和風より無国籍感を求める理由
どうも「日本ぽいデザイン」「和柄」すてき!
という感じがしっくりこないんです。
現代のイラストとか、小物とか
和風な感じのものはすごくわかりやすいんですが
なにか引っかかる感じがあるんですよね。
その違和感の理由がわかりました
よくある「和風テイスト」は「江戸テイスト」だったのです。
それも江戸末期のイメージが
「和風テイスト」のものに使われています。
日本の美術史をひも解くと
江戸時代の安定した政治情勢の中から
生まれた美意識もありますが、それは日本美術の体系から言うと、ほんの一部にすぎません。
まあ、大衆から生まれた美意識が江戸の街を席巻していたと考えれば。
民主主義の時代で情報化社会の中
多くの人に愛される「和風」が江戸テイストである事はわからなくもないです。
しかし、日本美術史全体でその実体を捉えようとすると
僕のイメージは「無国籍な美術」という感じです。
異国から入ってきた美術を
柔軟に受け入れて
日本人特有の真面目さで、それらを日本らしく昇華させていっています。
僕が作品制作をする中で
完成した作品イメージが「無国籍な感じ」になっていると
成功した!という手応えがあるのは、そういう理由です。
以前書いた奈良の記事で紹介した
正倉院はシルクロードの終着地点で天平時代の玉手箱のような存在です。
たくさんの異国風情のものが残っており、それに憧れて、日本にある材料で試行錯誤した形跡をたくさん
見つける事ができます。
例えば、紫檀という木に憧れて、黒柿を染めてそれを模したり
夜光貝の代わりにアワビ貝を使ったり。
鼈甲の代わりに金地の上に鼈甲の模様を描いたりしています。
正倉院御物も、どれが大陸製でどこからが日本製であるか完全には
判明していないものも多く、後の時代に修理を施されたものもありますが、
作り手の目線で見ると、当時日本人の強烈な美への憧れと信仰をひしひしと感じます。
その「無国籍な美術」のルーツは
時代が下っても常に存在しています。
新しい貿易先の影響を受けたり、輸出先の好みを取り入れながら
日本人は美術史を作ってきました。
さて、現在の無国籍な意匠とは何か
美術史の中に現代の無国籍な美術を残す実験を繰り返します。
僕なりの答えは今まで作ってきた作品であり
次に作る作品たちです。
見出しの画像は今年の正倉院展に出ていた「紫檀木画槽琵琶」です
おそらく中国で作られて日本に伝わったものでしょう。
ううううむ、時代を超える美しさがあります。