誰にでも愛されようとする人は不誠実な人だ

学生時代から思っている事があります。

「あ、この人、美術やめるな。」

なんだか、よくわからないんだけど、感覚的に将来美術を続けない人がわかっていました。
そういう人たちって別に美術の劣等生ではないんです。
逆に、優秀だったりします。知識も理論も夢もはっきりしていて、人気者でした。
でも不思議と「あ、この人美術やめるな。」と思わせる何かがありました。
結果的にそういう人たちの多くは美術と関係ない仕事に就いています。
その社会で上手くやっているかどうかは知りませんが、際立った成果を出しているとも聞いていません。

「美術をやめる」という直感が働いたのは
たぶん、その人が誰にでも愛されようとしているところが見えたからだと思います。
愛される事は悪い事ではないけれど、誰にでも愛されようとする人には、なんとなく他人への無関心を感じてしまうのです。
結局は自分にしか興味がなくて、表面的にはいいけど、深くつきあいたくないような不誠実さを感じていました。

美術って誠実にならなければ続ける事ができないと思うんです。
人格的に破綻していたとしても、制作において愚直なまでの誠実さが求められます。
趣味として続けることを除けば、作品制作とはとても不条理で
いろんな物を捧げてゆかなければなりません。
単純にそれを楽しめるかどうかという問題なのですが、
いろいろな局面で、誠実さが試されます。

同時に、誰かや、誰かが作ったものに対しての尽きない好奇心が必要だと思います。
けっきょくのところ、人間関係とは自分自身の鏡でしかないように思います。
浅い付き合いしかできない人は、人に対する関心も浅くて
物への関心も少ない。

不器用なところがあっても誠実さを感じられたら
その人のことをとても信頼できますよね。

木地制作をお願いしている人が完成品を車で持ってきてくれました。
甲面のラインがどうしても気に入らなくて、
「次からはここをもう少し優しいラインでお願いします。」とお願いしたら
その木地を持ち帰って、修正して送ってくれました。
その木地師さんは僕より年上で、十分な知識と技術があるのに
僕の作りたい一点のためにここまでしてくれたことが嬉しかったです。
通り過ぎる一点の「物」を共に作り上げる「作品」として対話してくれたこと
その人の誠実さを感じました。

お礼に木地師さんが入手できなくて僕が持っていた木工の本を差し上げました。
「この人にこれからも木地を作ってもらいたいな」というエピソードです。
一点の木地に心がこもると、引継いだ僕のうるしの作業も情熱的になります。
目に見えない木地や下地の思いは必ず作品から気品を漂わせてくれると思います。

1つの作品や1人の人を一生懸命見つめようとすることが作品制作に直結したらいいな。
難しいんだけど。