落選の思い出
19歳の時、高岡クラフトコンペに出品したのが僕の公募展初出品でした。
これは学生時代に授業時間外に作っていた実用漆器を出品しました。
そして、初入選。
20歳の時、同じ高岡クラフトコンペに出品し、落選しました。
これが僕の落選歴の最初です。
クラフト系の展覧会への出品はこれが最後です。
22歳の時から鳥取県展に出品を始め、鳥取から東京へ移る5年ほど出品していました。
県展では落選はありませんでした。
県展出品と前後して日本工芸会の展覧会へも出品を開始しました。
伝統工芸中国支部展という島根、鳥取、岡山、広島の四県の公募展に出品し
鳥取県展賞という賞をいただきました。
それには気を良くしましたが、制作作品のペースを上げた事により
作品の質が気づかないうちに落ちていて
落選の歴史が始まりました。
まず、日本伝統漆芸展(日本工芸会の漆芸部会展)に最初は入選しましたが
2度目は落選しました。
最初にいい結果が出た中国支部展でも落選をしてしまい。
日本伝統工芸展に初出品から2回連続で入選しましたが
3回目で落選しました。
振り返ってみるとよく落選しています。
その時は何かの間違いではないかと思い
入選リストが掲載されたホームページの更新ボタンを何度も押した記憶があります。
それでも未だ信じる事ができなくて、ネットから数日遅れで届く落選通知が入った封筒を開けて
やっと現実を受け止めるような状態でした。
公募展である以上、自分がどんなにベテランになっても落選する可能性はあります
しかし、以前より、作品を客観的に見る事ができるので
あのときなぜ落選したのか、今ははかるような気がします。
それでも何度苦しい経験をしても
あきらめずに出し続ける気持ちを
より強く養う事ができたと思うので
僕にとっては、落選の経験も必要だったと思います。
落選なんてする必要はありませんが
落選したときそれをどう受け止める自分がいるか
そして、また新しい作品に向けてどう歩み始めるか
美術への愛情だけではどうしようもない現実の中で
制作し続ける勇気を養うために、少しばかりの挫折は必要なんだと思います。