モノを必要としない時代

僕は平等な社会なんてありえないと思っていて
芸術の発展のためにも、ある意味で不平等な状態というのが自然だと思っています。
ひょっとして誰かが論破のしようのない、平等な社会規範を発明してくれたら
それが正しいと思えるのかもしれないけど、
今のところ、人間の社会は平等ではありません。

日本などは貧富の差があまり無いとはいっても
それでもお金持ちと一般人は持ち物から考え方まで違っています。

ただ、現代特有の面白い状態として、
情報はおおかた平等かそれに近い状況だと思えます。

考えてみてください。
お金持ちと一般人、まったく同じものを持っています。
それは携帯端末です。
今まで一般化したもので、これほど平等なものはなかったのではないでしょうか
例えば、車にしても家電にしても上位機種と一般機種というのは明確に分かれていました。
それが、情報端末に限っては、
きっとソフトバンクの孫さんも電車に乗ってる高校生も
同じiphoneを持っていますよ。
(容量の違いは置いといて)

これは前例のないことのように思えます。
今までは、何かを購入するときモノ・物体に感情が動かされていました。
カメラって撮影された物が重要なんだけど、カメラ自体にマニアがいるように
物への執着というのも重要な要素です。
時計だって、時間を確認できるというコトが重要なのですが、
それだけでは数千万円する最高機種の時計の説明がつきません。
あらゆるものには最高機種があって、そこから一般化するのに
情報端末の歴史には最高機種がありません。
いきなり一般化しています。
その理由は、きっと端末に必要なのは情報であって
物としての存在理由は薄いからではないでしょうか。

カラーバリエーションとか新作購入みたいな
各自の選択肢はあるけど、
モノとしての端末の存在理由は極めて少ない。

これって、そのままモノを必要としない人生につながってゆくような気がします。
「ああ、僕たちにはあまりモノが必要なかったんだ」と思うのも自然です。
つまり、今後はより、モノではなくコトが重要になって来ます。

そんな時代にモノを作る仕事をしています。
成功の鍵は単純で、「モノをコトに昇華できているか?」という問いの答えを表現できているかと言うこと。
iphoneが発明されてから10年経つようですが、僕たちの生活がガラリと変わったし
これからも変わってゆくのでしょう。