カテゴリー別アーカイブ: 漆に生きる日々 京都編

今年の制作スタンス リライト記事

フリーランスの場合、作業時間がどうしても夜にずれ込んで、
夜型生活になってしまう人も多いかと思います。
僕は以前から制作開始時間を固定しているので、割と朝方の制作を続けて来ました。
開始時間を固定して制作するというのにはメリットがいくつかあります。

メリット1
作業時間を最大化させられる
いつも書いておりますが、美術は長期戦です。活動期間が長ければ長いほど有利になります。
開始時間を固定していないと、夜遅くまで、朝方まで作業してしまう日が出てきてしまいます。
すると、次の日起きる時間が不安定になります。逆算した生活をしなくなるので、ノっていれば成果が出るけど
次の日は成果が低いなんて事がおこってきます。
それは長期的に見ると、作業時間を減らす事につながってしまうのでよくないです。
体にも悪いので、朝方制作がきっと良いはず。

メリット2
社会の時間割と近い方が社会常識が通じる

夜型制作になるとメール以外世間と通じるツールがなくなってしまいます。
仕事が増えてくると画廊と電話したり、荷物が届いたり、昼間の活動が増えるのでその辺り社会性を試されてる気になるんですよ。
寝ぼけた声で電話出たくないので、朝から仕事します!
あと、スタッフに手伝ってもらうので、始業時間もきっちりしていた方がいいですね。

メリット3
精神力に任せた制作をしなくなる。

これがけっこう大きい要素なのですが、制作を精神状態に任せると100%活動時間が減ります。
ノってる日もあれば、そうでない日もありますが、そんなの関係ないですからね。
プロなので常に結果を出さなければなりません。
歴史的な名作になるようなデザインを思い浮かんだのに「調子が出なかった」で、平凡な作品にしてしまったら。。。

現代は情報がスムーズに広がる時代ですので、才能が埋もれる事がありません。
同時にあらゆる要素が複雑に入り組んだカオスな状況なので、そこを勝ち抜くには
長期的に活動を続けて、多作である。ことが求められていると思います。
鍵は作業時間の最大化だと思います。

あとは、正しい制作スタンスをパクる事だと思います。
ゴッホとかバスキアみたいな破滅型をパクっても、破滅が待ってると歴史が教えてくれてますからね。
パクる相手は正確に。

現在追い込みまっただ中でございます!
本展制作!ビバ!

ゼロをイチに変えてゆく

海外へのアプローチは継続的に続けていて、
特に昨年、京都に来てから情報を集めたり、発信したり、
目にみえにくい活動をして来ました。

海外における漆芸の市場は、ひいき目に見ても大きくなくて、
逆風が吹いているわけではないけど、
無風状態という中での活動でした。
具体的には、図録に英語訳を送って、日本美術のコレクションがある美術館に送ったり、
日本の工芸を扱っているギャラリーに送ったり、
直接話を聞きに行ったりしていました。

ただ、うまくいっていませんでした
直接「伝統工芸ぽい箱はちょっとね、オブジェ的なものを作って欲しい」という要望も多くて、
僕が今まで戦っていたフィールドで戦うのことの難しさを肌で感じていました。
実際何軒かのギャラリーはわざわざ個展に足を運んでくれたし
工房まで来てくれました、だけど、発表の機会にまで発展はしなかった。

最終的に僕がアプローチしていたとは別のギャラリーから問い合わせがあり、
そのギャラリーから紹介される形で作品がコレクターの元へ渡ることになりました。


つまり、僕が今まで行って来た努力は直接関係はなかったのです。
でも、僕が行って来た活動が無意味だったとは思えないのです。
例え関係のないところで物事が動いたとしても、
僕が懸命にゼロをイチに変えようとして来たのは事実です。

制作を通してどのような結果になるかは誰にもわからないけど、
明日また仕事場に入って作品を作ることはできます。
今までだって、無数のゼロをイチにして足したり掛けたりしながら制作を続けて来ました。
これからも信じて歩いてゆこうと思えました。

時間=価値 ではない。 (リライト記事)

漆芸作品は一般的に高価です。
その価格の裏付けとはなんでしょうか。
工程がとても多く、時間と手間、そして材料費が膨大にかかっているのは確かです。
しかし、それが理由で高価ならば、いくら質が良いからと言っても、この先漆業界は滅びますよ。
なんせ高すぎる。
時間がかかっているというのは作り手の理屈で、実際は価格に見合ったものになっていないから売れない。

ひょっとして手間がかかっている事が=価値に結びついていた時代があったのかもしれません。
でも、僕はそんな時代知らないし、それが正しいとも思いません。
だから、もの作りに携わるなら、この作業時間が長い=価値という感覚を捨てないとなりません。

試しに、三分で描かれたピカソのドローイングと三ヶ月かけて作られた僕の作品が、
同じ100万円で市場に並んだら、間違いなくピカソの方が先に売れます。
(ピカソのドローイングは100万円どころではないですけどね笑)
なぜそうなるかと言えば、ピカソの作品の方が価値があるからです。
自分が挑戦している分野の価値が低いというのではなく、相対的にピカソの方が圧倒的に価値が高い。

つまり、価値とは時間軸とは別のところで計られることになります。
もちろん、長い年月受け継がれてきた古美術には価値があるし、
長い時間かけて作られた作品には価値があります。
ただ、それらの時間の要素は副次的な要素のようです。

では、価値とは何かと考える時、僕が出した結論は
「人の感情」です。
美術は人の感情です。多くの作家が失敗してしまうのはこの「人の感情」を「自分の感情」だと勘違いしてしまうからです。
自己表現の完成は絶対条件ですが、その先に人の感情の揺らぎがないと世界にインパクトを与える事ができません。
自分以外の人の感情に価値を与えられるか?と問われているのが美術です。

人の感情は複雑です。価値基準も様々です。
お金に対する欲求、性的な欲求、食欲、社会的な地位様々な価値観が合わさって1人の人間が出来上がっています。

ピカソの作品はあらゆる欲求を満たしてくれます。
価格がが高くて、知名度もすごいので投資の対象になります。
所有している人は必ず成功者なので、一目で社会的地位もわかります。
お金があり、知名度もある所有者は人気者で多くの人が集まるでしょう。

このように所有者の感情を満たしてくれる部分が多いのがピカソの作品です。
何時間で描かれたとか関係ありません。


手間をかけて作られたものは上手くいけば美しいですが、
逆にそこに囚われてしまうと良くないことも多いです。
時間と価値が無関係だという前提に立った時に「それでも漆で表現したいことは何か」
そんな問いから今の制作が生まれて来ました。

35歳

昨日は誕生日
めでたく35歳になることができました。
35歳って、10代の自分が思っていたより、成熟していないですね。
平均寿命がのびているので、肉体と精神の成熟度が引き伸ばされているようです。

この本に興味深いデータがのっていました。
平均寿命は10年に約2年ずつのびていると言うデータ。
つまり、
現代の日本人の平均寿命が80歳代だとします。
80代の人と僕の年齢差は45年
10年で約2年の平均寿命の伸びがあるとすれば、
僕たちの世代の平均寿命はおよそ9年プラスすると考えて90歳代と言うことになります。
さらに、今日産まれた赤ちゃんは、僕との年齢差が35歳なので
平均寿命100歳というのが見えてきます。

これはデータなので、個人の寿命に直結するわけではないけど、
実際に正確な統計上、現代人の寿命は伸びています。


さて、肉体と精神の成熟度が過去と違うという話を冒頭で書きましたが、
若年層と同様に高齢者の精神的、肉体的な成熟も引き伸ばされています。
実感として、少し前の高齢者のイメージと今の高齢者では若さが違います。
サザエさんの波平さんは54歳の設定ですが、これは設定ミスではなく
その当時の平均的モデルだったはずです。

Wikipediaで調べてみると、
「サザエさん」連載は1946年4月22日〜

男女ともに平均年齢が50歳代ですね。

テレビアニメ「サザエさん」放送開始は1969年10月5日〜

子供の死亡率の低下で平均寿命は飛躍的に伸びていますが、テレビ放送開始時点でも60歳代が平均ですね。

つまり、波平さんの残りの寿命は10年くらいしかない、まさに老境にさしかかっている状況。
現代の54歳とはまるで残り時間が違います。
それに加えて、ルックスからくる老いも顕著で、波平さんはどう見ても70歳代にしか見えません。
平均寿命が長くなることによって、僕たちは、若い肉体と精神を手に入れています。

もし若者が頼りなく見えても、それは余命が十分にあるからです。
逆に、死の準備を出来ていない高齢者もたくさんいるように見えます。


人生が長くなるということは、平均寿命が短かった時代の人生におけるタスクを引き伸ばして行えるという考え方もあります。
また、余暇を十分にとるという、ライフワークバランスの調整などしきりに言われています。
ただ、僕にはタスクを引き延ばして同じ成果を得るより、
長い人生と、豊富な情報量を生かして、より遠くまで到達するという人生の使い方が適切だと思います。
明日がどのような日になるかはわかりませんが、どのような明日にしたいかという意思はコントロール可能です。
「人生を通してどこに到達したいか」というのを少し考えた35歳の誕生日でした。

日本産漆と中国産漆

以前のように中国と日本の人件費の格差はなくなりつつあって、
むしろ日本の人件費の方が安い分野もたくさん出てきていることでしょう。
中国製が安くて、粗悪というイメージももう古くて、家電や工業製品で価値の高いものをたくさん生み出しています。


さて、漆においても中国産漆は毎年価格が上がっています。
人件費の問題で、これは必然なんです。
先にも述べたように日本における漆使用のパーセンテージは完全に中国頼りできています。
ということは、中国産の漆が高くなればなるほど、
日本の漆器製造業は苦しくなるわけです。

今の漆器のブランディングって「高価なものを手軽に」みたいな感じなので
原価が上がることは死活問題になってきますよね。


ではどうすればいいのでしょうか。
僕は日本産漆の復興が打開策のひとつだと思っています。

植樹を進める

漆の木は植樹から採取ができるまでに時間がかかるので
早めに手を打っておくのがいいのです。定期的に植樹が続けられる状況を作ることがまずは必要です。

採取方法の研究

もう一つは、採取方法の研究です。
漆の採取は現在でも、幹に傷をつけ、そこから流れてくる漆液を一滴ずつ集めるやり方で採取されます。
これって、道具は石から金属に変わっていますが、縄文時代の採取方法と同じなんですよ。
伝統的な技術ではありますが、10年以上育てた木から牛乳瓶一本ぶんしか取れない
採取方法を現代まで続けてよかったのでしょうか。
幹を傷つけることなく、効率的に漆の木の樹液を採取する方法は必ずあるはずです。


伝統工芸の世界で効率化を唱えるのはタブーかもしれませんが、
漆の木を長年育てている立場からすれば、
現状の採取方法は例えるならば、牛乳を得るために、毎シーズン殺しているようなものです。
長期的に安定した採取できる方法が研究されるべきでしょう。
「漆掻きの伝統技法が失われる」と言われるかもしれませんが、
手絞りで得られる牛乳も、機械で得られる牛乳も同じ味です。
それに、後継者がいない過酷な労働ならなお、開発の必要があると思えます。

上質な日本産漆が
現在より安く、
より多く安定的に国内需要に回せるために変わる時期にきています。

美術とスタートアップ企業は似ている

ほとんどのアーティストは売れない時代を過ごします。
理由はいろいろありますが、アートを事業だと考えてみると答えや、対策が見えてきます。
まず、新規事業が成功する可能性がいかに低いか、
失敗する可能性がいかに高いのか。。。

新規事業やスタートアップの成功確率は極めて低く、米国の起業家養成型ベンチャーキャピタル「Yコンビネータ」のポール・グレアム氏によると、スタートアップの93パーセントが失敗する

(tech noteより引用)
新規株式会社が5年以内に倒産する可能性などのデータもたくさんウェブ上にあると思います。
結果からいうと、新規事業は80パーセント以上の確率で失敗するようです。

つまり、僕たち美術作家が「こういう未来を作りたい!」と思って作品制作をしている場合でも
その未来に対して賞賛が得られない可能性は大いにあるわけです。
残酷に言ってしまうと、美大を卒業した後、彼らをスタートアップの経営者だと捉えて
5年以上活動を続けることができる人材はほんの数パーセントだということです。

この現実の厳しさを知ってか知らずか、ここ何年も美大の男子学生は減り続けています。
「食えないスタートアップの美術を専攻するとヤバそう」という判断を10代の半ばで行なっている彼らは優秀です。
一部の天才を除いて、徐々に食える作家になるために、少なくとも約10年食えない時代を過ごすことが多く
僕自身もやっとたべれるようになったのは20代後半でした。

アートを事業と考えて、なぜこのようなことが起こるのか説明すると
作家=会社
作品=商品
無感情に置き換えてしまえば上記のようになりますが、
活動の最初期というのは、会社の知名度も信頼度も低く
商品の精度も低い状態なわけです。


そこから
商品を作り上げながら品質を上げてゆき
会社の知名度を上げてゆきます。
そのうちにギャラリーなり百貨店の美術画廊なり
信頼のある媒体の目に止まることとなります。
ここではギャラリーや美術画廊を仮に大手企業として置き換えます。

商品の質を高めることにより会社の信用が高まる。
そのうち大手企業と手を組むことができるようになる。
このあたりから、少しずつ一般的な知名度も上がってきます。

さて、スタートアップが大手と組んで仕事をするようになるまでの話をしましたが、
随分と時間がかかってしまいました。
1から自社製品を作りあげるのですから、当たり前です。
その間、製品を常にアップデートしたり、方向性を模索したり。。。まさに暗中模索を繰り返すわけです。
この時の心理状況を想像して見てください。

将来的に売れるかどうかわからないものを
赤字を垂れ流しながら作り続けている。
場合によっては応援してくれる人より、非難される場合が多くなるかもしれません。
それでも、続けてゆくことができるだろうか?
身の毛もよだつ話ですが、これがスタートアップの真実です。


30代になってみて、周辺を見渡すと、生き残った作家しかいない状況です。
彼らは優秀で、最後まで諦めなかった人たちです。
どんな状況であろうと休まず作り続けてきていたのを僕は見ていました。

一部の天才を除いたら、食えない時代を必ず通過します。
それは企業のスタートアップのように、成功率の低い試みです。
起業家の自伝を読むと、寝る時間を惜しんで、仕事に明け暮れる日々があり、
大きな挫折や失敗を乗り越えてきたことがわかります。
その先に明るい未来があると信じることができるなら、
また明日仕事部屋に入って次の作品を作り始めなければならないのです。

芸術家は孤独で貧乏な存在なのか。 リライト記事

芸術は売れなくてもいい。好かれなくてもいい。芸術は認められなくてもいい。成功しなくてもいい。自分を貫いてぶつけて無条件に自他に迫って行く事が芸術だ。
– 岡本太郎(芸術家)

日本では芸術家についての一般的なイメージってこんな感じではないでしょうか。
実際に美術教育もこういう

自分を出してゆくもの。
社会と隔離されたもの。
理想の世界。
気持ちを芸術活動に全力でぶつける存在。

みたいな教育が本気でおこなわれています。
僕は通信制の大学で日本画を学んだ経験がありますが
気持ちやプロセスを大切にする教育や、
売れない自己表現
わかりやすい情熱を画面にぶつける事が良い
そんな空気が大学全体を覆っているのに、とても違和感を感じました。

他人がどういう指針で美術と関わるかは個人の自由なのでどうでも良いのですが、
僕は美術は人や社会の中にあるべきものだと思います。
個人の内心や美意識はとても大切ですし、
それを画面なり制作される作品に投影させる事も大切です。
そのために日々の鍛錬をして、理想の状態を作り出すのが制作活動だと思います。

ただし、その前提には必ず
コミュニケーションが必要だと思っています。
自分の家で作って、自分だけが見てるなら良いのですが、
人に見てもらおうと思うのに
「売れなくても良い」
「理解されなくても良い」
「共感を得られなくても良い」
などと考えていると
せっかくの、自分の美意識を社会と共有すると言うすばらしい理想と
逆の方向の思考を作品に負わせてしまう事になると思うのです。

プラスの力とマイナスの力が一点に集中して
どこにも進めていない状態です。

僕は美術を志したとき
必ずプロになろうと決めていました。
制作活動で生活できるようになりたかったのです。
工芸を学ぶプロセスはその上でとても役に立ったと思います。

はっきり言ってしまえば
工芸技術を学ぶのに気持ちや感性など全く必要ではありません。

技術はいつも十分ではないですし
圧倒的な上下関係があります。
先生には敵わないのです。

そういった鍛錬や技術の伝達というのは
若い時代、美術と向き合うときに、とても大切なプロセスだと思うのです。

技術には個性の入り込む隙間がないのです。
自分の手や頭脳をその素材に捧げて、やっと自分の表現したい事ができる。

その先にあるものは
美を通したコミュニケーションだと思います。
僕にとって芸術とは社会とつながるためのコミュニケーションツールなんです。

なぜ若手作家は消えてゆくのか

高校生の時から美術の世界を眺め始めて
自分もその中の人になってみると、
色々なドラマを目撃して来ました。
その中で、美術のストーリーから脱落してゆく(脱落という言い方には語弊があるかもしれないけど)作家を幾人も見て来たわけです。
彼らは確かに、若手アーティストとして輝いていて
そして、心から憧れたけど、生き残ることができたのはほんの一握りで
いくつかの段階を経て、みんないなくなってしまいまして。

今話しているのは、大学なんかを卒業した後に作家として活躍していた人たちです。
彼らが目に見える場所からいなくなる段階とはどんなだったのか。
自分の長期活動を考えた時に、彼らが身をもって示してくれた教訓を生かす必要があると考えたのです。

一体何が起こっていたのか。

それは、、

作品が売れなくなってしまう

第一に表舞台からいなくなる理由は、売れなくなることです。
長期的な付き合いのあるギャラリーだって、売れない作家とそれ以上の付き合いを続けてゆくことはできません。


売れなくなる理由は複雑で、人の心の中にあるので一概に言うことができないのですが、
僕もいちコレクターの目線として、興味を失ってしまうタイミングがいつなのか考えてみると。

一作品で満足してしまう
不思議なことに、作品を購入して、さらに追加で買いたいと思える作家と
そうで無い作家がいます。

価格が見合わなくなる
ある一定の年齢になると、価格が上がったり
キャリアによって価格が上がると、ある段階で値ごろ感が失われる感じがあって、
それが購入の妨げになることは多いです。

作品がマンネリ化する
ここは難しいのですが、作風と展開の中でとめどなく揺れ続けるのが
作家でもあります。つまり、自分の作風を築いて、そして人気をはくすけど、
そこに一生閉じこもっていることはできません。
一貫した作品の印象が貫かれていても、変わり続けなければならないけど、
からを破ることができなくなってくる。

若くなくなる
これはどこの世界でも言えることだと思うのですが、
若さが武器になる部分はあります。
「若い人を応援したい」と言う、気持ちを持ったコレクターさんはたしかにいて、
作品が良いことは前提だけど、「若さ」に対する支援として購入してくれる人もいます。
だけど、若さは有限だから、ある段階でコレクターが自分より年下という状況に移行する必要があります。
その段階がうまくいかないと、生き残ることができません。


美術は人間のストーリーなので
割り切ることができない部分が多いけど、
一貫した信念が無く走り続けるには、作家人生は明らかに長いのです。
上に記した、作家が突破しなければならない壁を超えてゆく答えを自分なりに出してゆき、
同じ時代を生きる蒔絵の現在を強力に世界に向けて発信し続けること、
それが自分にはできると思えるんです。
1度目の答え合わせは僕が40代になった時でしょう。

漆の一般化は必要ない

漆業界における慢性的な問題点があるとすれば、
それは過度の一般化を目指すところです。

実は、日本において漆は十分に一般化した存在だと思っていて、
逆に一般化しすぎているのではないでしょうか。
考えてみてください。
漆という大量生産が難しく、高級な素材を使ったアイテムが、一般化している時代が過去どれくらいあったでしょう。
高度成長期を除いたら、過去、封建的な社会体制の中、一般の人が漆器を持つことは極めて難しかったのではと推測しています。(もう一度バブルが来たら漆器が飛ぶように売れる時代が来るかもしれませんが。)

大量生産品の陶器に対して漆器のコストがどれくらいの比率だったかわかりませんが、
日本という木材が豊富な国であっても、過去頻繁に一般的に漆器を使っていたとしても、
轆轤挽きの椀に数回の拭き漆がしてある簡素なものが限度です。

では現代では、あらゆるデパートに漆器売り場があります。安価なものから高級なものまでありますが、
一般的な暮らしをしていて、買えないほどではありません。
つまり、「一般にまで漆器が浸透していて、これ以上どこを目指すの?」という疑問に
「さらに安価なものを製作してより多くの一般人に広める」みたいな答えしか出てこない状況に陥っています。
この考え方の危険なところは
顧客のモデルが全く無いところです。
一般化って何でしょう?
一般人とは誰でしょう?。。。。。
一般人なんて、いませんよ。
僕とあなたがいるだけです。

だから、僕は常に誰かと対話するために作品を作ってきました。
多くの人に向かっては無いけど、本当に蒔絵の文化や美意識に関心を持ってくれている、
一人一人と話してきたつもりです。

どこにもいない誰かのために
「安ければ売れる」というマーケティング続けていたら、漆は無くなります。

一緒に仕事をしたいと思える人・したくない人

僕は自由業みたいなものなので、
会社勤めの人より、人付き合いについても自由な部分が多いと思います。
だから、はっきり言って、好きな人としか仕事しないし、嫌だと思えば断ることも多いです。
同時に、お客さんやギャラリーとの関係も「違うな」と思えばやめてしまえばいいと思っています。
誰かに合わせて、消耗して良いものが作れると思わないので。

さて、僕の小さな世界の中でも色々な業種の人と繋がって
物を作って、発表しています。
その中で、当然ながら
「この人、仕事しにくいな」と思う人
「この人のパフォーマンスすごいな」と思う人がいるわけです。
で、この違いとは何かと考えると。

最終的に、一つの究極の要素にまとめることができると思います。
それは、
「昨日のベストの少し先の仕事をしているか」
というのに尽きるのではないでしょうか。
完璧な仕事をできる人はいません。どんなプロフェッショナルだって、
ミスはしますし、ムラがあるのは当然です。
ただ、どの業界にも言えるのは、自分の限界を少しでも越えようと思う人は成長してるし、
結局のところ仕事がしやすいのはそういう人です。

当然、ベストの更新をし続けるのって、苦しいんですよ。
勉強もしなければならないし、失敗のリスクや、コスト計算したら赤字ってこともありますし、、、、
別に外注先に損してほしいとは思ってないけど、
一緒に仕事していて、楽しいのは、やっぱり成長し続けてる人だったり、業者さんなんです。
僕のいる業界は、いい意味でも悪い意味でもアーティスティックな人が多いので、
わがままな人が多いんです。で、平気で締め切り破ったり、パフォーマンス下がったりする人が多いんです。本当に。
僕もプロなので、仕事の内容でどれくらい力入れたか、すぐわかります。
それで、長期的に見たら、そういう人や業者は衰退してゆきます。
今はネット社会なので、口コミがとても重要な時代です。伝統工芸の世界ではまだネットが入り込んでない分野も多いから
口コミで人気になったり、反対に衰退することも少ないですが、淘汰の時代はすぐそこまで来ています。
今までのように、代々の知名度や地域的な優位性(有名な産地)で勝負できない時代になります。

そんな時、必ず「一緒に仕事をしたいと思える人」しか生き残って行けないんです。
今回、根付作家の上原万征さんと一緒に仕事させていただいて、
仕事からヒシヒシとプロ意識が伝わってきました。
「またこの人と仕事できたら幸せだな」そう思えました。

だって、この仕事見たら、俄然張り切っちゃいますよ。