手軽に写真が写せる時代だけど、手描きのスケッチが必要な理由。

僕の作風は幾何学的な印象を持つ人は多いと思います。
ただ、長年続けていることがあって、花のスケッチ続けているんです。
意外かもしれませんが、季節の和花を描き溜めています。

さて、スケッチですが、蒔絵師だから必要な仕事であります。だけど、
デジカメやスマートフォンで手軽に写真を残せるのに、なぜ今だに手描きが必要なのでしょう。

まず、絵画手法として、蒔絵の場合線描的な表現が得意な分野とも言えます。
もっと言えば、日本美術全体が2Dの世界観なので、立体物をいかに線描で表すか、
そして抑揚をつけることができるか、という美意識が根底にあります。
なので、花のような立体物を線描だけで描くというのは、とても良い訓練になります。

もう一つは、実は手で描くというのは情報量が多いんです。
「写真の方が情報量が多そうだけど。」と思われるかもしれませんが、
実は、写真の情報量で、僕は作品を作ることができません。
なぜ手描きが良いかというと、単純に得られる情報というよりも、
描くときの情報収集が多いことが結果的に、スケッチの情報になるからだと思います。
例えば、描いていると、花びらの構造を見ても、どうも腑に落ちない時があります。
そこで色々な角度から再度、観察して線描を進めます。
そういう過程を繰り返しながら描くので、描くと同時に構造の理解が深まります。
一方で写真だと、情報の正確性はありますが、角度を変えて観察することができないので
情報の性質が、スケッチと違って、結果的に作品に落とし込むことができないのです。

最後に、意匠化できるかどうか、という問題があります。
実物のものをそのまま写して、それをそっくり作品に落とし込むことができたとしても
作品にならない場合があります。
仮に、人差し指を立てて、それをまっすぐ自分の方向へ向けて見てください。
そして片目で見たときこちらに向いている人差し指はただの丸に見えませんか?
実際、自分の目で見ているので、「ああ、これは指が自分の方向に直線的に向いているから、丸く見える」と納得できますが、
絵画的には表現するのがかなり難しいんです。
なので、実際にただの丸に見える場合は、角度を変えて構図を作ってやります。
そういうときに、手描きの場合、観察を元にした情報が揃っているので、それが可能なんです。
そして、意匠化するときに何も見ないで、対象のものが描けるようになっていれば、
そこに吹く風の動きや、空間を描き出すことができます。

で、その見えていない情景こそが、表現したい本質だったり、
気持ちだったりします。
めんどくさい、古臭いやり方ですが、スケッチは理にかなった情報収集なんです。

手軽に写真が写せる時代だけど、手描きのスケッチが必要な理由。」への1件のフィードバック

  1. 制作において、写真に対しデッサンあるいはスケッチ(以下写生とします)全く違ったアプローチですね。写真はすでに独立した表現法ですし、写生とは切り離して考えられます。
    もしツールとして考えるなら写真は記録、写生は記憶といったところでしょうか。この部分は浅井さんの文章で書いてある通りだと思います。実際に描くとわかる体の感覚での制作です。記録だけでは制作することはできないので、実際に手を動かし記憶した情報でアウトプットしていく。そこに作品のオリジナリティ=付加価値(ここでいう意匠ですね)が生まれます。創作において写生が大切で、作家がデッサンを重ね、基本にしているのはそこにその人しかできない付加価値を与える要素であるということです。大事なプロセスなので、そこを怠らない。
    また、写生は基礎なので、そこを抜いてしまっては納得のいく表現もできなくなります。作品に対して自分の中で腑に落とすことさえもできなくなるでしょう。

    言い換えるなら音楽 スポーツにおいても基礎練習をしなければパフォーマンスできなくなる。よくいうのは、ピアノやバレエは基礎練習を1日サボると3日戻れない、というやつ。写生もそんな感覚で、毎日の積み重ね、訓練ですね。描き重ねることによって向上していきますからそこを楽しめていけたらいいですね。

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