チャンスの顔

たまに思う事なのですが、
人生のうちのチャンスの数は、全ての人に平均的に与えられているのではなかろうか。
そのチャンスをつかむかつかまないかで、人生は大きく変わってしまう。

チャンスが平等に与えられているのに、つかむ人とつかまない人がいるのはなぜか。
それは、チャンスが常に違う顔をして現れるからだと思います。
ほとんどのチャンスは優しい顔をしていません。
たいがいは極限の状況で選択を迫ってきたり、緊張を伴うような顔をしてやってきます。
なんだかコワい事が多いです。
そして、なにより
「自分にはまだ早い」とか「おそれ多い」と感じてしまいます。

こうして、緊張は回避され、いつもの日常がやってきますが
そのチャンスはもうやってこなくなります。

 


 

「複雑な世界、単純な法則」という本に書かれていたことで
ちょっと印象的案部分があります。

「無数の粒子が飛び交っている空間に1つの核があり、粒子がその核にくっついてゆくとどういう形になるか」という話。
どうなると思いますか?
僕は疑いもせずに、雪だるま式に膨らむ物だと思いました。

実は雪だるま式には膨らまないそうです。
ではどうなってゆくかと言うと、最初についた粒子にどんどん粒子がくっついていって
枝のように長く伸びるらしいのです。
なるほど、考えてみればそうなるような気もします。
粒子がつながればつながるほど、その枝は伸びてゆきます。

この話、チャンスに似ているように思いました。
1つの変化は、更なる変化を呼び、その変化の連鎖は自分でコントロールできないものとなってゆきます。
最初の粒子がくっつくときの変化は日常を変えるような恐ろしさがあったり、全く気づかないものかもしれません。
でも、平等に与えられたチャンスを1つ1つたぐり寄せてゆけば、人生は変化してゆきます。

勝つ人は勝ち続けてるのに、そうでない人は明日も同じ一日を送るのは、最初の小さなチャンスに気づいて
それをたぐり寄せたか、そうしなかったかによるのではないかと思います。

人生は平等ではないけれど、そういう状況を跳ね返してゆくのに有り余るほど
チャンスはこの世界に存在していると思うのです。
おそろしい変化の顔をしていますが。