時間をかけることと価値があるというのは別の話

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工芸の魅力を伝える際に「これだけの時間をかけて作りました」と言ってしまう場合があります。
僕も以前は「これだけの時間をかけて作ったので、、高くてすみません」と20代の頃、
知り合いにお願いして小さな作品を買ってもらったりしていました。


だけど、これは根本的な部分で間違っていました。
時間がかかるのは事実だとしても、その事実に対して購入者に責任を取ってもらうのはよくありません。
だって、手作業にこだわってものを作ってるのはこちらの事情なのですから。


ここまで書いて「おいおい、今だって〇〇ヶ月かけて作りましたって言ってるじゃん」と思われる方いらっしゃるでしょう。
実際僕はツイッターなんかに「〇〇ヶ月かけて完成しました」「○年かけて作ってる作品です」とツイートしています。
でもこれは以前のように作品価格の裏付け説明をしたいためではありません。

最近は「価値」のある作品を作るために
膨大な時間を費やしています。

つまり、作品の価値またはクオリティを上げるために使える時間が飛躍的に向上したことを伝えています。
以前は年間三回ある公募展作品を作るのに、単純に4ヶ月しか使えなかったのですが、
現在は工房制作の元で一年以上かかりきりで作ることができるようになってきました。
「価値」を創造する挑戦ができるようになったともいえます。


さて、価値とクオリティを求めるための時間について書きましたが、
価値を創造できるならば極端な話で言えば時間は関係ありません。
何年もかけて制作してきたものが、何らかの技術によって一日で作り上げることができれば、それでいいわけです。

とうぜん機械で作るものと人が作るものには差があって、今は人が作るものの方がいいと感じているから
手作業にこだわっている部分もあります。

最終的に大切なことは完成したものにどれだけの価値があるかということです。
目的のための手段であって、手段が目的になっては伝わりにくいものになってしまいます。
手の中の仕事の場合、愛情が強ければ強いほど気づかないうちに手段に偏ってしまうことがよくあります。

「価値」を作るために、手の中でものを作るということは時に難しいものです。