技術について僕が考えること

少し前の話で、あまり公表はしてないのですが、日本画を学んでいた時期がありました。
その時の成績といったら、まあひどいもので、とにかく評価が低かったのです。

僕の漆と日本画をやってるスタンスも良くなかったし、
少しばかり美術業界わかったような、生意気な学生だったのも原因だったでしょう。
ただ、僕の考える美術と先生たちの考える美術には隔たりがあって、
そこはもう平行線を辿るしかなかったように思います。

ここ数年で、工芸を含めた技術への一般認識は激変していて
今はわかってもらいやすいことでも、少し前までは伝統工芸や技巧に対する風当たりというのは、厳しいものがありました。

(ちなみに僕は超絶技巧という枠組みに入れられることは少なくて
「伝統工芸系」と括られることが多いです。(まあ、そんなことはどうでもいいんだけどね))

同じ境遇の人たち

最近、偶然にも同じ気持ちを持っている女性作家に会いました。それも二人。
二人とも今は超メジャーな作家で、過去に大学の日本画教育に疑問を持っていた人でした。
で、ここからが重要なのですが、、、
技術を否定された経験によって、自分の信念を強固にして
技巧的なもしくは王道的な表現で現在大成しています。

つまり、苦しい体験や時間が結果的に表現を強固なものにしたようなのです。
僕の場合もやはり、あの違和感や苦しさって、今となっては自分を強化できたと思っています。
当時は「絶対、この人たちは間違ってる!見返してやる!!!!」と思ってたし、、、あ、今も思ってる。
だけど、ある意味で感謝もしていたりします。反面教師として。

結局僕には自己表現を考えた時に技術を必要だと思ったし、
それが本心から美しいと思ったのです。
あと、自分と違う美意識を真っ向から否定するのは、全く意味がないこと。
その時代、美術教育の難しさを考える良い経験でした。

美術史がどんな答えを出すかわからないけど、
僕は蒔絵表現における技術の領域に美を感じていることは確かなんです。