漆の一般化は必要ない
漆の一般化=安いものを作る。
という発想は危険なんです。
だって、安売り競争して来て漆は理解されて、職人は幸せになれた?— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年5月1日
興味ない人を振り向かせるより、興味のある人にらさらに好きになってもらったほうがいいんだけど、それをわかってる人は少ない。
— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年5月1日
人間関係だって、自分に興味ない人に頑張って媚びるより、お互い好きな人といる方がいいですよ。
— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年5月1日
漆業界における慢性的な問題点があるとすれば、
それは過度の一般化を目指すところです。
実は、日本において漆は十分に一般化した存在だと思っていて、
逆に一般化しすぎているのではないでしょうか。
考えてみてください。
漆という大量生産が難しく、高級な素材を使ったアイテムが、一般化している時代が過去どれくらいあったでしょう。
高度成長期を除いたら、過去、封建的な社会体制の中、一般の人が漆器を持つことは極めて難しかったのではと推測しています。(もう一度バブルが来たら漆器が飛ぶように売れる時代が来るかもしれませんが。)
大量生産品の陶器に対して漆器のコストがどれくらいの比率だったかわかりませんが、
日本という木材が豊富な国であっても、過去頻繁に一般的に漆器を使っていたとしても、
轆轤挽きの椀に数回の拭き漆がしてある簡素なものが限度です。
では現代では、あらゆるデパートに漆器売り場があります。安価なものから高級なものまでありますが、
一般的な暮らしをしていて、買えないほどではありません。
つまり、「一般にまで漆器が浸透していて、これ以上どこを目指すの?」という疑問に
「さらに安価なものを製作してより多くの一般人に広める」みたいな答えしか出てこない状況に陥っています。
この考え方の危険なところは
顧客のモデルが全く無いところです。
一般化って何でしょう?
一般人とは誰でしょう?。。。。。
一般人なんて、いませんよ。
僕とあなたがいるだけです。
だから、僕は常に誰かと対話するために作品を作ってきました。
多くの人に向かっては無いけど、本当に蒔絵の文化や美意識に関心を持ってくれている、
一人一人と話してきたつもりです。
どこにもいない誰かのために
「安ければ売れる」というマーケティング続けていたら、漆は無くなります。