利便性の問題解決と美

利便性の問題解決に励んだ日本の方向性と美は真っ向から対立します。
このブログの読者の皆さんなら、気がついていると思いますが、
利便性を追求すると、そこから美がそぎ落とされてゆきます。

例えば、佐藤可士和さんのデザインしたコンビニ用コーヒーメーカーは
説明不足という理由から色々と説明シールが上から貼られて説明の塊みたいになった画像がたくさん見られます。
使いにくいというのはどうかと思いますが、
説明の先回りみたいな日本製品って思ったより周りにたくさんあります。
例えば、洗濯機をみてください。ドラム式だと特に、上面に説明や注意書きがたくさん。
「説明書かよ!」って突っ込みたくなるような。
一方で海外の家電ってあまり製品に説明が書かれていません。

確かに説明で埋め尽くされていれば、便利かもしれないけど、
そこに美しさはありません。
せっかく美しいフォルムの洗濯機を作っても、説明的なテキストにまみれてはそこに目がいってしまいます。

車についてもそれが言えるように思います。
車における利便性とは、自由な移動パッケージです。
自由には、内容量とか、快適な車内空間などが含まれますが、
それらの問題を解決しようとすると、自ずと形が固定されて来ます。
そこに日本車の強みがあるけど、ブランドが放つメッセージには利便性しかありません。
悪いことではないけど、美しさは遠のいてゆきます。


僕が作っているものには利便性の問題解決をできるだけ排除してゆきたいと思っています。
それは、現代における物と人あり方に少しだけ変化を与えたいという提案です。
つまり、僕たちは、身の回りの物は自分を中心にコントロールできる物として捉えていますが、
そうじゃなく、物に合わせる生き方も生活のどこかに必要だと思っているのです。
そしてそれこそが、美なのではないでしょうか。