護国寺界隈

20歳を少し過ぎた頃、僕は豊島区で暮らし始めました。
はじめての東京暮らしで知り合いもおらず、工房と自宅の往復だけの華やかさの無い暮らしてたなあ。
休みも少なかったし、お金もないし、家ではいつも自分の作品を作ってばかり。
だから、なぜ飲み屋に行ったのか、覚えていませんが、ある時から僕は護国寺界隈の飲み屋に通うようになった。

初めは寿司屋に。
間口の狭い縦長の作りの寿司屋で、古い建物からは歴史という粋なものは感じなくて、ただボロいという印象でした。
貧乏でも入ろうかと思ったのは、表にあった「晩酌セット2000円」の看板のおかげだったでしょう。

田舎から出てきたばかりの若者がどきどきしながら、少し大人の世界に足を踏み入れた瞬間です。
常連だらけのその店に不思議ととけ込んで行きました。
500円を握りしめて店に行けば、誰かにお酒を飲ませてもらえる。そんな環境でした。
それからずいぶんと月日が過ぎて、たくさんの人が去ってゆき、また、新しい人が現れる。
たいして面白いドラマは無いけど、教訓はあります。

人は皆寂しがっています。
店の常連は、独り身が多いんです。男も女も口では「飲みたいだけ」と言いながら
どこかで、人が近くにいないとダメなんです。
会社の自分じゃない自分がどこにもいなくなると、不安で自然となじみの店に来ちゃう。

そういう所に長くいると、無理矢理でも帰らなくちゃならない家があるってのは幸せなのかと思いました。
自分を確かめるために他人が必要なら、その他人は家族の方が良い。
自分を確認するために誰かが必要なのだから、誰かの存在を肯定できるために生きる。それが家族なのかな、と思うわけです。