自分だけのいたみ

僕は長年不登校でした。
小中学校を通してまともな登校日数と言ったら
たぶん3年分くらいしかないように思います。

だから
「学校に行きたくないのは自分だけだと思うな」
「みんな行きたくないけど頑張って行っているんだ」
と周りの人からよく言われました。

たぶんみんな行きたくない日もあって
それでも学校に通っていたのだろうけど、
僕はどうしても納得がいかないことが多かったのです。

「世界で一番僕は学校が嫌いだ!」と思っていたから。
でもそんなこと通用するわけがない。


たくさんの人がいて
みんなが譲り合ったり我慢したりして社会を作っているわけだけど、
一人一人が持つ痛みはその人だけのもので
「そんな小さなこと。。」と思うようなことでも
その人の世界観の中ではとても重要なことだったりします。
そして
その痛みはわかったような気になっても
実際ほとんどわからない。

そういう時
「そうだよね」と言ってあげられたら
「みんな悩んでいるんだよ」ではなく
世界に一人しかいないあなたの悩みや痛みは
みんなのものとは違うあなただけのものだ
と思い、
「そうなんだね」と聞くことができたらいいなと思いました。

ある少年が
大人にある悩みを打ち明けていて
この少年の心にも痛みがあって、それは彼だけの痛みなんだなと思ったからです。

誰かの悩みを自分のもののように感じることは不可能でも
「そうなんだね」とその人のいたみとして尊重できることが
優しさなのかと、ふと思いました。