夏休みに「自分探し」の旅をした大学生は今どこにいるのか

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プロローグ
こんにちは漆芸作家の浅井康宏です。
僕たちが学生の時、大学を卒業する前の休みなどに旅したり、日常と違った活動をすることに
「自分探し」という呼び名がつきました。

この言葉にはいくつかの意味が含まれていたように思います。
○就職する前に少し自分を拡張するような活動をしてみたい。
○やりたいことを見つけるために違う環境に触れて感化されたい。
○遊べる大学四年間が終わるので自分の本音を見つけたい。
上記の意味合いがあって、
なんとなく「社会の現実に揉まれる前のブレの修正」のように上の世代に嘲笑されていたように感じました。
「意識高い系」という言葉の、揶揄に少し似た感じ。
(意識高い系について書いた過去記事はこちら )


あの頃、僕たちはなぜ「自分探し」をしなければならなかったのでしょうか。
そして「自分探し」をした結果どうなったのか。

まず「自分探し」をせざるを得なかった理由は簡単で
ウェブ上の世界観が変化したせいです。
「web2.0」という言葉が2005年あたりに生まれて、
インターネットの世界がそれまでの「情報を集める場」に加えて
「情報を発信する場」という役割が加わり急速に展開していました。
つまり
それまでの情報ソースがテレビ・新聞・ラジオ・雑誌だったけど
インターネットの普及でソースが一気に増えた。
さらに発信ツールとしてのインターネットが拡大しつつあり
情報の取り扱いが難しくなり、景色が急激に変化していたのです。
今でこそ言語化できるけど、渦中にいると漠然とした「どうすればいいのか」という不安に苛まれることになります。



「意識高い系」というのは
僕が社会人になって完成した言葉で
この言葉にも「意識は高いけど実力が伴っていない」という世代を評した揶揄が含まれています。
彼らは明確に今の時代を
「正確な答えよりオリジナリティのある問いに価値がある」というのを認識しています。
物心つく頃にはネットが普及してるので
多くの人が少ないソースから作られた価値観を共有しているという前提がありません。


インターネットの拡張で今後
「意識高く」「自分探し」しなくてはならない年齢はどんどん下がってゆく気がします。
小学生の人気職業ランキングに「ユーチューバー」「プロゲーマー」が入っているように
ネットは発信の場なのです。

体感的に同じ価値観の共有がリアルでは難しくて
情報発信が自分に委ねられている時代に
小学校や中学校に行きたいと思うでしょうか。

「たまたま同じ学区に住んでいた」という理由で集められた仲間より
最適化されたネット上の方が居心地がいいかもしれません。
つまりリアルな場での集団に意味がなくなる。

抑制されないネットの社会で僕たちはどのような自分を発信してゆく必要があるのか
物心ついた時から「意識高く」「自分探し」しなくてはならないのかもしれません。

上の世代にどう言われようと
時代に敏感に反応することは必要です。
それを苦々しく思えるなら、自分の感性が老いたということです。

意識高いことを笑う人より
実力不足でも上を目指し続ける人が勝つように
ただ動いた人の方が強いんです。


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