気持ちは形に現れる

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正確に思い出せませんが、
以前、落語家の柳家喬太郎さんの動画で、
「何年も落語を趣味でやってる、素人の落語より、昨日入ってきた前座の落語の方がいい」
という趣旨の話を聞いたことがあります。

コアなら落語ファンなら、大学時代の落研から
社会人になってからも、寄席へ通い、
そして噺の稽古をしている人も
少なからずいると思います。

一方で、昨日入ってきた前座というのは、
場合にもよりますが、右も左もわからないような
師匠のかばん持ちみたいな存在を指しています。
それでも「前座の落語の方がいい」
というのはどういうことでしょう。

僕も思い当たることがあります。
僕の職業、漆芸作家は伝統工芸なので、
落語に通じる、修行や技術の世界です。
なので、その道に入り、極めるために多くの時間が必要です。

僕はこれまで多くの人に自分の仕事を手伝ってもらってきました。
10人以上は色々な形で、僕と一緒に仕事をしてくれました。
その中で、
「この人は大丈夫だな」と感じる人と、
「この人に作品を触らせてはダメだ」と感じる人がいました。
それも、ごくわずかな時間でそれがわかりました。
1時間もあれば、その人の指先からどのようなものが出来上がってゆくかわかるのです。

どのような部分からそれがわかるのかというと、
ざっくりと、
「集中力」と「愛情」です。
お互いは相互に関係していますが、
「集中力」は体のあらゆるところに現れます。
漆に対する「愛情」も実に見えやすいのです。

そして、この2つは無駄に長期間漆を学んだと言う人より、
情熱のある初心者が持ち合わせている場合もあります。
要するに、人生と漆の距離が近いほど、
完成する作品の質は高いのです。

逆に、人生と漆の時間が長くても
距離が遠ければ、
小手先の技術や知識だけというわけです。
冒頭の落語の話につながりますが、
技芸の深度は
気持ちの問題が大きくて、
気持ちで誰かの心を動かせるのです。