カテゴリー別アーカイブ: 漆に生きる日々 京都編

比叡山延暦寺に行ってきた その2

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戒壇院、1678年建造のものが残っています。
現状は紫外線によって、塗装が傷んでいます。

扉や窓などの重要な箇所は漆塗りであったことがわかります。
この土っぽい色は、もともと黒い漆でした。
艶の無い赤色は、朱漆から漆成分が飛んだ状態です。

漆は紫外線によって分解されるので、
長い年月屋外にあるとこのような状態になります。

まずは寄りで見てみると、下地が施されていたことがわかります。
地の粉の粒子が見えます。

全体はこんな感じで、黒い漆だったことはもうわかりませんね。

赤い部分に漆の形跡が見られます。

枠の隅に、いくつかムラが見えます
これは漆を塗った際にできる「ちぢみ」の跡です。
漆は塗りが厚いと表面だけ乾いて、内側が膿んだ状態に乾く場合があります。
この枠も漆が溜まって乾いてしまい「ちぢみ」が出たのでしょう。

長い年月紫外線にさらされて、顔料だけが残ったのですが、
「ちぢみ」の痕跡を見ることができて、漆芸作家としては心踊りました。

寺社仏閣にお参りした際は、建築物や宝物の素材にも注目してみてください。
色々な発見があって面白いですよ。

比叡山延暦寺に行ってきた

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最近になってお寺めぐりに目覚めた浅井康宏です。
京都に越してきて2年間、ほとんど休日仕事することも多く
外出してきませんでしたが「蓮の花を見に行こう」と大覚寺に行ったことをきっかけに
○大覚寺
○鞍馬寺
○延暦寺
上記のお寺を日曜日ごとに巡ってきました。

お寺めぐりブログになってゆくことはないと思いますが、
おすすめポイントなど書いてゆこうかと思います。

先日行った比叡山延暦寺
信長の焼き討ちで有名ですよね。
一度焼き討ちにあったことから、
建造物は秀吉や、家康によって再建されたものが多いです。
1200年の歴史があるので、オリジナルの建造物が残っていたらと残念にもなります。
しかし、そこも含め歴史の1ページな訳です。

細かい歴史や成り立ちに関しては
ウィキペディアを参考にしてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/延暦寺

僕は漆芸作家目線で延暦寺について書いてゆこうと思います。
一度消失しているので、多くの建物が、古くて桃山、江戸になります。
昭和に新築されたものや、移築されたものなどあるので、延暦寺の建造物の年代は様々。
本堂は現在令和の大修理が行われているので、外観は足場に囲まれています。
数年後には美しい姿を見ることができるでしょう。

それ以外のお堂に関して、修復年代が説明されているものとそうでないものがありますが、
状態の悪いお堂について、劣化具合から色々発見することができました。
まず、建築物の塗装には丹塗りと漆塗りが確認できました。
丹塗は朱の顔料を膠で溶かして塗ってあります。
漆塗りは、格子や扉など、強度が求められて、重要度の高い場所に施されている印象です。

両方とも、日光に強いとは言いがたく、屋外にあって、状態は悪いです。
本堂以外にも今後修復が必要となってきています。
漆の劣化状況を見てゆきましょう。

続く

気持ちは形に現れる

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正確に思い出せませんが、
以前、落語家の柳家喬太郎さんの動画で、
「何年も落語を趣味でやってる、素人の落語より、昨日入ってきた前座の落語の方がいい」
という趣旨の話を聞いたことがあります。

コアなら落語ファンなら、大学時代の落研から
社会人になってからも、寄席へ通い、
そして噺の稽古をしている人も
少なからずいると思います。

一方で、昨日入ってきた前座というのは、
場合にもよりますが、右も左もわからないような
師匠のかばん持ちみたいな存在を指しています。
それでも「前座の落語の方がいい」
というのはどういうことでしょう。

僕も思い当たることがあります。
僕の職業、漆芸作家は伝統工芸なので、
落語に通じる、修行や技術の世界です。
なので、その道に入り、極めるために多くの時間が必要です。

僕はこれまで多くの人に自分の仕事を手伝ってもらってきました。
10人以上は色々な形で、僕と一緒に仕事をしてくれました。
その中で、
「この人は大丈夫だな」と感じる人と、
「この人に作品を触らせてはダメだ」と感じる人がいました。
それも、ごくわずかな時間でそれがわかりました。
1時間もあれば、その人の指先からどのようなものが出来上がってゆくかわかるのです。

どのような部分からそれがわかるのかというと、
ざっくりと、
「集中力」と「愛情」です。
お互いは相互に関係していますが、
「集中力」は体のあらゆるところに現れます。
漆に対する「愛情」も実に見えやすいのです。

そして、この2つは無駄に長期間漆を学んだと言う人より、
情熱のある初心者が持ち合わせている場合もあります。
要するに、人生と漆の距離が近いほど、
完成する作品の質は高いのです。

逆に、人生と漆の時間が長くても
距離が遠ければ、
小手先の技術や知識だけというわけです。
冒頭の落語の話につながりますが、
技芸の深度は
気持ちの問題が大きくて、
気持ちで誰かの心を動かせるのです。

ブログの表示回数が200000ビューを超えました!いつもありがとうございます。

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最近更新が鈍っているブログですが、
ふと見ると
今までの記事合計表示回数が20万ビューを超えていました。
本当にありがとうございます!

ちなみに今までにアップした記事は
705記事

書いたけど、未公開、途中で書くのをやめた記事が
150あまり。

1000記事に到達するのは来年でしょうか。

最近はFBで中国語の記事をアップしていたり

https://www.facebook.com/淺井-康宏-390145685152145/

英語のブログの更新も行なっております。

http://asai-urushi.com/blog_en/

どちらも成長途中ですが、できるだけ続けてゆきたいと思います。
今後もブログをよろしくお願いします。

ギャラリーとの関係

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美術作家をやっていると、ギャラリーと作家の関係性は重要です。
だけど
「伝統工芸」の「漆芸作家」という立ち位置にいると
ギャラリーとの付き合いがほとんどありませんでした。

どのような活動をしていたかというと
○公募展に出品する
○百貨店でのグループ展に参加する
○百貨店で個展する

順調に行ってもこの3つの活動に絞られていて、
百貨店で個展ができるようになるまでに長い時間がかかってしまいました。


なぜ「伝統工芸」「漆芸作家」というポジションが
ギャラリーとの関係に距離をもたらしていたかというと、
立体を扱うギャラリーの少なさと
その中でも漆を扱うギャラリーが少なかったからです。
理由は他にもたくさんありますが、
やっぱり漆を扱うギャラリーは少なくて、
結果的に長年にわたり築かれてきた
百貨店美術と伝統工芸の関係性の中で生きてきました。


でも最近少しずつ状況が変わってきたように思えます。
国内で伝統工芸とアートの距離感を見直すような動きが見られ、
活動領域が広がってきています。

僕の作品のコレクターさんも「伝統工芸しか集めない」
というよりは「現代アートを集めている」という人が多く、
自然と他の作家さんとの繋がりも幅が広がってきました。


そして最近ギャラリーとの関係も少しずつ生まれてきました。
作品の活動領域はもっと広がりを見せると思うし、
それを予感させるような作品を作ることができるようになったのかなと。
自分自身の変化も大きくて、加速してゆけそうです。

クオリティを追求する日々

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2017年に初個展「光をめぐる」を開催しました。
ありがたいことに高評価を得ることができ、
個展での作品はほぼ手元から無くなり
それまで活動していた埼玉から京都へ活動拠点を移しました。

初個展の直前は土日に後輩に手伝ってもらうこともあったけど、
大作の多くは一人で作り上げた個展でした。

個展終了後に銀行口座にお金が入ってきて、
それは全て自分の会社に振り込んでもらい、
京都での工房制作の制作費に充てることにしました。

その時、僕には大きく2つの選択肢がありました。


1つは
○クオリティはそのままで、集団制作により今までより数をたくさん作る

もう1つは
○数を求めずクオリティをひたすら追求する。

僕は後者の○数を求めずクオリティをひたすら追求する。
を選び、2年が経ちました。
実際にクオリティ重視の制作に大きく舵を切ってみると、
予想をはるかに超える問題が起こってきました。

1、時間が膨大にかかる。
2、出費が想像以上に大きい。
3、外注できる仕事がほとんど無い。

この3つの問題は切実で、
今までの蓄積を生かす事が出来ない場面が多く発生します。
京都での制作も2年がすぎて、
多くの問題は解決されないまま、制作を行う日々が続いているけど、
来年あたりから、少しずつ僕がしたかった事が実現し始めます。

つまり、京都に来てからスタートした作品が、
三年という時間を得て少しずつ完成し始めることになります。

僕が向かおうと、差し向けた方向に迷いはなかったけど、
「自分と作品を新しい世界観の中に突入させる」という日々に
いつも、もがき、苦しんでいます。

でもそんな日々の中にからしか、
現代最高の漆芸表現へたどり着く事が出来ない。
少なくとも僕個人には、それが必要なのだと思います。

ありがたいことに、
少しずつ発表の機会が広がってきて、
向かう先に光が見えてきたように感じます。

工房体制、体育会系からの離脱

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工房体制で制作を続けようと思った時、
美術系でも、熱狂やスピード感が必要だと思っていました。
イメージとして体育会系のノリです。

というのも、僕の仕事は締め切りの連発で
定時きっちりで活動するというより
締め切り前のスパートをかける日々、そしてそれを乗り切るための体力は
体育会系のノリがあっていると思っていたし、
自分もそのような意識で制作を続けていました。

つまり、チームスポーツのような統制のとれた組織
自分を追い込む気合いと熱狂。
昭和っぽい体育会系ですよね。

働く時間と給与体系は完全にホワイト企業を目指していたけど、
制作に向かう姿勢は体育会系を求めるというアンバランスな状態でした。


でもそれではうまくいかないことがたくさんありました。
別に現代特有の問題というわけではなく、
試行錯誤した結果「気合より習慣が勝る」と感じたからです。
僕は過去、過労によってウツ病になったことがあるので、
自分を含めたチーム全体を
「健康であり、成果を最大限にするためにはどうするか」というのが重要な課題でした。

結果からいうと
チームは定時に仕事を終わるようにして
作品の制作以外での人間関係をできるだけ平坦にしたいと思っています。
チームが大きくなるとまた改良が必要な部分は出てくるだろうけど、
いわゆる弟子制度みたいなのの真逆を歩もうと思っています。

当然、そこにはお互いの尊重と尊敬が必要で
今のところうまくいっています。
自分の制作のクオリティと業界の将来を考えたときに
クリーンな工房体制が技と文化をつなぐたった1つの可能性だと感じます。

英語チャレンジの1週間

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先日インド人の女の子から「あなたに英語を教えます!」という心強い協力をいただき
ここ1週間くらいチャットで英語を教えてもらっています。
インドで英語?と思うかもしれないけど、
アジア圏でも色々な民族がいて、国内で言語が多様な場合
英語を公用語にしている場合が多く、
昨年出張で行ったマレーシアなんかも、皆さん英語を話していました。

実は僕、19歳の時に一ヶ月間夏休みを使ってニュージーランドへ語学留学した経験があります。
英語を学ぶことに関して、その重要性を感じていたんだけど、
英語の勉強が楽しくなくて、放置気味でした。

ここに来て海外への仕事や問い合わせもあり
「それなら頑張りたい」と思っていた矢先
協力してくれる人が現れたわけです。

さて、何度も挫折してきた英語だけど、今回は様子が違います。
なんだか楽しいのです。

なぜそう思えるのか考えてみると
○僕のことを知っている人と
○特化した授業を行ってくれる
以上のことが理由です。

まず、知り合ったきっかけがフェイスブックのアーティストページだったので
彼女が僕のことを知ってくれています。
そして、作品に対して高い評価をしてくれており、
協力をしてくれています。
その前提があるだけでもとてもありがたいのです。
普通英語の授業ってパーソナリティ関係なく授業が進むので
楽しくないんですよ。

お互い作品で出会えた縁だから
僕も「こう伝えたい」という思いも強いです。
だから今まで勉強してきたことをできるだけ使って伝えたいと思うし
相手を知りたいとも思います。

「漆に生きる日々ー英語チャレンジ」も定期的にアップしてゆきます。

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将来の夢はありますか?
夢って、子供の頃に言う分にはいいけど、
大人になると、言う機会が少なくなりますね。

でも、夢を持つことは大人になってからの方が大切なのではないでしょうか。
社会性が少し備わって、自分と世界の距離感とか役目がわかってきたからこそ、
世の中をよりよくできる夢を持つことができますよね。

僕には夢があります。
まず、「世界的な漆ブームを巻き起こす」こと。
これからも漆と蒔絵を発信し続けます。
現状で漆の評価を上げる伸びシロは多いと思っていて、
過去に南蛮漆器と明治工芸で世界に漆芸ブームが起こったように
3度目の波を作れると思っています。

あとは作品価格を1作品1億円規模にしたいです。
僕の一生のうちで、漆芸の評価をどこまで上げることができるのか、
挑戦できる限り続けてゆきます。
お金はそれ自体が目的ではなく、
市場の活性化のために必要なものです。
美術は資本主義の尺図だと考えているので、
その中で漆芸作品の立ち位置を確立したいです。

最後に、漆芸を愛する人の中で生きていたい。
僕が漆芸によって人生の多くを得たように、
僕も誰かにそれを渡したいのです。
今は、作り手を育てることが一番良いことだと思っていて、
作り手が安心して制作ができる環境があれば、
そこからより良い作品が生まれ、
その作品が市場を作ることにより、
良好な循環が生まれるのです。

作り手、漆芸を支える道具を作る職人ともに苦しい時代だけど、
いつまでもそのような状況ではないと思います。
明確なイメージを持って、そこに向かえば夢は叶えてゆきます。

プロになる瞬間

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専門分野においてプロになるとはどのようなことでしょうか。
僕は学校を出て、室瀬和美先生の元へ修行に行き
「その過程でプロになるのだろう」
という、どこか他力でプロへ移行してゆくように考えていました。

というのも、プロの現場で活動することで
自分にもその緊張感が宿り、気づいたらプロ意識が芽生えると考えていたからです。
だけど、それは微妙に違いました。
実は先生の元で仕事をしている分には、環境の影響もあり
ぐんぐん感覚が伸びて、失敗を繰り返しながらもプロの仕事ができていました。

だけど、独立すると
自分の仕事のペースがうまく作れませんでした。
単純に蒔絵の時間配分をつかむための準備期間が必要だったし、
一人でプロレベルで仕事するのに色々時間がかかってしまいました。

僕がプロになったきっかけは意外な出来事でした。


僕は20代の後半に親戚のおじさんに家紋の蒔絵を頼まれていました。
家紋のパネルができて額装して実家に送り
おじさんにはお礼の手紙をしたためて
母に「この手紙と一緒に渡してください」と伝言しました。

その手紙を読んだ母から電話が(読むのもどうかと思うけどw)
「あの手紙はお母さんが捨てました」
「あなたはプロなのだから、いらない謙遜する必要はないでしょう」
内容はご想像の通り


この度はありがとうございます。
中略
まだまだ未熟な部分はあるかと思いますが、
中略
ご指導をお願いします。


まあ、日本的な謙遜が含まれた内容です。
なんとなく、形式的にへりくだらなければならない気がしたのです。
贈り物には
「つまらないものですが」
受け取る側は
「お気遣いなく」
でも、実際そんなことは必要なくて
最高のものには
「最高のものができました」
受け取るときには
「ありがとう!」
というのが一番気持ち良かったりします。

母が僕の手紙を捨ててくれてから
形式的な手紙を書かなくなりました。
プロになったというきっかけは色々あったけど、
プロとしての生き方の指針となった出来事でした。