ビットコインと美術作品は似ている その2

なんかすごく難しいこと書きはじめてしまったと思って、若干後悔しながら書いてます。
しかも二部構成にしてしまってさらに後悔。

さて、ビットコインと美術の類似点。僕の見解としては
価値がキーワードになります。
まず、日本における美術の位置付けは「美しいもの」としての概念だと思います。
しかし僕は最近、美術の核心とは美ではなく価値なのではないかと考えているのです。
この考え方だと、現代アートとかちょっととっつきにくいアートの世界も合点がいきます。
考えて見てください。
純粋にマルセル・デュシャンの「泉」を美しいと思える人はいるでしょうか。
実は、この作品ただの便器なのですが、現代美術史上かなーーり重要な作品なのです。
でも、これは美ではありません。
小学校から美術を習ってきて、中学、高校でも美術を選択していたなら美術歴の長い日本人でも
この「泉」を美しいと理解するのは難しいでしょう。いや、無理です。

まず、前提として「美術」という言葉と概念は明治時代に作られた造語で新しい概念だということ。
Artに「美術」という造語を作り認識しようとした段階から、価値と美意識に大きな溝ができたと言えるでしょう。
例えば現代アートを見るとき、そしてそれらが高値で取引される場合、多くの人は「なぜこれにこんな価格がつくのか。。。。」
という疑問符がつくと思います。慣れ親しんできた、美しいものが美術ならびにアートだとすると、
美しくもない難解な作品はルールを破っているように見えます。

確かに世の中には多様な美意識があって「自分が美しいと思わないものでも、そこに美を感じる人はいるかもしれない。」という考え方もあり得ます。でも、揃いも揃って現代アートは難解なものになってしまっているのはどうしてなのか。
それに、アート市場の取引額はとんでもなく大きいのはなぜでしょう、最近でもバスキアの作品が123億円で取引されたのが話題になりましたが、アート以外に物、物体に対してこれほどの価格がつくものがあるでしょうか。

続く