僕の作品が売れなかったワケ

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こんにちは漆芸作家の浅井康宏です。
今日は「なぜ人には物が必要なのか」という大きなくくりについて僕が思っていることを書きます。


プロローグ

「僕の作品が売れないのはなぜだろう?」
20代の僕は長年作品が売れなくて困っていました。
年々かさむ作業費を親のスネをかじりながら作っている恥ずかしい状況で
日々、タイムリミットが迫っているようで焦っていました。

29歳のとき初めて作品が売れました。
日本伝統工芸展で新人賞を受賞しその作品に売約のシールがついたのを見たときは嬉しかった。
その作品は100万円でした。


その後も作品が売れない時期があって、32歳くらいから
作品が完売するようになりました。
これは自慢では無く、29歳の時のきっかけ、
そして32歳から何が起きてきたか自分なりにわかっていることを書こうと思っています。




20代の頃、僕は人が美術品を買う理由がわかりませんでした。
仮説を立てても、それは思考の方向性が違っていたと今では思います。
そのとき考えていたのは
「ステータス」を得られるものとして美術があるとふんわり思っていて、
そのステータスを自分の作品にまとわせるにはどうすればいいのか?と考えていたのです。

だけど、僕の作品を買ってくれる人たちは共通して
「ステータス」であるはずの僕の作品を誰かに自慢することを目的としていないことに気がつきました。


どちらかというと人の目を気にするより
「ただ美しいものが好き」という様子で、僕が思っていた「美術コレクター像」とは違っていました。
そこから自分でも誰かの作品を買うようになって、色々わかりました。
お金がない中での購入だからものすごく調べたり迷ったりして買った作品は
自然と「ありがとう」という気持ちになりました。

「ああ、作品を手にするとこちらも感謝の気持ちが生まれるのか」という実感です。
今まで「自分の作品とお金を交換するなんて申し訳ない」という、罪悪感みたいなものがあったんだけど、
それが変化してきました。


今言えることは
僕が作っているのは美術作品を通した「信念の具現化」だということ。
僕たちは「信念」によって集められたものの中で生きて、食べて、考えています。
例えば、
「食器が好き」という信念がある人はこだわりの食器を身の回りに置こうと思う。
「食器はどうでもいいけど、食べるのが好き」という人は作ることにこだわるけど食器は使い捨てのものが集まる。
このように僕たちの周りにあるものは全て大小の「信念」によって引き寄せられたものや事でできています。

僕の信念は「蒔絵が好き」「美術が好き」など
このような信念を具現化しています。
この信念は誰かと同期されたり、共感を生んだりして、
その時僕が誰かの作品を買った時に感じた感謝の気持ちが生まれるのだと思いました。

僕の作品が売れなかった頃とは「信念を具現化」する力が弱かったのです。
ひどく抽象的な記事になってしまいましたが、
誰かの心を動かす鍵があるならばそれは「信念」なのだと思っています。