美術は命より重い

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漆芸という芸術分野に深く入り込んで知ったこと。
命より、作品の方が重い。
現代において、こんな事を平然と口にするのは、間違っているのかもしれないけど
歴史的に見て、人間1人の価値と芸術作品の価値は対等ではなくて
どちらに価値があるのか歴史は明らかに語っているようにも思います。

漆芸作品の伝世最古は法隆寺の玉虫厨子です。
さかのぼれば、日本人は縄文前期から漆を使っていたことになり
すくなくとも約9000年の間、僕たち日本人は漆と関わっていた事になります。

それぞれの時代に漆に携わる職工が生きていて
漆文化を前進させるために命をかけてきたのでしょう。
考えてみて下さい。
社会の制度がそれほど厳格でなかった時代に
漆と金という超高額素材を扱う人材はどのような存在だったか。
作品は例外なく、信仰か上流階級のためにためにつくられていて
そのため責任はとても重い職業だったのではないでしょうか。
現代より生と死の距離感がずっと近い時代に、貴重素材を扱うという重圧を考えると胃が痛みます。



桃山時代、職人集団の芸術表現から、個人の作家名を前面に出すブランド化が進んで
時代の寵児となるスーパースターが生まれます。
絵画の狩野派であり、
漆芸の幸阿弥家
今までは職工集団でしかなかったのに、文化と経済が密接に重なりあった関西で
それぞれの芸術分野が個人ブランドとしてブレイクして時代を席巻します。
当主は早死にが多く、今から考えると過労死だったのではないでしょうか。

現代は、人権が尊重されて、全ての人が最低限の生活と平等が約束されています。
すくなくとも日本においては人権と平等を感じられます。
漆芸分野に僕のような一般家庭出身者が挑戦できるのも現代の日本だからです。

しかし、何よりも大切な人権すら、僕にとっては薄っぺらく感じられるくらい
美術は重いのです。
美術史を掘り下げれば掘り下げるほど、個人の力の小ささを噛み締めます。
美術史という大海原の中の、小さな一滴である自分を顧みた時、僕は自分の存在は作品に敵わないと感じるのです。
命より作品の方が重い。

現代の日本の美術教育の
「自己の個性を全面に押し出すことが芸術」という雰囲気に馴染めなくて
僕は美術史の中にいたであろう先達の事を思いました。

生きている事はすばらしくて、人生は大切です。
だけど、それより重い物があって、そのために人生を使っても良いと思えるのです。
なんだか悲しいけど、美術史から得た答えがそう言っているように感じるんです。