作家が作らなければならないもの

「作品を手放すのはつらくないですか?」と聞かれる事があります。
僕としてはつらくも惜しくもありません。
大作も小品も制作には1年以上かかります、だけど作品を手放すことに全く抵抗がないのです。
極端に言ってしまえば、僕の手元には1点の作品も残らなくていいと思っています。

理由は3つあります。

理由1
まず、僕にはその作品を作る事ができる頭と技術があります。
同じ物をつくることができるし、常に最高傑作を更新できるように努力しています。
だから、作品が1つ完成した段階ですでに新しい作品の制作がはじまっています。

理由2
どんな小さな作品も、展覧会出品作も等しく思いをこめて作っていますが
その作品たちは僕の物ではありません。
完成した瞬間から、作品は独立して輝き始めます。
誰かのためや、何かのために作品は働き始めるのです。

大学時代の恩師が印象的な事を言っていました。
恩師は自分の作品を手に持たせてくれて、作品の扱い方を教えてくれました。
そのとき「これは私が作った作品ですが、私の物ではありません」と言いました。
つまり、将来的に誰か(もしくはどこか)所蔵される事が前提であると言っていました。
その瞬間、単なる物ではなくその後この作品が与えるであろう影響力の大きさを感じて作品に触れる重大性を感じました。

理由3
僕が美術家である目的は作品を作る事ではなく、その作品を作る事のできる人間になる事です。
全てを奪われても、自分さえいればまた新たな作品を制作し、誰かを幸福にできる人間になる事が目的です。

作品は他の人を幸せにするためにあります。
僕の仕事はそのため頭と技術の錬磨です。
漆は僕が社会へ貢献できるもっとも優れた素材です。
蒔絵は日本人が生み出した、日本美術の源流です。
僕はその雄大な日本美術史の中にある小さな点です。その小さな点として作品を通して現代の美術史を作ってゆきたいんです。

僕は僕という存在として日本美術に生きて、作品は時代を超えて人を幸せにできたら良いなと思うんです。