僕が持っていた成功についての概念は間違っていたのかもしれない。

成功ってどういうイメージですか?

実は、蹴落として這い上がるイメージでいました。
とにかく美術の最先端にしがみついて、
誰よりも早く上らなければならず
誰かを追い抜かなければならず
場合によっては、蹴落とす必要がある。

そして、僕はそれを実行していた気がします。
漆芸産地出身ではなく
代々の漆芸家の名門の出身でもない
劣等感があったから、どうしても
誰よりも早く、美術史に登場したくて
頂点に立ちたいという憧れが僕を動かしていました。

でも
成功者の伝記を読んで
成功に関する情報をかき集めたら、
どうやら
成功は蹴落とし這い上がる事ではないという。
総合的には
協調し、誰かともに生きて成功することこそが
成功であり、方法である。
成功者の伝記の多くはそのように書いてありました。
(芸術家の伝記はちょっと違うけど。)
「そんなはずはない!」と思って
必死に美術の世界の門をたたき
そして這い上がろうとしてきたけど
少しずつ状況が変わってきたんです。

じっさいに多くの成功者と出会った事で
僕の考え方は変ってきました。

全ての芸術家は
鉛筆で絵を描き始めるところからはじまります。
想像してみて下さい。
どんな偉大な画家も彫刻家も子供の頃
初めて鉛筆から形を生み出す喜びと出会った瞬間があるんです。

美術史に生きようとする事は
ピラミッドを上るようなことで、頂上に行くほど競争は過酷になり
最後の一席を巡る、アートレースを勝ち残ろうと生きてきました。

でも、それは違った。

美術史は逆ピラミッドの形をしていました。
すべての美術家は鉛筆で描く1点のスタート地点から始まり
過酷な競争に振り分けられて脱落して行くけど、
表現と生き方という幅は上に行けば行くほど広がっていて
ある段階から、周辺に同じ走り方をしている誰かがいなくなります。
つまり、角度はきつくなって自分の重みで脱落する事が多くなるけど、
狭い場所を誰かと競争する事がなくなってきます。

当然、前半戦は狭い場所をたくさんで駆け上がるから、その中で生き残る
ために誰かや何かを意識しなければならないけど、
あるときから筋書きの無い登り方でそれぞれの頂上を目指すときがくるんです。
そして、表現や生き方という石を1つずつ積み上げていって美術史をつくってゆく。
そういうイメージが僕の視界の前に現れ始めました。

美術に生きるとは
真剣になればなるほど
無視される事
拒否される事
否定される事の連続です。
それは避けて通れなくて、とても孤独です。

でもあるときから
「あなたの作品はすばらしい」と評価される時が来ます。
そして、応援してくれる人がたくさん現れて、美術で生活できる時が来ます。

自分と多くの人の期待と夢の重さに耐えながら
世界の美術史に漆を再度登場させるために、1つずつ表現を積み上げてゆきます。


少しだけ世界の美術の今を垣間見て
当然僕は世界美術史から見たらゼロの存在なんだけど、
またそこから始めたいと思いました。
人生を使ってゼロから1をつくれるなら、死んでもいい。