10年後に残っている美術
日々たくさんの表現が生まれています。
ソーシャルメディアの発展で、世界中のありとあらゆる現在進行形の美術の情報が入るようになりました。
彗星のように現れる美術界のスーパースターがたくさんいます。
そういう人たちに僕はとても憧れます。
「すごいなー。インパクトのある表現だ」
「ああ、この才能に嫉妬するわー」と、よく思います。
買える価格の若い作家だったら積極的にコレクションしています。
買えなくなる前にできるだけ集めておかないと後悔するので。
そういう作家がどんどん活躍するととても嬉しいです。
海外デビューなんてした日にはガッツポーズです。
でも。
この世界は厳しい。
今のところ10年以上見つめてきました。
その中で、生き残っているのは一体どれくらいでしょうか。
全体の5%くらいではないでしょうか。(ちなみに、勝ち組の中の5%くらいです。世に出れない作家はその何十倍になるでしょう)
当時はギャラリストや百貨店に「先生」と呼ばれていた新進気鋭の作家もすぐに消えてゆきます。
頭角を現すのに長い時間をかけてきても、消えてしまうのは一瞬です。
で、忘れられたら思い出せません。
消えた事にすら気がつかない。
こんな事を書いているのは、僕自身が生き残る5%に入らないといけないからです。
漆芸作品は10年と言わず、100年単位で残ってゆく物なので常に先を見据えて活動しなければなりません。
生き残っている作家とそうでない作家では何が違ったのか。
それは、変化し続けたかどうかの一点でしょう。
世界で最もヒットを打つ能力のあるイチロー選手は毎年バッティングフォームを変えています。
昨年結果が出ているにもかかわらず、更なる進化を求めて改良し続けているのです。
将棋の羽生善治さんも、常に新しい定石を研究しています。素人にはわからないですが、将棋の世界も打ち手の流行のようなものがあるらしいんですよね。それに常に対応できるように研究しているとの事。
つまり、勝ち続けている人というのは、絶対的な能力を持ちながら、常に変わり続けているんです。
美術も同じで、評価される絵、売れる絵というのはあります。(これは良い意味で)
作品を一目見ただけですぐ作者がわかるような、洗練された作品。
ただ、それを1度見つけてしまうと、そこから出てゆくのがすごく怖いんです。
安住の地を離れて砂漠に踏み出すような。
安全な無人島から頼りないイカダで海に漕ぎ出すような。
そんな恐怖があります。
でも、今のヒット作も日本を市場にしていたら、早い段階で飽和状態になります。
世界を市場にするなら少しは長生きできるかもしれませんが、世界のアートシーンはさらに荒波の大海原です。
生きてゆくには、確固たる自分のスタイルを打ち出しつつ、新しい方法で進み続ける事しかないでしょう。
コレクションしている作家が停滞すると思う事があります。
「作家は作品がコレクターの手元に渡ってからも、その作品の価値を高め続ける義務がある。その義務から目をそらしてはだめだ」と。
「自分が幸せになる暇があるんなら、作品の価値を上げるのに全力になれ」
厳しい言葉ですが、けっきょくこれは自分に強く言い聞かせている事なんです。
そして、変化し続ける事はどの分野でもトップに居続けるために必要な事みたいです。