前例が無くなってからが本番

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実は僕、いろいろビビってて、何をするにも前例にしがみついていました。
それが20代の頃です。

ブログで発信したり、ツイッターしたり「有名人でもない僕の発信になんの価値があるんだ?」
「いつか有名になってから発信した方がいいはずだ!」と、いろいろなことを先延ばしにしていたんです。
そして、多くお先人たちの略歴を研究していました。
なぜかというと
「明治生まれの〇〇先生はこの年に〇〇をしたのか」とか
「先生の先生は僕と同じ歳のときに〇〇を作ったのね」みたいに、
あたかも前例を勝手に仮定して、そこを追いかけるような活動を、
心の拠り所にしていたところがあります。
そして、それは楽なのです。
憧れている人のキャリアを目指して追いかけるのだから
充実感もあって、達成した時の喜びも大きい。

でも、仮に前例を100年前に生まれた人に設定してみても、
今と全然状況が違うし、彼らのやって来たことは、新たな道を1から開拓したようなものなのです。
後から見てみると、それがきちんとした道になっているから、いとも悠然と活動しているように見えて、
その瞬間、瞬間は壮絶だったはずです。

それに、キャリアをコピーすることはできません。
最初は過去とか、周辺を観察しながら恐る恐る歩んでいても、
気がつけば、すぐに前例の無い状態になります。

僕はそれに気づくのが遅くて、29歳のときにやっと、
前例がない状態に自分があると焦りました(正確に言えば、どのような活動においても前例なんてないです。)
それに気がついてから、前を向いて走り始めたのです。


実のところ大人になるということは
前例の無い道に足を踏み入れることのように思えます。
学生時代までは、あらかじめ問題と答えが用意されているけど、
社会に出たら、突然、自分の生きている周囲の問題を見つけることを要求されます。


そう言えば、以前、恩師から
「俺の先生が俺に言ってくれた言葉がある」と話してもらったことがあります。
「まず立て、後ろに壁を作れ、左右に壁を作れ、そして一歩踏み出せって」


その時はあまり意味がわからなかったけど、
頭の中でイメージするとすごく勇気がもらえる言葉だったように思います。
前例がない真っ暗な道に差し掛かった時、そこからが勝負なのです。

「まず立て、後ろに壁を作れ、左右に壁を作れ、そして一歩踏み出せ」