世界の美意識と日本の美意識 その2

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人類の美意識は進化していて、美意識は教育からなる。というところで終わりましたが、
それを具体的にどのようなことなのか。
僕の仮説を茶の湯で例えてみようと思います。

◆そもそもなんでお茶が美術なの
僕たちは、茶の湯の美術を受け入れていますが、
そもそもお茶を飲むという前後の行為や、道具に美的価値があるというのは不思議です。
焼肉に美意識があっても、飲酒に美意識があってもいいわけです。

抹茶を飲むことに美意識を持つこと自体は、
桃山時代以前にもあったようですが、
千利休というスーパースターが、戦国時代に茶の湯の体系化を進め
後世に影響力を残し現在に至る、というように僕の中で理解しています。
さて、利休の推し進めて美意識は、
当時の権力者に喝采されたわけですが、
違和感を覚えませんか。
世の権力とお金が集まるいけてる大名とたちが
金銀をあしらったきらびやかな喫茶ではく

わび

に心酔していたのです。
当時それが、クールだったわけですが、
なんの教育もない状態で茶の湯を代表する茶道具を愛せるでしょうか。
おそらく難しいです。
土や釉薬の自然な情景を見立てて、そこに詩情を讃えるとなんとも言えない感情が込み上げてきます。
ただそこには、茶道の文脈・ルールがあり、それを理解しているから感じ取れるものです。

つまり、前段階の知識とか、ルールを知っていることが美意識の最低条件と言えます。
その視点で、世界のアートシーンを見てみると、
それぞれの国の美的価値や独自の進化で説明ができる部分が多くなります。
アメリカは美術の歴史が浅いけど、世界のアートシーンを牽引するような
進化を遂げています。それはまさにアメリカを体現していて
自由とか資本主義とかドラッグといったものを取り込んで進んでいます。
そして、それが美術史として伝わり教育されています。最先端の美術の現場なのです。

ルールを理解すると、なぜ今、この作品がここにあるのか説明ができます。
そこには、視覚的な美しさと同時に正しさが存在するように思えます。

現段階で僕が認識しようとしている美意識とは上に書いたようなぼんやりしたものです。
それを踏まえて漆で世界と戦うためにすべきことは、一体何か、
答えあわせのように作って、活動して、10年後には全く違う景色を見ているように思います。