漆芸家目線でトーハク「運慶展」を見る

意外と意識しない仏像と漆の関係ですが、
漆芸家目線で眺めると少し違った運慶像が現れます。
運慶の仏像は木造ですが、漆の技術盛りだくさんで、欠損部分から
下地を見ることができます。

ツイッターで書いた通り、基本的な漆芸下地法を施したものから、
少し簡易なサビ下地だけのもの、もっと簡易な代用下地的なものまで幅広く見ることができました。
全体として言えるのは、白木のものはほぼ無くて、何らかの最終処理がされているということ。
制作当時は鮮やかな彩色が施されていたり、金箔が貼られていたり、今見られるシブい状態とは又違った造形物の表情があったのでしょう。

さて、下地処理だけでもあらゆる技法が見られましたが、
そこから当時の制作状況を想像すると面白いのです。
例えば、クライアントによって予算が限られていて、ここは下地を簡易なものにしようとか
完全に本気モードになっているもの。少しずつ差があると思うのです。
下地から当時の大人の事情を垣間見たりできます。

また、現在の作家のイメージと違い
運慶の仏像といっても、運慶一人が制作に携わっているのでは無く
本当に何人、何十人の工房で制作していたことが作品からわかります。
少なくとも木造部隊と、漆部隊は分かれていながら同じ工房内かまたは近所に工房を構えて
制作していたのでしょう。

僕のイメージからすると、運慶というプロジェクトリーダー
感覚的にいうとスティーブ・ジョブズのような厳しいリーダーが制作総指揮にあたり
各制作部隊が専任で一体の仏像を作っていたことでしょう。仕事の内容からめちゃくちゃ厳しい人だったと思います。

今回の図録にコラムとして
「仏像の作者は誰か」
という題で 西本政統氏
以下引用
運慶作と認められている仏像を見る際に、注意したいことがある。それは、仏像に限らず美術作品全般に関わる「作者」に対する考え方の違いである。作者のオリジナリティーが現れたものを「作品」と捉える近代的な作者観に基づけば、作品は一人の人間が作ったものと考えられる。しかし、近代以前の美術の場合、とりわけ彫刻では一人の人間が作品を完成させるということはまずない。なの知られた作家であれば工房を構えるのが普通であり、小品ならともかく大作であれば工房で制作するのが一般的だろう。(運慶展 図録引用)

と記しているように学術的にも仏像における工房体制が研究されています。
運慶というカリスマのもと、多くの職工の中に漆職人の部隊も活躍しており、日々制作に励んでいた鎌倉時代の息吹が間近で感じられました。
東京国立博物館の「運慶展」オススメです。