はじめて漆をやめたいと思った日

あれは僕が29歳のときでした。
第59回日本伝統工芸展で新人賞をいただいた年です。
その年は、岡山の天満屋で初めてのグループ展に呼んでいただきました。
「啐啄の会」(そったくのかい)という展覧会の名前は山口松太先生(岡山県重要無形文化財保持者)につけていただきました。
中国地方で活動中もしくは、出身の若手漆芸家と木工作家6名のグループ展でした。

展覧会の作品に加えてのグループ展作品制作は慣れていない事もあり
難航を極めていました。
グループ展に呼んでいただけるのも初めてという事もあり
気合いは入っていましたが、かなりのオーバーワークになってしまって
会期前一週間はほとんど睡眠がとれませんでした。
それでもなんとか蒔絵の作品を20点用意して、送れるものは送って
その他新幹線の中で磨きながら、搬入した作品もありました。

展覧会のDMは作家が制作費を持つ契約だったので、かなりの出費に加えて
往復の交通費がかかっていました。
だから、作品が売れなければそれだけ赤字になる事がわかっていました。
それに加えて、ホームではない岡山での展覧会と会場に在廊できるのが
初日の平日のみだったので、かなり厳しくなるのは覚悟していました。

くたくたになって搬入を終えて、張り切って初日を迎えたものの
知り合いはあまりいないので、終始立ち尽くしている時間が多くなりました。
高校が岡山だったので、在校生と先生が見学に来てくれて、しばらく漆について話す事ができましたが
それ以外は何ともいえない孤独な時間が続きました。

そうしているうちに、他の出品者の作品がぽつぽつ売れてゆき
僕の作品は全く売れる事なく初日を終えてしまいました。
そうして、簡単な打ち上げをすませて、新幹線での帰路につく時間となりました。
打ち上げが終わって、一人で新幹線のホームに立っていると
何とも言えな気持ちがこみ上げてきました。
当日まで仕事をしなければならなかった計画性の無さや、作品が1つも売れず、こうして一人ホームに立っているむなしさ。
いろいろな思いがこみ上げてきて、とてつもない寂しさや悲しみに包まれてしまいました。
さっきまでは、グループ展の仲間と一緒に、笑っていましたが、ずっと隠していた感情が一人になって表面に現れてしまいました。

「漆、つらいな。」と、長年漆を続けてきて初めて感じた瞬間でした。
考えてみたら、好きで続けていた漆をお客様に紹介するという初めての機会だったのです。
こうして売り場に立ってお客様と話してみると慣れない事だらけでした。

最終的には天満屋さんがいくつか作品をお客様に紹介くださっとのと、親戚に助けてもらった事もあり、赤字は免れましたが、僕にとっての最初のグループ展はとても苦しいものでした。

それ以降「漆、つらい」と思った事はありませんが、そのグループ展は僕にたくさんの変化をもたらしました。
作品がよくないと誰も振り向いてくれないという事実を突きつけられて
どんな小品だとしても作品を作る気持ちを大切にする事を、身をもって学びました。

最初のグループ展はずいぶん昔の事のようでもあり、つい最近のような気もします。
その直後に腐らずに「もっとよい作品を作らねば!!」と思えた事はよかったと思います。

恩師の根本廣子先生にこういう言葉をかけていただいた事を思い出します。
「漆の仕事は本当にすばらしい。だからたくさんの人を幸せにできる。まず作っているあなたが幸せにならないとだめよ。」
苦しい事がたくさんあっても、自分を含めた多くの人を幸せにできるような仕事をしたいと思います。