説明しにくい様式美

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海外に出ると、なおさら伝えきれない様式美。
僕が当たり前のように作っている、伝統工芸の作品には、
造形要素として、用途が含まれています。
棗などのお茶を入れる用途はわかりやすいけど、
箱物になると、様式美としての物の在りようについて
外国で理解してもらうのが難しい。

いや、日本でも、用途を持つとアートとして扱われにくくなります。
長い間、様式美ごと海外に輸出しようと思っていました。
なぜかというと、日本美術に核心に様式美があって、それをすごく魅力的だと思い続けてきたからです。


僕は単純に蒔絵に出会った時「こんな美しいものがこの世の中にあるなんて!」と
心のそこから感動しました。それが高校時代です。
その作品は松田権六や赤塚自得の作品で、箱の形をしていました。
なんの違和感も持たずに僕も箱物を作り始めましたが、
次第に、なぜこのようなものが作られ、そして現在も続いているのか考えるようになりました。
そして、その核心に物を通した様式を愛でる文化に気がつきました。

わかりやすく説明すると、
過去に作られた多くの蒔絵の名作はそれぞれ用途を持っています。
例えば、文箱だったり、経箱だったり、
だけど使われた形跡がないものや、何年かに一度の祭事にのみ使われるものがあったりします。
つまり、単純な用途のほかに、祭器や調度のような精神的な部分を宿した「箱の形をした何か」
というどうにも説明しづらい文化が伝わっているのです。
ここの部分を感じ、そして、現代における最先端のアプローチを試すことが作家性だと思い活動してきました。

だけど、それを伝えるのは難しかった、いや、時間がかかりすぎてしまいます。
たぶん保守的に見えてしまうこともあるでしょう。

これから何を作って、何を伝えるべきなのか、日々悶々と考えます。
「自分にもっと才能があれば、圧倒的な作品で全てを伝えることができるのに」と。


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