美とは心の中にあるもの?

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こんにちは漆芸作家の浅井康宏です。
今日は「美とは何か」という大きなテーマについて書いてゆきます。

プロローグ
先日ある取材で「美とはなんですか?」という質問をいただきました。
「美とは何か」
根源的で難しいテーマですね。


取材の対話の中で少し自分の考えの中に進化があったように思いました。
その時僕が出した考えが

・美意識は時代によって変化する
・夕日の美しさや花の美しさも実は根源的では無いのでは無いか
・つまり美意識は後天的に学びによってもたらされるものなのでは無いか
という仮説を昔から持っているのでそのことについて話しました。

例えば、異性への愛情や美意識って本能的なものだから普遍的なもののはずです。
だけど、美人画はその時代によって、異なる「美」を表現しています。
現代の美女も100年後に手放しで受け入れられるとは限りません。


つまり、僕たちが思っている美って後天的な学びから得られている可能性もあると思っています。
それを発展させると、夕日の美しさや花の美しさすら、僕たちが人生の中で体得してきた美意識なのかもしれません。
考えてみてください。

なんの教育も受けないで誰にも合わないで人生を重ねた誰か、そんな人がいたとして
その人が、空を見上げて「太陽綺麗だな」と思うかはわかりません。

星野少ない都会生まれの人がニュージーランドの大空の満点の星空を見上げたら「星綺麗」と思うかもしれませんが
毎日のように見慣れていれば夜空の光にすぎないかもしれない。


ここで考えられるのは、
刷り込まれた情報の蓄積、非日常に僕らの心は動かされているかもしれないということです。
もしそれが美を感じる正体だったとしたら、少し寂しくなるかもしれません。

だけど、僕が感じた気づきはここからなのですが、
美意識は時代とともに進化し続けています。

そして新しい「美」が生まれた時、
場合によっては非日常的な「美」を感じるかもしれないし、
あるいは教育の範囲外として「美」と認定できない場合があります。

どちらも感情としては正しいのですが、
今まで会得してきた情報の外の美と出会った時、
そのものを新しい形の美を感じる心こそ「美」の核心なのでは無いかと思いました。

新しい「美」は必ず今、そして今後現れます。
その時、それに美を見出せること、
自分の中の感情のひだこそが美の正体なのかなと思いました。