漆芸の二つの基軸
漆の仕事で商品の幅を持たせようとする場合、完全に物の性質を変えたほうがいいと思う。例えば、作品という高級ラインがあるなら、安価な雑貨を作らずに、普及品としてカタログを作るとか。
同じ会場に違う性質の商品を展示するのは、ベンツと軽自動車を同じ場所で売ろうとするような感じになる。— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年4月22日
逆に、生活の食器を展示するのに、何百万の作品を同時に展示してもプラスにならない。
なんでもできる作家より、「食器の作家」とか「高級ラインしか作らない作家」みたいに見ている人に伝わりやすい活動をしたほうがいいんだけど、なかなか割り切るのが難しいんですよね。— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年4月22日
この、作品と食器というカテゴリーを同時に取りに行ってしまうのは、漆という素材は、食器としてあまりに優秀だからなんですよね。
「使用可能な圧倒的な美」というのが日本美術の分脈にあるんだけど、まだそれを体現してる作家が少ない。— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年4月22日
「美術品としての漆芸」に取り組むとき、「生活の漆」を切り捨てなければならない苦しい決断を、何年か前にしました。
— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) 2018年4月22日
特に漆の場合、作品の幅を持たせようとした時に、作品の性質がガラリと変わってしまうアプローチになってしまうことが多いんです。
これは、先にも書いたように、漆という材料が食器として優秀すぎるからなんです。
結果的に、全く違う基軸の作品を作ってしまう場合が多いんです。
でも、実はそれがとても危険で、現代漆芸苦境の原因だと思っています。
荒っぽくいうと、
ベンツと軽自動車は別の会場で売りましょう。
ベンツは軽自動車を作ってはダメです。
というわかりやすい話です。
なぜ今、作品の性質のことを書いているかというと
身近な人に「実用品を作っては?」と言われることがとても多いからなんです。
で、すごく作りたいんですよ。
身近な人に喜んでもらいたいですからね。
でも、割と早い段階で、実用的な漆器をやめたんです。
それは活動の一貫性が保てないからです。
その決断が正しかったかどうかの答えは10年後くらいに出ているでしょうか。