工芸の機械化はどこまで許されるか
工芸=手作業のイメージは強い。
しかし、工芸の機械化が進んでいるのも確かで、
そのことについて尋ねられることも増えて来ました。
プロローグ
僕は漆に関して専門的に習った二人の恩師がいます。
一人は大学時代に習った林暁(はやしさとる)先生
https://www.nihonkogeikai.or.jp/works/786/
もう一人は蒔絵技術を習った室瀬和美(むろせかずみ)先生https://www.nihonkogeikai.or.jp/works/810/?kokuhou_flag=1
先生方には技術と漆に対する姿勢を習いました。
共通している部分と、全く違う考え方を持っていることもあり、
僕が対極的だなと思っていたのは、
工芸の機械化への考え方です。
林先生は割と、機械化肯定派で
「手の先にある機械ならなんでも使っていい」と言う雰囲気があって、
実際に3Dでデザインした造形を機械で切削していました。
一方で、室瀬先生の工房は手工具がメインで、
「手で作るものの緊張感を第一に作る」雰囲気がありました。
まっすぐな線も定規を使わず描くので毎日勉強になりました。
僕のスタンス
僕が考える工芸と機械の考え方は
「完成したものが、工芸の伝統に即しており、
なおかつ、自分の頭と指先の延長線上にある技術なら大いに使う」
と言う感じです。
つまり、まっすぐに木材を加工するのに、
手鋸を使っても、電動帯鋸を使っても良いと言う考え方です。
仕上がってくるものは、まっすぐに加工された木なので
過程は問わないです。
そういった考え方から
木地づくりには3DとCNC加工機を使って造形することもあります。
ただ、加飾に関しては
一貫して「手作業」を愛している部分もあって、
何万パーツも必要な作品制作においても、
必要な部品は全て手作業で作っています。
これは、きっと室瀬先生から教わった、
「手で作るものの緊張感を第一に作る」感覚が自分に合っているからです。
それと、現代最高の技術を保持したいと言う思いから手技にこだわっています。
今後、技術は発達して、人間がものを作らなくても良くなってゆく時に、
僕たちが持っていた技術の代替が急速に進むかもしれません。
それに技術自体がなくなってゆくことが起こるでしょう。
守るものと展開すべきものをしっかりと見つめて、
活動の全てを通して美を届けることができるのなら、
きっと、大切なものは残ってゆくはずです。