30代半ばの僕が気づいた「人生を少しだけ自分らしく生きる方法」

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誰かに何かをさとすわけでは無いけど、
36年生きてきた中で見つけた、少しだけ自分らしく生きられるコツがあってそれを書こうと思います。


プロローグ
僕の記事をいくつか読んでくれていたり、
SNSで僕のことを知ってくれた人は知っていると思いますが、
僕は漆芸作家という職業で生きています。
詳しいプロフィールは上の方にあるリンクをクリックしてみてください。

僕は若い頃不登校だったり、
うつ病になったり20代まではとにかく
「生きにくさ」を感じ続けていました。
それが30代になると少しづつ
自分らしく、そして、少しだけラクに生きられるようになりました。


ここからは、なぜ僕が抱えていた問題がなくなっていったか説明してゆきます。

結局のところ人生を困難にしているの勝手な思い込みだったと気がつきました。
20代の頃の僕はとにかく、
「〇〇をしたら誰かにどう見られるかわからない。」
「〇〇をしたら恥をかく。」
という観念に囚われて、
いつもどこにもいない誰かに気を使って生きていたような気がします。

だけど、はっきり言って、僕の事なんて誰も気にしていません
自分が思っているほど、人は僕の事なんて気にしてないし、
僕も他の何人、何十人の事なんて自分の時間の中で考えていませんでした。

例えば付き合ったばかりの彼女がいるなら、その子のことばかり考えてしまうかもしれないけど、
一日のうちに考えている時間なんて知れているし、他人や、ちょっとした知り合いなら
それこそ、気にもとめません。

「ああ、他の人にどう思われるかなんか気にしすぎなくてもいいのか」
「だって、自分も思ったより人の事気にしてなかったしな」
という気づきが人生を自分の元に近づけてくれました。


◇そしてもう1つ。
他人の中に自分を作らない事。
僕はとにかく「あの人にどう思われているのだろうか」
という他人の中の自分像を気にしすぎていたように思います。
前述した通り、誰かにとっての自分なんて絶対的な他人なのだから、
自分が思っているほど他の人の中に自分像など存在していませんでした。

そして、大切なのが
「その人にどう思われようが自分に責任は無い」という事実です。
例えば、どんな善人がいても善人が嫌いな人がいます。
どこか被災地に多額の寄付をしても叩かれる人がいるように
善行を嫌う人もいるのです。

でも善行を行なって嫌われても、当然「自分が行なった善行で嫌われてしまった。僕は悪い。。。」
などと悩む必要はありませんよね。

つまり、自分らしく生きようとした時に、
誰かが後ろ指を指すかも知れないし、それを否定し笑う人がいるかも知れない。
でもそれは自分の責任ではありません。
否定的な人の中にある僕の姿に、僕は責任を取る必要がないと気がついた時、
ずいぶん楽になりました。

他人の中の自分像が自分が思い描いているものと違っても、
その自分像の責任は宿主にある。
という感じです。

「なんだ、さっさと自分が思ったことを軽快にこなせばこんなに楽しかったのか」
というのが、30代の僕が気がついたことです。

肩の力を抜いて自分を見つめると、
少しだけ楽しい明日が見つかるかも知れません。