僕らは世界をどう見つめて行くべきか
客観性を失う状態というとわかりやすい。
で、この状態は
関わっているモノと
場所にも現れる。— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) May 24, 2018
つまり、
自分の専門分野に関心のない人が、理解できなくなる。
自分の暮らしている地域が特別なものになる。— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) May 24, 2018
専門分野を突き詰めるには、強烈な執着が必要だけど、それを理解されるためには、それに反する多少の広い視野が必要で、バランスがなんとも難しい。
— 浅井康宏 (@YasuhiroAsai69) May 24, 2018
美術だけでは無く、色々な分野に言える事ですが、
何かを開発するときには広い視野なんか役に立ちません。
例えば、アンケートを取りまくって鳴り物入りでデビューした製品って大方失敗するのは、主観が弱いからです。
そんな無責任な誰かの意見で薄まった何かを作るよりは、スティーブ・ジョブズさながら、卓越した主観で押しきった商品の方が魅力的になるわです。
だけど、主観というのは往々にして、独りよがりにもなりやすくて、多くのアーティストは主観を社会に同期させることができなかったり、社会との同期ばかり考えて、アンケートから作られたようなものを作ってしまいます。
実のところ、人間は正確な客観を持つことができないと思っていて、客観だと思っているのは、他人の感情を予測している主観とか、思いやりだったりします。
結局一周まわって、卓越した主観が重要になってきますが、それを伝えるのはやはり思いやりなんですよね。
僕の考える美術の有り様とは
「信念の具現化」なので、誰かの信念に同期される必要があります。