守るものと展開するもの

漆は樹脂なので、あらゆるものに塗る事ができます。
新しい生活様式に則した、漆工芸とはなにかという事は、
常に考えている事であり、そして答えの出にくい問題でもあります。

いろんな試みがおこなわれてきています。
車、電話、玩具等々、最先端の何かに漆を塗って新しいものを作る試みがおこなわれてきました。
僕も注文でiphoneケースとソムリエナイフに蒔絵をした事がありました。
あらゆる可能性にかけて、新しい試みに挑戦してみるのは絶対必要だと思います。
ただ、その可能性の追求が目的になってしまっている事例がたくさんあるように思います。
なにかとコラボレーションする場合には必ず守らなければならないものと事があります。
それを失ってしまったコラボレーションは、高いだけのものになってしまいます。
つまり「漆でやる必要ある?」という結果につながります。

漆は1つの素材ですが、日本文化そのものでもあります。
時代に則した挑戦は必要ですが、迎合する必要はありません。
文化である以上、つかう側(人)が物にあわせる事も必要となります。

例えば「漆器は食洗機で洗えない」となると
「食洗機で洗える漆器」が登場します。
しかし、それはボディーに科学的な樹脂が含まれていることでしょう。
熱いお汁を入れても大丈夫な漆器ですので、ひょっとしたら普通の漆器も
食洗機に対応するかもしれません。
でも、毎日使ってもらって、手で洗ってほしいのが作り手の本音です。
食洗機で洗いたいから、食洗機用の漆器がほしいという人にはプラスチックのお椀の方がいいと思います。

物は人間にとってどんどん便利になればいいと思います。
人間の都合に合わせて、変わってゆくべきでしょう。
ただ、文化については人間のほうが文化にあわせるべきだと思うのです。
室瀬先生は講演会で言っていました。
「文化ってほんとうにめんどくさいものなんです。
でも、それを面倒くさいとおもったら、文化は一瞬で消えてしまうのです」

日本文化は面倒な事がたくさんあります。
でもその先には常に美があります。
漆の新たな展開には常に美が必要です。
便利さを追求して日本が美や文化を必要としなくなれば、
漆は無くなってもいいと思います。
でも、そうじゃない。
「面倒くさい」と思いながらも
漆は美しいし、文化は日本人に必要です。

経済の勢いも、きれいな成長曲線をたどることはできない日本ですが、
日本には揺るぎない文化があって、それを伝えてきた歴史があります。
資源は無いけど、文化的側面で世界とコミュニケーションしてゆけると思います。
文化という宝物をもっているこの国に生まれた事を僕は幸運に思います。
僕は文化を守りながら展開してゆきたいです。