美術作品を贅沢品ではなく社会貢献のツールにするには

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日本における美術品の購入はお金持ちの贅沢として捉えられがちです。
これはZOZOの前澤さんがバスキアを123億円で購入した時もアンチに騒がれたことからもわかります。
コレクターがコレクションすることで叩かれる意味がわかりません。
が、実際に公私どちらとしてもお金が美術に使われることを否定的に感じる人がいます。
過去にも東京都が現代美術館が1995年の開館時に約6億円でロイ・リキテンスタインを購入した際に、問題になったようです。
今となってはリキテンスタインの代表作を6億円で買っていたなんて「よくやった!」と絶賛したいけど、
当時は「公費を漫画に使いやがって!」みたいな空気だったのでしょうか。


実際のところ美術は単なる贅沢なのでしょうか。
同時に美術に公共性があるとしたらいかなるものなのか。
コレクションされた作品が公共の利益になるとしたら2つのパターンがあるように思います。
まずは、寄贈による美術館収蔵
そして、財団や私設美術館による公開

明治工芸の一大コレクションを作った三年坂美術館の村田館長は後者と言えます。
ZOZOの前澤社長も近い将来美術館作るのでは?と思っています。
現在私立美術館として公開されているものも、財閥や大名がルーツになっているものが多いです。

一方で、日本美術の弱点は寄贈の文化がない、または一般的ではないことでしょう。
実は日本の美術館って予算が少なくて、新規のコレクション収蔵に苦しんでいます。
美術の振興に国が予算をつけて、たくさんの美術品をコレクションするというのは理想ですが、
なかなかそう簡単ではないんですね。
なので、ポイントになるのは、価値の高い寄贈によるコレクションの形だと思います。

最近では、アメリカのメトロポリタン美術館への竹工芸の大規模な展覧会と寄贈があり
工芸関係者としては胸熱でした。本当に。


そこで思うのが、コレクションへの寄贈文化の違いです。
どうやら、アーティストとギャラリストとコレクターと美術館が滑らかにつながっていて
美術の体系が出来上がっています。
つまり、アーティストが作ったものをギャラリストがコレクターに勧める
それが将来、どこの美術館に収めて、どのような社会的価値があるのか、
そこまでギャラリストがマネージメントしているようです。

日本の場合、それぞれが分断されているようなイメージで
作品は売れた瞬間から行方不明みたいな感じ、そして所有者が変わったとしても
誰も知られずに、押し入れに入ってしまうみたいなことが起こります。

アートの市場が弱いというのはつまり、流れがないということのようです。
アーティストとギャラリストとコレクターと美術館という流れができて、寄贈への税金優遇がさらに拡大されたら
きっと美術作品は贅沢品ではなく、より社会貢献のツールになると思うのです。

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