化した工芸のカタチ」にしか見えないでしょう。

確かに、大きな公募展になると、その歴史は半世紀以上になっており
発足時の先輩はすでになく、その次の次の世代となっています。
当然、意識も黎明期のそれとは違うし、それが美術の当然の流れといえばそうなんだけど、
「じゃあ、本当にその先に光はあるのか?」というと
そうじゃない部分もたくさんあって、迷うんです。

でも、やっぱり自分の限界の少し先のものを作りたくなる場として考えれば理想的だし
それだけでも意味があると思うのです。

「いつ伝統工芸展やめるの?」という問いには
「日本基準の造形から脱しろ」というメッセージも含まれていて
それを見せる準備はずっと前からしています。
最高の蒔絵表現を圧倒的な造形で作ってみせますよ。

とにかく
「やめないよ!」

合理的じゃないことをする

何件かツイートしたことについてまとめてみると、
感情が合理的になれない部分っていうのが人間にはあって
それが、僕の場合、漆についてのあれこれだということ。
一般的に、もっと上手く立ち回ればいいような部分でもとにかく愚直にしか向き合えない部分が大きくて、そのために損をしたり誤解されることもあったけど、それでも非合理性の追求に多くの時間をかけてきたように思います。
ただ、その非合理性は突き抜けてしまえば、ある種の武器になるという実感があります。

一般的に非合理に見える部分というのは、短期的なうま味が全くないので
再現されることがありません。つまり、「オリジナリティになりうるかもしれないな」というように思えるようにもなりました。
長期的な視野に立ってプロジェクトを積み上げてきたわけではなく、単純に漆の木を育てたくて、成長には10年以上かかってしまって
たまたま良い結果にたどり着いたというだけのことですが、その核心には情熱があって、そして愛情があっただけのことでした。

周りになんと言われようが、蒔絵と漆を愛しているという非合理性が僕にたくさんの夢を描かせてくれています。
ハイテクな世の中で、あらゆる物事が自動化されてゆく中、人間の自由な時間は増えてゆくでしょう。自分の時間が増えた時にローテクなことに乗り出すことこそが、人生の贅沢になってゆく時代に変わってゆくのかもしれません。

10月になったし、これからのことを書いてみる

やっと秋らしくなってすごしやすい京都です。
僕の工房は嵐山の近くなので、この辺り紅葉のシーズンに向けて観光客がたくさん訪れるようです。

「京都の夏の暑さはすごいよ」とよく言われていましたが
「こちとら猛暑関東の雄、埼玉から来たんだい!」と息巻いておりましたが、
汗が蒸発しない暑さというか、夜になっても暑くて体力を奪われて、熱中症でダウンする経験をしました。
だから、この爽やかな秋の空と空気が心地よく、そして嬉しいのです。
そんな毎日に水を差すような
「京都の冬は寒いよ」と京都の人。
「こちとら極寒の富山を経験したんだい!」と息巻いておりますが、どうなることやら。
盆地の底冷え。。どうなることやら。。

さて、10月から工房も新体制でスタートすることとなり、
制作を安定させるために日々試行錯誤しております。
まず、常勤スタッフが一人入ってくれたので、より良いものが制作できるでしょう。
あとは学生さんのアルバイトで週何日か入ってくれる人も制作のサポートをしてくれています。

そして!大の苦手で、時間を取られまくっていた事務仕事をサポートしてくれるスタッフも週一で入ってくれるので
そのあたりのプッレッシャーと時間がかなり軽減しました。

あとは海外への出品も視野に入って来たという実感があり、
今までの伝統工芸展だけの活動範囲から飛躍的に発表機会が広がっています。


ここまでは順調そうなのですが、
肝心の作品が不足しており、制作には追われまくっています。

とにかく出品機会が増えているのでそれぞれにベストを尽くそうと思っています。
引越しと新たな工房体制での制作、慣れないことが多くてペースをつかむのが大変だけど
この先に目標とする世界観が広がっていると思うので、このまま走ろうと思います。

変わるもの変わらないもの

10年前に今の世界を想像することはできたでしょうか。
僕は絶対に、できなかったと思います。

地震が起きて原発が爆発したことも
アメリカの不動産王が大統領になることも
ケータイ電話がこれほど優れた端末になることも

何一つ想像できていませんでした。
きっと、これからの10年も想像できないようなことがたくさん起こるし、それを予見することは、たぶん無理なんだと思います。

それでも、変わらないものもあって、それは人の心だと思うのです。
感覚的に縄文時代の人ってのは少し頭の良い猿みたいなイメージありませんか?違うとわかっていても教科書や資料館で見たビジュアルが原始的な住居に住んでる毛深いヒトって感じだから、どうしてもそう思ってしまいます。
でもこれは全く違って、少なくとも知能レベルとか感情に関しては現代人と変わらないだけの文化度もあって、その当時の最先端の生活をしていたのですよ。

根拠として人と漆の関わりを考えてみると、元々は実用的な接着剤や防水のコーティング剤として用いていたものを、縄文時代の初期から美的価値のあるものとして用いています。

これは、漆を扱うことが上手い職人がいた事、その技を伝える事、そしてそれを育む土壌があったという事です。

これって現代と全く変わってなくて、極端に言えば当時と採取方法から単純に塗るという行為、育む文化まで全く変化してないと言えます。

さて、これだけ変化が激しくて先が読めない時代と言われていますが、僕が根本的な漆文化に危機感を感じないのは、原始的とも言える人類が持つ美意識と漆の持つ魅力は僕たち人間から引き剥がせないからです。

まあ漆の現状は日本美術史の中心から、工芸というカテゴリーに収まっているんだけど、10年前に現在が想像できなかったように、今までもこれからも僕は漆に、蒔絵に勝算を感じているのです。
漆は何度でも世界中を魅了することができます。

あと少しだけ、

最近はとにかく休みがなくて、
頭の回転が極端に落ちています。
すると、
頭に何か入れることも、
そして何か発想することも何もできなくなってしまいました。

例えば、
本も読めないし、読んでも頭に何も入ってこなくて
だから「マインドフルネス」とか「究極の休息法」みたいな本を読むんだけど
それでも「それを読むのが疲れるわ!」って感じで、途中で諦めます。

当然ながら、そんな状況では何かの発想・アイデアが生まれにくくて
自分が天日干しされたスポンジみたいな、乾いた存在のように思えます。

でも、きっとこの状況にも意味があるんですよ。
ずっと一人で作ってきたけど、作品の質を上げるために、手をかけ続けた結果
どうしても一人での制作では間に合わなくなって、チームを作って制作をするんだけど
やっぱり人間同士だから、上手くいかないことも多くて
造形を複雑化させすぎると、木地師さんに何度となく断られて、
「どうやって作ればいいんだ?」という状況になってくる。
それがものすごく苦しい。

思いやアイデアって純粋そうに見えて
実はどこかでストッパーやリミッターがかかっていて
その中で制作しているわけです。
例えば、絵画制作だったら、自然にアトリエのサイズ以上の作品は制限されるし
予算や締め切りなども、自然に考えながら作っています。(僕の場合予算と締め切りは意識しないようにしているけど、やっぱりリミットがあるから、制作は厳しくなる)
それを少しでも越えようとすると、それまで以上の重圧がかかってきます。

今はその重圧に耐えている状況で
その中でも作り続けていなければならない。
でも、この先に待っているものが見えるんですよね。
そのために、あと少しだけ自分を追い込んで作らなきゃいけないんですよ。きっと。
あと少しだけ力をください、神様。

ビットコインと美術は似ている その3

僕が考える価値に対する人間の反応は特有で、
ある意味虚像に価値を見出すことができるのではないか?
というように思うようになりました。

ここでタイトルに話が戻りますが、
ビットコインという虚像に価値を見出して取引ができるというのは
人間特有の反応だと思うし、価値には物体が必要ないということの表れだと思うのです。
最初にも書きましたが、株式やFXと違って、ビットコインには実態がありません。
つまり、リアルな世界にビットコインというコインは存在していないのです。
「ああ、人間の欲望と想像力はここまできたのか」と衝撃を覚えました。

これからも価値観というのは展開してゆくものですが、
想像力の中でいくらでも進化してゆくのだと思います。
実体を持った美術に、価値をプラスしてゆく行為という冒険の中で
金融取引や、暗号通貨という金融のブレークスルーに学べる部分というのはとても多いと思いました。

終わり

ビットコインと美術作品は似ている その2

なんかすごく難しいこと書きはじめてしまったと思って、若干後悔しながら書いてます。
しかも二部構成にしてしまってさらに後悔。

さて、ビットコインと美術の類似点。僕の見解としては
価値がキーワードになります。
まず、日本における美術の位置付けは「美しいもの」としての概念だと思います。
しかし僕は最近、美術の核心とは美ではなく価値なのではないかと考えているのです。
この考え方だと、現代アートとかちょっととっつきにくいアートの世界も合点がいきます。
考えて見てください。
純粋にマルセル・デュシャンの「泉」を美しいと思える人はいるでしょうか。
実は、この作品ただの便器なのですが、現代美術史上かなーーり重要な作品なのです。
でも、これは美ではありません。
小学校から美術を習ってきて、中学、高校でも美術を選択していたなら美術歴の長い日本人でも
この「泉」を美しいと理解するのは難しいでしょう。いや、無理です。

まず、前提として「美術」という言葉と概念は明治時代に作られた造語で新しい概念だということ。
Artに「美術」という造語を作り認識しようとした段階から、価値と美意識に大きな溝ができたと言えるでしょう。
例えば現代アートを見るとき、そしてそれらが高値で取引される場合、多くの人は「なぜこれにこんな価格がつくのか。。。。」
という疑問符がつくと思います。慣れ親しんできた、美しいものが美術ならびにアートだとすると、
美しくもない難解な作品はルールを破っているように見えます。

確かに世の中には多様な美意識があって「自分が美しいと思わないものでも、そこに美を感じる人はいるかもしれない。」という考え方もあり得ます。でも、揃いも揃って現代アートは難解なものになってしまっているのはどうしてなのか。
それに、アート市場の取引額はとんでもなく大きいのはなぜでしょう、最近でもバスキアの作品が123億円で取引されたのが話題になりましたが、アート以外に物、物体に対してこれほどの価格がつくものがあるでしょうか。

続く

ビットコインと美術作品は似ている

ビットコインという新しい通貨があります。
まだ認知度は低いですが、架空の通貨があって
それをネット上で売り買いし、レートが出来上がっています。

人類の金銭に関する歴史は長くて
いくつかのブレークスルーがあったと思います。
例えば、物から硬貨という流通性の高い交換方法の発明とか
株式の発明とか
クレジットカード
FX
人類は、物と事を交換する手段を次々発明してきましたが、
ビットコインというのは、完全に架空の通貨です。
つまり、ビットコインなるコインはこの世界のどこにも無くて
ネット上にただレートが存在するだけ。

そして、ビットコインを中心とする
暗号通貨の次の段階は、リアル通貨としての市場性だと言われています。
つまり、少し前まで現金で買い物をしていた物が
いつからか、クレジットカード支払いが可能となり
そして、将来暗号通貨での支払いなどが当たり前になる未来が到来するでしょう。
便利かどうかは別にして、お金に対する概念が変化し始めているのは確かです。

クレジットカードが登場した瞬間を僕は知りませんが、
「こんな怪しげな品物の購入法あるか!」と、いぶかしく思っていた人も多かっただろうし
今でも「使い過ぎてしまうのが心配」とか「なんとなく不安」と言って使わない人も多いと思います。
実際にすごく便利だし、ジャパンネットバンクのクレジットカードは
残高からクレジット払いができるので、SuicaやICOCAのような感覚でクレジット支払いができます。だから
小額の買い物でもクレジットカードを利用することが多くなりました。

さて、ビットコインがどんどん波及してゆくと
各国通貨という概念がなくなりますよね。
つまり、Euroがヨーロッパの主要国で使えるようになったくらいのイメージで
世界各国共通レートでビットコインが存在できるとしたら、貿易による為替レートの損得がなくなります。
小さい単位ですが、海外旅行での換金の手間もなくなるでしょう。

なんらかのきっかけで暗号通貨がリアルな世界を席巻することは大いにあるだろうし、
それはそんなに遠い未来ではないかもしれません。

今、ビットコインはバブルで、上限であるとも言われていますが、
大手の証券会社を始め仮想通貨の取引に出遅れている段階で、
間違いなく大手証券会社も仮想通貨取引に参入してきて、
市場参加者が飽和したところからがバブルになるのではないかと思います。

なぜ作家の僕がここまでビットコインに興味を持っているかというと、
単純に、美術作品の市場性とビットコインの市場性の原理が同じだと思っているからです。

続く