プロの壁

趣味で作られた物とプロが作った物は違います。
そこには目に見えない壁があります。
落語家の柳家喬太郎さんがなにかの番組で
「何十年も趣味でやってる落語愛好家より、昨日入門したばかりの前座の落語の方が良い」という感じの事を言っていました。
技術的には何十年もやっているだけあってこなれているのに関わらず、昨日入門したばかりの下手な落語の方が良いとはどういう事なのか。


約十年前僕は、このプロの壁を打ち破るべく、蒔絵の室瀬和美先生の教えを受けました。
学生時代から感じていたプロの壁を学生時代中に超える事ができないと実感していたからです。
そして、トッププロの手伝いをしてゆく事で、その壁は自然と越えられると考えていました。

しかし、そのプロの壁は自然に越えられる物ではありませんでした。
先生の手伝いをするために、工房で制作している時はどんどん技術力が上がっている実感があったのに
自宅で自分の制作をしていると、どうもダメなんです。
学生時代の延長線上にある、自分の作品しかできないんです。
プロの現場にいて、その中で成長しているはずなのに、一歩現場を離れると、元に戻ってしまう。

鳥取に戻ってからの制作はさらに、減速してしまいました。
極端に言えば、学生時代より作品は悪くなりました。この時期はとてもつらかったです。
良い物を作る現場を体験している分、焦りは高まってゆきます。

では、プロの壁はどうやって越えたらよいのか。
今わかるのは、越えられない時代を過ごす決意ではないかという事です。
この時代はほんとうにつらいです。つくってもつくっても認められないし、当然売れません。
それでも、努力を怠ってはならない。
そんなとき、ふと思うのです。「これ以上、周りに迷惑をかけてはいけない」と。
「これが、漆だけに集中できる最後の作品にしよう」と思い、職業訓練校の申し込みを出して
伝統工芸展の出品作品を出品しました。
でも、そのとき何かを越えた気がしました。
それは、どんな事があっても漆を続ける決意だったようにおもいます。

働きながらでも漆を続けよう。
いつか認められる日のために努力を続けよう。
一日も休まない。

結果的にその作品は、伝統工芸展で新人賞を受賞し壁を越えるきっかけとなり、初めて売れた作品でした。


柳家喬太郎さんのいう前座の落語には決意があるのだとおもいます。
前座という下働きの修業時代を過ごしてでも、落語家になろうという決意が落語に命を吹き込むのかもしれません。

一部の天才を除いて99%の芸術家は売れない時代を過ごさなければなりません。
もし、あなたがデビューしてすぐ売れている芸術家なら、間違いなく天才型です。
それ以外の多くの芸術家は、プロの壁を越えられない時代を過ごさなければなりません。
壁を越える方法はたった1つ。明日また作業部屋に入って、決意をもって続けることだけです。
天才型の芸術家と同じ舞台に立ち続けるには、例外なく彼らの10倍の努力が必要です。

壁はいくつも立ちはだかるけど、最初にそびえるプロの壁が一番大きい壁でしょう。
毎年多くの美術大学からたくさんの学生が巣立ってゆきますが、プロになる事ができず、美術をやめてゆく事実が物語っています。